新たなステップ【悩みを悩みと思わないマインド】
ブログでの発信を始めたことにより、私の思考回路が、どんどん整理されていく感覚がある。実家を離れて1人暮らしの頃は、友達に【話すこと】で自分の思考を整理していた。最初から上手く話せなくても、友達だからこそあれこれと言葉を付け足しながら、初めて知る自分の価値観を見つけていた。それが今では、ブログを投稿するために、【文字】で出来るだけ忠実に表現したい気持ちで日々推敲を重ねている。これまで友達に話してきたことと同じようなことを発信している感覚でいたのだが、どうやら少し違う気がしている。では、その違いは一体何なのか。
以前の投稿であった生きづらそうな友達のように、私も、【愚痴や共感を求める話】がきっと多かったのだと思うことがある。私の場合、相手を悪く言いたくない気持ちがあっても、『理解出来ないところから、自己理解に繋げるための思考回路』を一部始終話していた。しかし、最近の投稿や自分の日常から考えて思うのは、【自己主張】や【持論の発信】が確実に多くなった。私としては、愚痴を言っているつもりはなく、あくまでも【事実】であることや、その【事実】をできるだけ肯定するための【持論】である。また、【自分の失敗】を『嘆き悲しみ他人の救いを求める』と言うよりは、その【失敗】を『自分の人生経験として活かすための思考を求める』ようになった。
そして、今私が、今後発信したいと考えていることは、【悩みを悩みと思わないマインド】についてである。どういうことかと言うと、【予期せぬことや、受け入れ難いこと、身に起こるあらゆる事象に対して、必要以上の抵抗をしないで受け入れる。そしてそれを、乗り越えていけるマインド】のことである。なぜ、こんなことを思うようになったのかと言うと、これまた以前の投稿にある【元気な人達】の影響である。具体的なことを言うと【元気な人達】の中で2人、この数ヶ月の間で入院生活や病気と付き合って生きていく診断結果を受けたのだ。しかし、2人ともめちゃくちゃケロってして笑って話をしてきた。笑いながら、「もう最悪だわ〜😂😂」みたいな感じ。私としては、他人とは言え大切な人達だ。だから逆に、私は本人と同じように笑ってはいられなかった。むしろ、『他人の不幸笑ってはいけない。そんなことは不謹慎だ』と思う気持ちが強かったと思う。けれど、当の本人達が別に、【不幸】だなんて思っていないのだ。自分の思ったような楽しみ方から、少しばかり遠のいたことを【文句】として発散している。私がちょっと深刻そうな顔をするだけで「自分が悪いことをしている気分なる。」と言ってきた。つまりは、『だから、そんな顔される為に話してる訳じゃない。それ以上のことが、もっと話しにくくなる。』とでも言いたいのかと思う反応だった。また、本人の親との交流もあったので話をしていると、自分の過去の【大変だったであろう苦労体験】を笑いながら堂々と話をしていた。当時はきっと大変だったのだろうが、そんなことを感じさせないくらいに笑って話していた。どんなに苦労した過去でもきっと、それを【不幸だなんて思わずに一生懸命に乗り越えて来たのだろう】という印象を受けた。つまり、そんな親の愛情を受けて本人は育ち、本人もまた、『どんなに厳しい困難であってもきっと、前や上を向いて人生を歩むのだろう』と改めて思った瞬間だった。
そして、今回私が何を言いたいのか。それが、冒頭とタイトルにもある通り【悩みを悩みと思わないマインド】なのである。【何事も本人次第】であると思うことは、過去の投稿で何度か発信してきた。それがベースの思考回路として意識するようになった今、私は『新たな価値観を手に入れたい』と思うようになった。今自分の目の前で起きていること、自分自身に降り掛かってくる困難や試練。日常生活の中で抱く様々な出来事やそこから生まれる自分の思考や感情。私は、それら全てに対して最大限【受け入れられる心】をベースのマインドを持ちたい(そのための努力をしたい)と思う。そのために必要だと感じる私の思考回路は、【生きていれば、予期せぬ出来事なんて起きて当たり前】と考えること。それが仮に自分であろうと、大切な人であろうと、起きてしまったことに対して、【最大限の試行錯誤を重ねて乗り越えられればそれで良し!】と変換出来る自分のマインド。これまで自分が情緒不安定を繰り返したことは、このマインド1つで大概乗り越えられたことだと思う。だから、気づいたからには今後、情緒不安定とは出来るだけ決別したの人生を歩みたい。それが、今回の私の投稿で発信したい思考回路なのである。