病状❌様子見❌代償

病状悪化時の「様子見ましょう」という判断が、時として危険な場合がある。

必要な経過観察と、危険を伴う、その場しのぎの「様子見」の違いはなんだろう。

それは、「様子見」をする背景によって大きく変わるし、疾患によってもかなり違う。

(1)どのような変化があるかによって、対応を変える必要があり、どの対応にするかの判断のために必要な観察期間。

(2)どうすればいいのか分からないから、様子見ということにして、医者が考える時間をもらう。

(3)忙しくて、対応している時間がないから、とりあえず「様子見」ということにする場合。

(4)別の医師に申し送る日が目前に迫っており、それまで「様子見」でやり過ごしてしまう場合。

(1)のように、病気を理解し、治療方法も知っており、患者にとっての最善を模索する手段としての「様子見」は必要だし、むしろ賞賛されるだろう。

しかし、医者が時間稼ぎのみを目的として「様子見」と指示する場合、神様が時間を与えるわけでも、猶予を与えるわけでもない。

(2)〜(4)の対応の代償は患者が払う。

後回しにした分だけ病状が進行し、対応がより一層難しくなる。

そうすることによって生まれる苦しみも、苦難も、時間のロスも、治療抵抗性の増大も、人生の進路変更やしいては命の短縮まで、これらの代償は全て患者自身が、そして患者のみが払う。

良医ならば、対応を考え、対処が遅れたことで増えた処置や書類に明け暮れ、患者の苦しみや人生への影響に良心の呵責を感じるかもしれない。

一昔前ならば、それで病院に泊まり込んで患者の診察に当たった医師も多かったそう。

そうは言っても、仕事場で仕事が増えるだけではないか。普段よりも気持ちが沈むことが増えたとしても、患者が病気によって受ける拷問に比べたら、どうだろう。若い医師ならば、忙しさも経験と勉強になり、むしろ歓迎するかもしれない。プライベートでストレスを発散することもできるし、気分転換もできる。

患者は? 病院のベッドでもがき苦しみ、キャリアや人生設計が大きく改変され、治療費が大幅に嵩み…… 初期対応がスムーズに行っていた場合の日常生活とは全く別の泥沼にハマる。

たった一度の対応の遅れにより、悪循環に堕ちってしまったら、ドツボから抜け出せなくなる場合もあるかもしれない。

とりあえず、「様子見ましょうと言ってから、考えようか」ではなく、

「もう少し考えてから、様子見」という判断も選択肢に入れてもらいたい。

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KG
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