本当にあった、恐ろし~い話 【part2】頻脈x再発x「様子見よう」(余裕なし)
移植後の再発!即日入院となった。
身体は急な変化に脆い。ギリギリの均衡を保っている時、それが崩れると、一気にガクッと急変することがある。(逆に身体は、慢性な変化には結構順応力がある。)
㊟もし、読者のあなたが医療関係者なら、以下のことを念頭に読んでいただけると幸いです。
あ~何回も挿管されてて、敗血症、敗血症ショック、DIC、抗がん剤治療、骨髄移植、色々経験して、大変だったんだね~。
これなら、「何をしても予防したい」って思ってしまうよね~。
と、温かい気持ちでいてくれたら幸いです。
治療中に、ただ横になっているだけで、脈が約180を頻発させていた。
安静時脈180とか、年齢によっては致死的なことの引き金になる場合あり。(220ー年齢)が人間の許容できるとされる最大心拍数の目安とされます。
治療のために回していた機械を調整してくれたら、まぁまぁ落ち着き、安静時150台を頻発する程度になった。
しかし、元々は安静時脈60台、70台。そんな私が突然ベースの脈が130台で、頻繁に150台160台の頻脈。普段の2倍、3倍の速度で何度も何度も、心臓が突然、ドドドドドドドドドッ―って暴れる。正直苦しい。切迫した命の危険があることだけが苦しわけではない。
元々、ベースに抗がん剤の影響による心不全があるし、軽度の喘息もある。何故か分からないが、尿量も多い。脱水になっていても、結構尿量が多い(3リットル…)。
その日の治療を終え、病棟に戻っても、頻繁に脈は150越え。(150以上で「頻脈アラーム」が鳴り、数値は出ない。)落ち着いても130台が持続している。忍耐強い方であると自負しているが、流石に苦しい。
脈は通常安静時60ー100。
ただ、それはあくまで目安であって、個人差がある。通常は大体ただ横になっているだけなら、60ー70くらいという人が多い。アスリートならば、50台の人もいるし、平時から100強という人も中にはいる。しかし、一人ひとり適切な脈拍数がある。
正確には、何故か分からないけど持続的に苦しく、常にベッドの頭を上げた状態(ギャッジアップ)していないとキツかった。そこに、頻繫に脈が150を超える。分単位でタタタターッって心臓がバクバクしてね。
そして、原疾患の影響で、ギャッジアップしているのは非常に辛かった。フラットで横になっていないと、かなり身体がキツイ。
【時刻は金曜日の16時】…‼
チックタック、チックタック。
17時を過ぎたら、他科依頼=コンサルテーション(コンサル)をお願いできない。時間がない…!
翌日からは週末だから、検査も治療もよほどの緊急事態でなければ受けられない。
介入のタイミングは今しかない。
今を逃すわけにはいかない!
その時に、主治医が入ってきて、「様子をみよう」と言い出す。
オイオイ。金曜日の午後、身体は我慢の限界ギリギリだ。もう、耐えられない。どうにかして欲しい。直ぐに命に直結しなくとも、辛くて改善して欲しいこともある。
そして、残り1時間で、何かしてもらえなければ、もっと悪化しようが、よほどの状態じゃない限りは3日間は対応してもらえない夜間・休日に突入してしまう。
「悪くなったら対応を考えます。だって、人工呼吸器に乗ったら、何か対応が必要でしょ?」( ・´ー・`)ドヤ
この医師の言葉に恐怖を覚えない人はいないだろう。
対処法がある状況でも、人工呼吸器が必要になるような事態に至る前に対処しようとは、更々思っていないと言っているのと同じだ。そんな状況になってから、考え始めてどうにかなることばかりではない。
繰り返すが、何も治療はしていない。点滴もしていないし、投薬もしていない。全く何もせずに、ただやり過ごそうというのが、ここでの「様子見よう」という発言だ。
今この瞬間は、命の危機にさらされていなくとも、苦しいものは苦しい。もうすでに我慢の限界にきているのに、ただ耐えるなんて!あんまりだ。(そもそも、我慢すべきではない状態。)
私は食い下がった。
「何も知らなかったら、βブロッカーを処方してくださいとお願いしたいくらい苦しいです!」(脈を下げる薬を出してほしいと思うくらい苦しい)
「しかし、何かを代償するために頻脈になっているのであれば、安易に脈を下げるのは危険な時もあります。脈を下げたとたんに血圧が急降下したら大変です。私は元々心不全もあります。循環器内科にコンサルしてください。」
主治医は再び「脱水だったら問題ない。様子見よう。」と切り出すが、すかさず反論する。
繰り返すようですが、輸液はなし、介入・治療ゼロの状況です。さっきまで、脈175以上を頻発していて、今はベースが120-130、頻繁に脈150以上です。
「金曜日の16時ですよ!」
「今を逃したら、土日に入ってしまいます。」
「非常に苦しくいです。もう、耐えられません。コンサルをお願いします。」
渋々コンサルをかけてくれた。
この時、ベッドサイドでのエコー検査にて、極度に下大静脈が虚脱していた(6mm)、容易にぺしゃんこになった。
㊟下大静脈は12mm以下でComplete Collapseと定義される状態である。下大静脈は通常は(20-25mm)。詳しくは→https://discoverecho.com/ivc-assessment-echo/
加えて、この日の朝すでに、入院時のヘモグロビン(Hb)から2g減っていた。(輸血1パックがHb約1g。大体輸血パックで二つ相当が、たった一日で減少している。(パソコンで見れる検査の絶対数は悪くない。貧血の進行は完全に無視されていた。それでもこの時点では、まだ大丈夫なHbの絶対数ではあったのが功を奏したのだろう。)
身体は急な変化に弱い。
かなりの脱水に急に新たに貧血も合併。
心臓は空打ちでも回数で稼いでどうにかしようとしていたのであろう。(薄くなった血液、かつ足りない血液量を何とか心拍数を増加させることで必要な臓器に十分な酸素を運ぼうとして頑張っていた。)
血圧はこの時80/50mg程度。(通常大体120/60mmHg程度が多い)
高齢者であれば、心臓が追い付かず、元々つまりかけていた脳血管の1本や2本詰まっていたかもしれない。
そしたら、脳梗塞だ。
もちろん、元々狭心症でもあったら、心筋梗塞にもなっていたリスクだって十二分にある。
こういう時に、身体が代償できないと、こういった「万が一」のことが起きてしまう。
何時間か後に、看護師さんが「先生から輸液のオーダーが出ました。一周してからライン確保して、点滴開始していいですか?」と。
私はかなり点滴のライン(針)を入れるのが難しい。
もう夜勤体制の時間だろうと思っていた。
無理を言って、迷惑をかけるのは避けるべきだとも。
重要な時、本当に素早く対応してもらわないと非常に危険な時に、「急いでください」という言葉が重みを失っていては、最悪だ。
血管確保が難しいのだから、たかが点滴を始めるだけで、何十分もかかる。いや、脱水だと血管はさらに虚脱してる。何回も手を代えて、入るのに一時間以上かかることもしばしば。
看護師さんが病院で一番頼りになる存在だ。世界で一番尊敬している職でもある。そして、医師も人間である以上、万能ではない。看護師さんが必要な指示を促してくれ、時には医者に強く訴えてくれることで救われる命がいかに多いことか。
そして、看護師さんはとても忙しい。仕事が多いのに、多くの病院では人数が減らされているようだ。面倒はかけるべきではない。また、いざという時に、味方でないと命に関わる。強くお願いをするのは、本当に重大なことに限るべきだと私は考える。
今は辛いが、緊急事態ではない。配慮の方が重要度が高い。
㊟実際に、ここまで考察して行動を取っていたわけではない。本能的に看護師さんには迷惑はかけない方がいいと思っていたのである。しかし、敢えて具体的にその理由の一部を書き出すとしたら、こういうことかもしれない。私は自分の考えや思いに鈍感なところがある。漠然とした本能や感覚を的確に言語化するのはあまり得意ではないだろう。
この極度の脱水の時も、日に2-3リットルは尿量出ていた。普通はもっとおしっこを濃くして、身体が目いっぱい水分を外に出すまいとするんだけど…(絶対量のみで判断し、特に問題視されなかった。)
幸いにも、まだ若者の分類に位置づけられる私は、心不全+極度の脱水とはいえ、代償できていた。
眠る時も、ギャッジアップして入眠した。
夜中に目が覚めたら、苦しさがかなりマシになっていた。
あまりの改善に驚き、とっさにモニターに目をやると、脈も元通り。見事に80台で落ち着いている。同時に、担当医が一言急いでって看護師さんに声をかけておいてくれたら、あんなに長い間無駄に苦しまずに済んだということに憤りを覚えた。輸液でここまで体感的な症状が改善することには、正直想像できていなかった。逆に、脱水であそこまで体感的に苦しく、補助呼吸筋をフル動員して呼吸をしなければいけないほどになるとは…
熱中症で亡くなる人が出ることは、毎年ニュースになっているのにね。病院に運ばれるご高齢の熱中症の患者さんは意識も混濁していることが多い。たかが脱水、されど脱水。私は、若かったし、臓器が代償できたから、事なきを終えた。しかし、代償不十分な患者さんだったら、取り返しのつかない合併症になってしまうかもしれない。そして、代償できていようが、これほど苦しいことを初めて知った。(反省…)
そこまで思うのなら、自分で看護師さんが一周してからでいいか聞いたときに、「いや、できれば早めにお願いしたいです。」くらい言えればよかったのだ。体感的にこれほどまでの改善があることを知っていたら、「できれば…」とお願いしていたかもしれない。
しかし、病院で患者の一番近くにいて、何かの時に真っ先に私の命をつないでくれるのは看護師さんだ。
看護師判断で直ぐに介入できることも多い。
万が一にも、医者がミスした時、それにいち早く気が付き、医者に対応を要請するのも看護師さんだ。
必要以上に忙しい業務の支障になるようなことは避けたいと、私は考えてしまうのだ…
いくら、体幹的には劇的に改善し、「もっと早く輸液をしてもらえたら、もっと早く楽になれていたのに」とあとから振り返れば思えても、この時無理に輸液、それもただの乳酸リンゲルを「急ぎで」と私の口からいわなかったことは、懸命だっただろうと思っている。
「たかが脱水」、「この患者大げさ」、「この患者わがまま」、「この患者嫌い」などとなってしまおうもんなら…(この程度のことで、対応など変わらないと信じたいが)
あまりにも看護師のおかげで命拾いした経験が多すぎる。
石橋を叩いて渡るくらい慎重なくらいがちょうどいい時もある。
重ねて言うが、私は体調不良の真っただ中にここまで計算できるような人間ではない。常日頃から、計算して動くタイプではなく、ただ最大限のことをやる性格だ。これは、あくまで、振り返って言葉を添えるとしたら、おそらくこのようなことだということ。
元々が栄養状態が良くて良かった。
元々最大限に健康に努めていなかったら、もっと重大なことに繋がっていた可能性もあったかもしれない。
私が病院のシステムをある程度知っていてよかった。
苦しいという一言で片づけず、もっと捕捉できる知識があってよかった。
捕捉ですが、ここの看護師さん方には非常に良くしていただきました。とても丁寧で、理解も深く、迅速に対応してくださいました。一般病棟でしたが、モニターでの異常にも直ぐに気が付き、飛んできてくれました。
おそらく、様々な気を遣わずとも、その丁寧で優しい対応は変わらなかっただろうと思います。気を遣わずにいられる性格だったらどんなにいいか。医者にはかなり無遠慮なんですがね。看護師さんは、やはりあまりにも命を救われた経験が多すぎたのでしょう。かなり心の中で立てている存在です。
じゃぁ、医者には救われなかったのかというと、かなり救われています。そして、多くの医者には感謝してもしきれません。ただ、全員にはそうじゃない。気持ちの中でのこの違いは何なのでしょうね。
私は自分にはとても厳しいです。また、医者は私より「知っていて当たり前」とも思っています。私は、案外自己評価が高くないのかもしれない。だから、自分が知っていることは常識だと思っている。それすら知らないということに対して非常に厳しい意見を持っているのだろう。指示を出す立場とか、他にも色々あるのでしょう。もっと、やってもらったことに感謝しないといけないですね。けど、もうちょっと気配りがあれば、こんなに苦しまずに済んだのに!という場面では、どうしても、「できたのにやってくれなかった」という思いとして生まれてしまいます。
それは欲深さ故なのかもしれません。そもそも、病気の治療が受けられるというだけでも、感謝をしなければいけないのに、対応していただかなければ、もっと悲惨なのに…
本当は、パーフェクトじゃなくても、「あんなにやってくれてありがとう」って思うべきなのに…
なんでだろう。
「以前はもっと上手く行っていった」とか、
「下手したら合併症が…」とか…
うーん。考え方を改めなければいけないですよね。
気持ちの整理ですが、ここ↓に色々書いてます。
読者のあなたがもし患者さんなら、辛い時や何かをしてもらいたい時には、是非積極的に言ってください。人間は比較して考える生き物なのでしょう。もっと大変な人もいるでしょう。逆に、もっと大丈夫な人もいるでしょう。
人は言わないと分からないことも多いですし、医学的に「危険」か否かは分かっても、現状の体感的苦しさは本人以外のだれにも分かりません。
医療関係者の皆様へ
いつも手厚い対応をありがとうございます。かなり丁寧で恵まれた対応をしていただいたのは分かっており、心から感謝してます。
一つお願いできるのならば、軽症であろうとも、辛くないというわけではありません。多分、病院にいる時点で全ての患者が何かしらの苦しみを抱えていることでしょう。これを知ってもらいたいです。
医療関係者こそ、日々極限状態で働いているから、感謝以外の感情が場違いであろうことも分かってはいるつもりです。
それでも、患者の声として表現されない面も知ってもらいたくて書いてます。どうぞご理解ください。
いいなと思ったら応援しよう!
