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体重や採血結果は生活習慣の改善努力に比例して決まる訳ではありません

シンポジウムを終えた今、外来診療中でも生活習慣病という言葉のもつ暴力性を、これまで以上に実感を持って語ることができるようになりました。

患者さんへの導入はこんな感じです。

きっかけは患者さんからのこんな言葉です。
「先生はいつも体型が変わりませんね。立派ですね」
そんなときに以下のように切り返します。

大前提として、生活習慣の改善努力に比例して採血結果が決まる訳ではありませんよ。それは社会の多くの人たちが抱く大きな誤解です。

「毎晩、大好きなお酒を存分に楽しんでいるのに肝機能はまったく正常という人もいますし、悪びれずに今月はよく食いましたぁって言って、体重を4kgくらい増やしてきても、ヘモグロビンA1cは6.0%って人もいます」
「痩せている人を見ると、節制して偉いな。太っている人を見ると、あの人、きっと食事にだらしないと考える、それは大きな誤解なんです」

「僕なんかも、よく先生はスマートですね、などと言われますが、それは単に太りにくい体質というだけのことです」

「いくら食べても太らない人と食べていないのに痩せない人がいて、どんなに頑張ってもA1c<7%にならずに苦労している人とそれほど努力しなくても6%台の人がいるというのが現実です」

社会で『生活習慣が制御可能なもの』として語られていることが問題です。食習慣ひとつとってみても、例えば、夜間労働者、独身独居男性、経済困窮者、社会的支援が乏しい人、接待や営業が多い職種など、食習慣を管理することは容易ではありません。生活習慣というのはもっと複合的な人間の営みなんですよ」

「それなのに、生活習慣は制御可能なもの。だから、太っている人や糖尿病を患う人はだらしない人間というラベリングがはびこっています。生活習慣病という言葉は本当に憎むべき言葉です」

今日出会った患者さんは、僕のその言葉を聴いて、
「先生、本当にそうですね。私も本当にそう思います」と語って下さった。

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