エビデンスの問題点を指摘した本「客観性の落とし穴」
本(客観性の落とし穴)(長文失礼します)
新聞書評欄の「売れてる本」コーナーで紹介された本です。私も個人的には、客観性のある論理的思考は日頃から大切だと思っているので、買って読んでみました。
筆者の村上靖彦さんは基礎精神病理学・精神分析学が専門の大阪大学大学院教授で、筆者が指摘するのは、エビデンス(証拠・根拠)が流行語になる程の現象は、客観性の根拠が統計学をベースとした数値化であり、その数字を絶対視して真理化してしまうというものです。
つまり客観性には数値化が多大な手段として、現在多くの場面で用いられており、当然リスクについてもその計算が存在します。リスク計算を重んじる社会が生まれる前提として、経済活動における個人主義、自己責任による支配の問題があると指摘します。
そうした数値化による競争主義は、人間を社会にとって役に立つがどうかで序列化し、その序列化は集団内の差別を生み、その最終的な帰結が優生思想になると結論づけています。
本書の前半は上記のように数値化による客観性の落とし穴(脆弱性や危険性)についての分析と考察であり、後半にその落とし穴からの解決策をいくつか提示しています。
筆者は精神科医である上に、治療のためにも患者へのヒヤリングは不可欠な作業であり、そうした体験の中から数量的なデータの背景には、人生の厚みが隠されていると述べています。ヒヤリングとは患者の経験を共有する作業であり、偶然の出会いから生まれる唯一無二の経験や説明を超えた変化を、統計学は考慮しない。つまり客体化と数値だけが真理の場ではないとしています。
エビデンスに集約される「平均によって得られる科学的な一般性とは異なる場所に普遍と理念があり、個別性を追求した果ての極限に概念がある。」とのドイツの思想家ベンヤミンの言葉を引用しています。
日本では上からの制度がしばしば抑圧的かつ排除を生むように働いており、抑圧的な規範や経済的な価値によって組織するのではなく、それぞれの声と小さな願い事によって結びつくようなコミュニティーが必要だと説いています。
私自身もマジョリティゆえの特権で無意識の内に、客観性の数値化による抑圧や排除の潜在意識が存在するかもしれません。ただ高齢者となった現在では、確実に生産性が劣る人間であると判断され、経済的視点から見れば差別される側の人間に分類されることになります。数値化による客観性の脆弱性は、誰もがその厳しい経験を強いられる危険性を潜んでいる現実があります。
ただ個人的な見解を述べれば、冒頭に書いたように客観性のある論理的思考が重要と考える時、その客観性とは論理に自分勝手な思い込みや偏見、論理の矛盾がないかを、事実などを踏まえながら検証していくことであります。
そしてそうした作業は論理を構成する能力の向上にもつながるものであり、ことさら数値化して客観性の真理を追究したつもりになったり、自己の論理の客観性を数字に依存する必要はありませんし、敢えて数字で客観性を高めようと思ったことも今までにありませんでした。所詮数字は道具であり、手段でしかありませんから。