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誤った自己責任論について
11/09に開催された「市民公開シンポジウム2024」の中から「第3部:総合討論」部分の1時間の動画を皆さんと共有したいと思います。文章の最後に動画共有のURLを記載しています。
今回のシンポジウムの内容は非常に素晴らしかったので、ひとりでも多くの医療専門職、糖尿病当事者に視聴していただきたいと思います。とても味わい深い議論が展開されていますので、通勤途中の電車の中でも良いので繰り返し、ご視聴頂けたら幸いです。
■誤った自己責任論について
僕は「糖尿病関連スティグマの本質は病因論の正しい理解といった知識領域にあるのではなく、『誤った自己責任論』にある」と述べました。1型当事者であると同時に臨床心理学者でもある東海林渉さんは「スティグマは『誤った自己責任論』に基づく『極端な原因帰属』にある」と訴えました。
総合討論では「自己責任」について大切な議論が交わされました。
最初の問題提起は倉田 誠さんが「今、誤った自己責任論がいけない、極端な自己責任論がいけない」というお話がありましたが、それでは「正しい自己責任論」「マイルドな自己責任論」というものがあるのでしょうか?もしもあるとして「そういう考え方をすることが問題を良い方向に向かわせることができるのでしょうか?」という問いから始まりました。
そして、最後に自己責任といっても未来に向けた「前向きの自己責任」と原因追及(責任帰属)を問う「後ろ向きの自己責任」があるよね、となりました。この気づきはとても大切だと思います。
「人生は自己決定の連続だよね」というときの自己決定は「未来に向けた自己決定」ですが、私たちが糖尿病関連スティグマで問題にしているのは「これまでのあなたの生活習慣が悪かった」という「後ろ向きの自己責任」ということになります。この2つを明確に意識することが大切だと気づきました。
また自己決定と自己責任はとても親和性が強くて、「自己決定を推せば推すほど、自己責任が盛り上がってくる」という関係にあるという指摘も、とても重要な指摘だと感じました。
そして、普段強者から自己責任を追及されているような病気を抱えた人や社会的弱者と言われる人たちも、自分よりも弱者に向かって「自己責任」を叫んでいる。こうした自己責任を追及し合う社会構造が生まれているのはなぜだろうか?という問題提起がされました。
この問いに対する答は社会全体で考えていかなければならない大きな問題ですが、とても大切な問題提起であったと感じます。
■日糖協、日本糖尿病学会による「ダイアベティス」という呼称提案について
このテーマについて交わされていた発言を列挙してみます。
・学会と日糖協のアドボカシー活動は始まった途端に加速し、新しい名称が突然降ってきたように感じた。
・将来気持ちは変わるかも知れないが、当事者の声を聴かずに提案された「ダイアベティス」よりも23年間ともに暮らしてきた「糖尿病」の方がむしろ親しみがある。名称変更を先へ先へと進めている人々はこうした当事者の声をどのように受け止めてくれるのだろうか。
・自分の人生に大きな影響を与えたものの名前(愛着すら少しある)をたかだか1年で変えて欲しくない(患者として)
・そもそも言葉を正しい言葉に変えていこうという発想そのものがある種の危うさを抱えているのではないか?つまり正しい言葉を選ぼうとすればする程、差し障りのない言葉になってしまう危険性がある。
・その言葉が正しい言葉かどうかということだけでなく、ダイアベティスという言葉が人々にどのような語感で使い回されるのだろうか?ということも考える必要があるのではないか。専門家が「学問的に正しい言葉として普及させましょう」という態度は直感的には裏切られることが多いのではないかと感じる。
「第3部:総合討論」の動画共有URL
↓
https://drive.google.com/file/d/1hkAEAuuoi7zKNXcLELtU3AmtuqVL3Z2u/view?usp=sharing
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