比較対象は常に【今の自分】
前回の投稿で、『病気持ちのm__lovemi』を【比較対象】としている人がいたら?と仮定した場合、『決して気分がいいものでは無い』という話をした。
今回は、このことについて、更に掘り下げた持論を発信したい。
最近の私は、ブログの中でもよく言うように常に、【私は私!】と自分に言い聞かせながら、『自分以外の誰かと比較すること』を意識的にしないように過ごしている。私が私の意思で『どんな私でも、【私が1番真正面から向き合う】こと』を望むようになったからだ。『何か上手くいかない』『失敗した』『本当はこうしたい』なんて気持ちになった時は、【常に自分】に目を向けて、【自分自身に向けた改善案】を模索する。そんな時に、【いい意味で他人と比較する】ことは全然ある。『自分に足りないものに自分で気づき、それを【克服するための材料】として参考にする』みたいな感覚。その時に、『自分に足りないものがあること』に対して、『恥じる気持ちは全くない!』と私は思っている。『足りないとこはあるけれど、それが【今の私】なの』って感じ。その足りない部分を、今後【自分の意思】と比例して補う事が出来れば、【未来の私】はきっと出来るようになっているよね?なんて想像する。それが【人間の成長】とか【人生経験】ってことなんじゃないかと考える。
過去の私は、ちょっとでも上手くいかないことがあると、すぐに『他人を羨むこと・褒めること』『自分の欠点を探すこと』を無意識にやっては落ち込んでいた。それらに関して、確実に【比較対象が他人】であることが、今振り返ると『めちゃくちゃ残念だな』と心から思う。しかも、【勝手な自分の印象】で、『自分よりも上手くいっている人』なんて【勘違い】を平気でしていたと思う。きっと【相手にとっては大変失礼な話】な訳で、今更ながら反省する。
『他人を羨むこと』に関して言うと、『実際、本人の【具体的に何を】知っているの?』と『声を大にして言いたい』位の気持ちになる。『他人を羨む』とか『簡単に他人を褒める』人に出会うと、最近の私は、『もっと自分に目を向けたら、そんなことを簡単に思わなくなるんじゃないか?』と考えるようになった。
っていうのも、結局のところは私の実体験が故の話であり、以前の私は、どちらかと言うと【全力】で嬉しかった。『他人から褒められる』ことも、前回とも重なる話『他人から感謝される』ことも。ただ、『自分がやりたくてやった!』と言うよりは、『相手の反応に期待してしまう自分』がいたと自覚する。だから、『実際の相手の反応と比較』した後で、自分の感情が動くみたいなイメージ。つまりは、【自分が意思】とはいえ、『【相手の反応】が常に【比較対象】としてある状態』だったということ。相手が自分に対して『褒めた時』や【自分目線】で相手の反応が『好感触だった時』は、自分の気分が満たされる。けれど、反対に『そうでなかった時』は、『ネガティブ』とか『落ち込む傾向』にあったって話。
そんな自分を変えたくて、意識的に努力を重ねた今の私は、『自分のことは自分が1番納得してる』って思えるようになったと思う。すると、『【他人の反応】に一喜一憂する』なんてことは、きっと少なくなった。そして、それは他人に向けても同様に『相手が相手の中で納得してること』だという認識に変わった。この認識を自覚した途端、『わざわざ私が、相手のことをとやかく言う必要は無いよね!』なんて感覚になった。ある意味これも、『ドライな私の一面』な感じもするけど、無理や我慢は全くしていない。
また、『自分の欠点を探すこと』も、結局のところは同じだと私は考える。だって、全てにおいての【比較対象が他人】な訳だから『【自分の欠点】だと認め易い状態』なのだと私は気づいた。『あの人よりも私はダメだ』『あの人みたいに生きたいけど私は出来ない』なんて風に思いがち。そんな方程式が出来上がってしまっていた為に、私は20数年間、苦しむことが多かったと今更ながら納得する。かと言って、1歩間違えると【自意識過剰な人間】になりやすい考え方だなっと思うのも正直なところ。その具体例が、冒頭にもある私のエピソード。仮定の話とは言え、要は、『病気持ちなm__lovemiより、自分は健康だ』みたいな話。『健康な人間なんて、いちいちm__lovemiと比較なんかしなくても、そこら中にいっぱいおるわ!』って突っ込みたくなる。『比較する・される』人間なんて、私は望まない。だから私は【比較対象が他人】の生き方を確実にやめたい!と断言する。
更に、【過去の自分・環境】を【比較対象】にすることも「今の私は絶対しない!」と言える自分で在りたい。先程の【比較対象が他人】の話と同様に【いい意味で比較する】ことは、もちろんある。『過去がこうだったから【今の自分】がこう変わったよ。だから、幸せだよ』みたいな話。ブログ発信を含め、『どちらが良いとか悪いとかの話では全くない!』ってこと。【過去は事実】な訳だから、今更何も変わらない。変えられることは、『【今の自分】に活かしてなんぼ!』なんて気持ちで私は生きている。結論はもちろん『いつもポジティブ』な話。もしくは、笑い話とか、エピソードトークな訳で、今更なんとも思わない。
そして【比較対象の他人】について、今の私はこう考える。『実際のあの人のこと』を私は知らない。私が知っているのは、『あの人』の1部切り抜きの瞬間を積み重ねただけ。つまりそれは、【私から見た『あの人』の印象】に過ぎないんだってこと。それを学んだ私は、『あの人はこういう人』という『【私から見た印象の延長線】の下、人間関係を築く感覚』が生まれた。決して、『相手が私の【比較対象】な訳ではない!』ってこと。『相手は相手、私は私』な訳で、結論、『私の中で、あなたはこういう人だって印象だよ。そして、私はこういう性格の人間だからこう思うのよ』ってな話。
また、私は間違いなく【今の私】を生きているってこと。『過去を後悔する』『未来の不安に押しつぶされる』『他人の反応を考えてしまう』『他人を羨んでしまう』などの悩みは、以前の私は、本当に尽きなかった。だけど今強く思うのは、『私は、今この瞬間を、自分の力で生きていくんだ!』っていう気持ち。それ以外の事を【比較対象】として考えてしまう間は、『めちゃくちゃ疲れる人生』だし、『そりゃ、悩みが尽きない訳だよね!』っと実感する。そう言う私も、まだまだ100%な自信はないけれど、そんなモチベーションを意識的に呼び起こすことで、『自分自身を自分の力でコントロール出来る』ように努力しているつもり。
【比較対象は、常に今の自分】を心がけることで、最近の私は、以前よりも『自分のことを大事思える』気がしている。『他人』『過去』『未来』なんてものに振り回されずに、【今の自分】と『真正面から向き合う』生き方。その積み重ねがきっと、『自分が目指す自分の人生』『自分が満足する人生』、よく言う『豊かな人生経験』に繋がるのかな?なんて考えるようになった。