心配された時の私の反応

あくまでも個人的な私の話。親子関係において【心配する・される】の関係って、私は苦手だと思った。私には子供はいないけれど、【私が母親の子供】ながらに思うことは正直ある。今回は、ある1人の知り合い男性の発言を、紹介したい。その人を『純粋にかっこいい親だな』と思ったエピソードを交えて、私が率直に思うところを発信したい。

その男性は、約5年前に離婚経験がある。子供は、当時の年齢で未就学児の息子1人、娘1人がいた。けれど、離婚をしたことで、その後、一度も子供との接触は無いようだ。私は、その人が、どのように子供達と関わってきたのか、具体的に知らない。けれど、『とても大切に愛情を持っていたこと』は、真剣に感情的に話をするその姿を見て、十分に伝わるものがあった。
そんな男性が、最近、共通の知人から『子供達との関係を心配する』ような聞き方をされていた。すると彼は、下記のようなこと話していた。

「色々と想像して考え出すと心配は募るし辛い。けれど、それでも、【会えなくても間違いなく僕の子供】なので、【きっと大丈夫】だと思ってる」

その時の私は、その話を聞いても、正直、言うほど何も思わなかった。けれど、今日、ふと思い出す母と私のやり取りがあった。

昨夜、母からLINEがあった。正直、確かに昨夜見た。けれど私は、夜ご飯の準備真っ只中で、すぐに返信出来るタイミングでは無かった。その為、既読を付けることも無く、『また時間できたら返信しよう』くらいの気持ちだった。そしてその後の私は、昨夜中に返信することはなかった。

今朝、仕事が始まってすぐの時間。私個人的には、この時間が一番自由な時間だ。基本的に自分のペースで仕事が出来る環境にあるので、本当にありがたい。昨夜の返信や、スマホ1つで出来ることは、仕事と並行して活動することも実際多い。友達の返事も同じく、溜めていた。先に友達の返信をして、その流れで、母に返信するタイミングだった。丁度その時、母から下記のLINEが来た。

「おはよう‼️
既読つかないから、体調悪いのかな?
大丈夫?」

私は、思わず笑ってしまった。『たった1晩、LINEの既読がつかないだけ』で、『こんな心配されるのか』と。【親としての気持ち】なのだろうし、【元々常に心配性な母親】だ。もちろん、【本人は至って真面目なこと】は、『娘の私なのだから十分理解する』けれど。

ただ、娘の私から言わせてもらうと、『いつまでも、【そんなに心配されるような子供】じゃないよ』って話。確かに、【私から持ちかけた話】に対するLINEの返信だったので、【私が返信を後回しにしたこと】で、『余計に心配させた』のかもしれない。ただ、『そんなに重要なことを短期間で連絡したつもりは無い』って私の気持ち。だから【私のタイミングで返信すること】に対しては、ぶっちゃけ『いつも通りだよね?』と思った。

そんなことを思った時に、私は、ふと冒頭の男性の話を思い出した訳だ。
私個人的には、男性の発言に対して、【自分の子供】を【最大限の自信と誇り】に満ちた印象を受けた。正直、『そうせざるを得ない』とか、むしろ『そう思うことしか出来ない』くらいの気持ちだとは思う。私の胸も痛むのと同時に、何故かふと私は思い立った。
私も将来、【自分の子供】に対して、【最大限の自信や誇り】を持てる『親になりたい』と。

何故そう思ったのか。正直、【私は、いつまで経っても母の子供】だ。どれだけ年齢を重ねても、それは永遠に変わらない。けれど、【だからと言って、いつまでも親を頼りに生きる訳では無い!】ってことを強く言いたい。
だから、今回だけに限らず、私の母親は、【子供の私の人生全て】に対して、『心配とかネガティブ以外の感情は生まれないのかな?』と思う訳だ。そして、実際に自分が親になった時、子供に対する『心配はあまりしたくない』と正直思う。

私の持論として【心配=愛情】だとは、あまり思わないから。
むしろ、【心配】とか【愛情】ってよりは、『子供が子供らしく、自分の人生に自信と責任、誇りを持って生きること』の方が、私にとっては1番大事。そして、私自身も今も、将来、親になったとしても、【常に1番大事にしたい】と思っている。

そんな私だから、【本人が常に主役】で、【サポート的存在な親】を目指したい気持ちになった。また、【心配や不安】は、『自分が心の中で思うこと』はあっても、『直接本人には伝えることはしたくない』と思った。それを【直接本人に伝えること】は、きっと、私の中で思う『愛情表現とは何か違う』から。

そして更には、【人間関係を良好に築く】上でも、きっと大事なことだなって改めて思った。【心配やネガティブ】ってのは、そんな話を聞く度に『本当にもったいないことだよね』と、最近特に頻繁に考える。【視点を少し変える】だけで、本当に『全然違って見える』訳だもん。
【私は私】として、【常に自覚して生きる】からこそ、私が、親・子供・友達・嫁など、どんなポジションであっても、必ず【私と相手】を分ける。なかなか難しいけれど、『お互いにポジティブに時間を共有したい』と思えば、『そんなことは考えない』し『言ったところで何も生まれないよね』って気持ちになる訳だ。

そんな風な思考回路を身につけた私は、母親とのやり取りに対して、『私自身は特に何とも思わなかった』けれど、母親に対しては、『相変わらず心配性だね』って若干思ったくらい。
思い返してみても、最近の私は、【心配】【不安】【ネガティブ】を自覚するのって記憶が乏しい。また、私が関わる人達のとの会話にも、あまり出てこなかった印象だ。
なんとなくだけれど、今朝の母親とのやり取りのを通して学んだ気がする。『私は普段考えないこと』を相手に何か言われても、【私なりの反応の仕方】を、少しは経験出来た気がするよ。
私と違う感覚の持ち主の母よ、ありがとう。

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