ブレーキ
最近、ようやく少しブレーキを踏むタイミングを覚え始めた気がする。
子供の頃から体力は有り余っており、いくらでも走り続けられた。本当に、比喩ではなく😅
体力がありすぎて、疲労感もイマイチ覚えずきたのかもしれない。
初発時もいざリハビリができるようになったら、とめどなくリハビリして、あり得ないスピードで回復していった。
そういえば、中学2年生の新年の抱負に「毎日筋トレ」と書いて以来、本当に一日たりとも筋トレを怠った日はなかったなぁ。
そういえば、人工呼吸器装着中も、もしも体が動けば、きっちり動ける範囲内で何かしらやっていた。
「自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道だから!」
パクリじゃないよ🤣うずまきナルトの決め台詞を読んだのは、多分もっと先のこと。
いつしか、疲労感よりも病気の症状が先行して現れるようになった。
疲労を感じる前に病気がサインを出してくる。
しかし、元々体のサインに相当疎い私が容易に気がつくはずもない。
ましてや、元々は「別に大丈夫でしょ?」というノリでなんでも大丈夫だろうと無視してしまう性格だ。
加えて、過集中で、何かに没頭したら、周囲の音も聞こえないし、喉の渇きや空腹感すら感じない.......
平時ですら、気をつけていないと見過ごすサインに気がつくはずもない。
なので、相当注意して「無理せず」行動しているつもりでも、起因はよく分からないけど再発しているということも多々あった。
当然、再発自体は防ぎようがない場合だってある。無理をしたからとか、症状を察知できなかったとか、疲労感を察知できなかったとかだけで再発するとは限らない。
でも、現在では、自分の体の状態のサインは以前よりも気をつけて見るように努力はしている。
うーん。
それでも難しいけど。
ただ、最近いわゆる疲労感というやつを感じることがあるのかもしれない。
こっちとしては、非常に喜ばしいことでもある。
だって、裏を返せば、病気の症状が現れるタイミングが若干変化したということかもしれない。
即ち、回復している証拠かもしれない。
もう一つは、疲労感でブレーキを踏めるのであれば、これは無理をしない絶好のサインになっているかもしれないから😊
今までずっと、「無理はしないで!」と言われ続け、自分でも無理はしないように気をつけていた。
しかし、たとえば、午後1時(13時)までは座っていても大丈夫だけど、それが午後2時までだと身体に響くとしよう。
こんな微妙な違い、気がつけますか?
日々行動内容が違い、特に絶賛回復中で許容できる活動量が変化している時などには、ちょっとやり過ぎる時もある。
成功と失敗を繰り返す中で、調整して上手くバランスを取っていくもんでしょ?
たった一度の若干の許容以上の動作で最低でも数ヶ月以上の体調不良というのは....... ちょっと、流石にハードルが高いでしょ!
振り返ると、もしかしたら、と思い当たることが一つなだけで、実は色々蓄積しているのかな?
けど、最近少し疲労感というものが何かを若干学習している気がする。
すると、「これはきっと自分が疲れている」と思えた時や「もしかして、疲れているのかな?」と少しでも疑えた時には、問答無用で「休息」を選択できる。
同時に、負荷が重なっていそうな時期には、色々な所に頭を下げてでも、「無理です」って言うことも覚えてきた気がする。
以前は、自分がちょこっと我慢するだけで、ことが丸く収まるのであれば、自分さえ我慢すれば良いと思っていた(部分もある........)
一時はもっとガンガン言って、それはそれでイマイチだと知り、現在ちょうど言う程度と我慢の程度を調整中ということになるだろうか。
まぁ、まさに乳幼児が他者との接し方・関わり方を初めて覚える時のように、今私が絶賛再学習中なのかもしれない。
この ¿リハビリ期間? の中で、一番の収穫は、何といっても「疲労感」なるものを自覚できる兆しが生まれたことだろう。
今までブレーキの踏み方すら知らなかったといったら、大袈裟かな?
匙加減が下手だったのだろう。
この数年で、自身の行動の匙加減を学習しつつあり、ブレーキを踏むタイミングを覚え始めたというのは、人生最大の収穫かもしれない。
皆さんも上手く適度な匙加減で頑張ってくださいね。
今を大切に生きよう!