【楽しい時】場所を選ばず

どんな時に、どんな場所で楽しいと感じますか?

本題の前に、ちょっと昔話をします。

私が子供の頃、日本の映画館で父と2人で映画を見たことがあります。

当然、洋画を英語で見たのですが、その時印象的だったことがあるんです。

映画館は空いてはいましたが、まぁ三分の一から半分くらいの席は埋まっていたでしょうか?

私は片腕にポップコーン、もう片手に私を連れた父と一緒に、中央ら辺の一番見えやすい場所に座りました。

いつもわりと空いている映画館に並ばない時間に行って、快適に楽しむのが我が家のスタイルでした。

アメリカの映画館とかでは、赤ちゃんがすっぽり入るようなバケツのポップコーンに、大の大人男性の上腕を二本すっぽり入れてもスカスカなくらい大きなドリンクを巨体の大人が抱えて映画を見るのはいつもの光景です。

そして、面白いシーンでは観客から笑いが沸き起こったんじゃないかな?(あんまり映画館の雰囲気は記憶がハッキリあるわけではない……ひゃ~記憶力落ちたな……)

ある時、日本のど田舎で映画を見た際、父の笑い声だけが稲妻の如く鳴り響いていたのは、よく覚えています。

ま、そんなこんなで、日本の人達の笑わない印象と、父の笑う印象が凄くハッキリ記憶にあります。

当時(小学生くらい?)は、なんだか一人だけ目立つのが嫌だと思った記憶はありますが、人って成長?すると変わるものですね。(まぁ、どの道どこへ行っても、私達は目立ちました。金髪の巨体のスーパースターとセーラームーンだかバービーの子供版かのように誰からも見られ、時には指を指して「外国人」と言う人もいれば、店に入っただけで子供がお母さんの脚の反対側に隠れようとします。欧米にいれば、母はアジア人が少ない地域では目立ち、私も母と一緒に居る時に目立ちます。何処にいても、何処に行っても誰かしら知人が私のいた場所や私の行動を私よりも詳細に記憶していました。目立つことに慣れる運命ですね。同じ芸能人待遇なら、ファンサービスで給料欲しかったなぁ、と今となっては思ったり……  今からでも、芸能界でパートでもするか?いやいや、時代が違う? そもそも、そんな楽な世界じゃないだろう……)

当時は、最初こそ目立つことをどう思ったのだろう? 私が目立つことをどう感じたかは覚えていませんが、恥ずかしいという概念自体はありましたし、何かの時にそう思うこともありました。しかし今では、自分の車椅子に座って、一人で病院で読書をしている時でも、電車の中でも(混んでる場所では、煩すぎないようになるべく気をつけますが)、公園でも、正直どこでも、面白ければ笑う傾向があります。

そして、一人で笑う時に、特に何も感じなくなりました。

そうだなぁ。

病院に入院しているという表現はどれくらい正確なのでしょうね? もはや、病院に住んでいるとか、当たり前の生活の一部に、通院や入院治療があるという意識に練り上げられているかもしれませんね。

こういうと、批判を浴びそうですが、今でも毎日22時には就寝し、毎日規則正しくてバランスの取れた食事を摂取するよう努めています。運動も、できる体調ならば、できる分だけ必ずやるように心がけています。朝陽を浴びる習慣もあります。禁酒・禁煙、アルコールは生涯で数える程しか試したことはなく、それでも多くて数年にワイン一杯いかない程度でしょう。煙草は、興味本位で一回だけ友達のを吸おうとして、むせて吸えず(幸いなことに)それ以降一切接触していません。ありがたいことに、非常に強い禁煙思考(煙草・ニコチン含めた薬に強く反対する家庭で幼稚園児の頃から再三いかに危険かを聞かされ、父は自分のいる席で誰かが煙草を吸い始めたら、事情を告げて立ち去る程に強い禁煙斡旋者だったので、私もその辺の価値観をある程度受け継いでいます。喫煙こそ、マイナンバーと紐づけして欲しいです。)

だから、多分私は院内でスタッフや子供を含めたほとんど全ての人々よりも健康的な生活を心がけ、体を労ってはいるつもりです。

その上で、病院での治療が必要な時には、それを嘆かない姿勢でいます。

読者の誰もが、おそらくはトイレが必要なことを嘆かないのと同じように、治療が必要なことも生活の一部になったら、それに慣れる(馴染む)までです。

そして、クリスマスや新年、誕生日、バレンタインデーやハロウィン、あらゆる記念日も、病院にいながら楽しむか、病院から出た時に日付を変えて祝えばいいだけの話。

楽しい場所に行かずとも、自分のいる場所に「楽しみ」を引き寄せればいいだけの話。

だから、お祝いはいつでもどこでも可能です。

そして、どこにいても、他覚的には過酷そうな状況にあっても、自分自身が楽しいとか、面白いと感じ、喜んだり、幸福感を感じられれば、それで良いと思います。

まぁ、ある意味幼少期から我が家だけ目立ったからこそ、今も目立つ境遇を特に意識することがないという幸運なのかもしれません。

そして、他者から見た不遇においても、私自身は何か楽しめることを見つけます。その際、誰の目も気にせずに楽しければ笑顔になり、面白ければ笑います。

もしも、その場で面白いことがなければ、自分で編み出せば良いだけです。

本を読んだり、自分でゲームを作って遊んだり、周囲を観察したり。(周囲の観察とは、人を観察というわけではなく、壁や窓の外、植木や建物の構造など、なんでも関心が湧いて感動できることはあります。)

そうこうして、何か楽しんでいると、気がつけば時が流れ、色々体調も改善し、他にもっと積極的に取り込める時期も訪れる場合があります。

まぁ、水に流されるように、その場その場で興味が湧くことや新しい創造に取り組むと、器用貧乏になっちゃいそうですね。けれども、案外色々繋がって、なんだか上手くいくこともあります。

今この瞬間を楽しめば、次に繋がることでしょう。

そして、どこでどういう状況にあっても、楽しめることはあるものです。

今を大切に生きよう!

↓↓病院での楽しい・面白い思い出↓↓(青春?🤣)

いいなと思ったら応援しよう!

KG
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。