世界一分かりやすいポーカーフェイス?の思考

めちゃくちゃ感情が表に出るけど、本音の中の……ほんの一部分の「辛い」という本音は他者に言葉にして言えない理由がある。(自己分析?)


多分、ポロッポロッとは色々漏れ出るんだとは思う。


けど、面と向かって「辛いですか?」とか「大丈夫ですか?」と聞かれたら、先ずは「大丈夫です」と言葉では答えてしまう。


何故?


一番の理由は、「辛い」という自覚がないからなのだろうと思う。


症状の有無ではなく、その症状が許容できず、我慢できない域に達しているかが「辛いですか?」や「大丈夫ですか?」の回答になっている。(少なくとも私の場合)


二つ目は、「辛いです」と言って、なにか好転の足がかりや解決策に繋がるわけでもない場合には、対処が存在しないと知ったうえで(「大丈夫じゃないです。理由はA」=)「Aの事象の対処が欲しいです」と伝えることでお互いにWIN‐WINになると感じない場合。(これも、後で補足する。)


三つめの理由は、議題として最も重要な疾患Aが注視すべき鑑別疾患だが、急も処置も要しない疾患Bの症状が存在している場合。(紛らわしい時は迷うが、いずれにしても私自身がわりと自分で状況と診断を確信してから伝える悪癖がある……)


一つ目の理由は、ある意味で私が「辛い」や「大丈夫」という意味を誤解している可能性はあろう。私はこれらをもう耐えうる限界を遥かに超えた、もだえ苦しむ一刻を争って対処を急ぐ事態か否かと考えてしまう。(あるいは、対処しないと迷惑をかけてしまう可能性がある事態。)


すると、一刻を争う救命措置に繋がらない場合の殆どは、「大丈夫」以上でも以下でもないことになる。


もう一点、嘔吐の可能性は、他者に掃除をしてもらう可能性がある。すると、掃除が必要にならないよう、嘔気がどうにもならずとも、制吐は気にする。


二つ目の対処が存在しない場合について。

たとえば……絶対に必要な抗がん剤治療があったとしよう。

「辛いです」と言っても、それが必要な治療ならば施される。

場合によっては、副作用を減らす薬をいじって、改善を図れる。それでも、消えない副作用もある。それが、ただ「辛い」と言葉にするだけで、症状がなくなるわけでもない。


必要な治療で、「辛いです」と言った時、

  • 治療続行

  • 治療中止

の二択が提示されたとしよう。


治療を続行しても、現在辛いと感じることは継続する。

必要な治療を目先の辛さ軽減だけを理由に止めたとしよう。そうしたら、後々もっと辛い症状に苦しめられる。


結局、辛いことAを辛いと言って受け入れるか、辛いことAを嫌がって別の辛いことBと取り替えるかの差だろう。


辛いと直視して、嘆いて、回復することで色々良い方向にいく場合もあるかもしれない。しかし、ただただ意味もなく、解決策も伝えず(解決策が存在しない状況で)、「辛い」とか「大丈夫じゃない」ということの意義が、その状態を無視しようとするベネフィットを上回ることばかりではない。


あるいは、自分でも逃避することで、症状を認識し、それを無視して自分にとって大切なことに集中するのかもしれない。


あるいは、その辛さで言葉を発することすら辛く、同じエネルギーで他者と意思疎通を図るならば、無視したい辛さではなく、別のなにかを言葉にしたいという本人の意志とプライオリティーかもしれない。


この点の延長として、癖になっている思考がある。別の記事に書くが、治療Aで予期される副作用であり、既に最大限対処している場合、それは心のなかで「辛いこと」ではなくなる例外となる。


例えば、同じ抗がん剤の副作用を例に出すと、「大丈夫ですか?」という相手の質問を勝手に頭の中で改変し、「対処できるプロブレムや予期せぬ異常はありますか?」としてしまう。すると、毎回抗がん剤の副作用で感じる嘔気や食欲不振、倦怠感といったものは誰にもどうにもできず、危機感を抱くべき情報ではない。そして、上記の考えのもと、耐えうるものかつ治療の可否や是非を左右しないので、伝える必要が高い重要事項から外れる。すると、「大丈夫?」という質問の回答は「大丈夫」となってしまう。その時、「吐き気はありますか?」と聞かれれば、「あります」と答えるだろう。他の症状もピンポイントで聞かれれば、「あります」と答えた上で、詳細も聞かれたら、快く詳細を伝えることだろう。ただ、状況状況に応じて自分の体調の期待値を常に調整するか、想定内かつ必須の対処や危機感を抱くべき鑑別がなければ、敢えて伝えるほどでもないかな?と自分で情報分別を無意識下にしているのかもしれない。


これは、三つ目の重大な鑑別疾患が議題に上っている際に、それ以外の雑情報の断捨離とも関係している。


仮に、

  • 敗血症性ショック

  • アナフィラキシーショック

  • 出血性ショック

の三つが鑑別に上がっている緊急事態だとしよう。


その時、「大丈夫ですか?」と質問した際には、人生の困りごとを聞いているのではなく、今まさに命を脅かしており、急いで対処しなければいけない病気に関して聞いている。


この時、「いいえ、大丈夫ではありません。自宅に先月忘れてきた消しゴムが気になります。」という回答は要点がズレている。(これは、違う意味で鑑別に有意義だったりしてね。)


これは、あまりにも極端な例だろう。


しかし、似たように、重大な鑑別疾患が上がり、それを少しでも疑った瞬間にコードブルーが発令されると知った上で、自分の中でその重大な疾病を除外した上で、紛らわしいけれども軽症で対処が不要(ないし対症療法の投薬を望まない)時に、あえて「大丈夫じゃないです。Aのコードブルー発令をすべき疾患に似ているけど、違うと確信している症状があります。あなたがこれを聞いたら、絶対に医師に連絡ないし、それを飛ばしてコードブルーを発令しないといけないのは知っているけれども、この困っていない症状があります。」って言うのは……どうだろう?(当然、鑑別が難しく、それでもきちんと専門家と現場スタッフが周知すべき内容は伝えるべきだ。ただ、既に診断を)


まぁ、本当はゴチャゴチャ考えず、無駄にフィルターせず、普通に意思疎通するのが一番なんだよね。


私は幸い、見れば何を考えていて、何を感じているかサクッと見える、分かりやすい人なので、これでも周囲が分かってくれる。


皆さんはもっと上手くコミュニケーション取ってね😉


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