【神言葉】「しょうがない」
魔法のような効果を発揮する言葉、「しょうがない」
もしかすると、「しょうがない」は諦めの言動ではなく、自己肯定の言葉なのかもしれない。
何も全てを受け入れるべきだとか、何が起きても水に流せという意味ではない。無論、努力を放棄して流れのみに任せるなどという考え方でもない。
平時ならば上手く行っていたのに、何故あの時このような結果に繋がってしまったのだろうか? と思う場面も出てくるかもしれない。
私の場合、それは骨髄移植という人生最大の賭けでの出来事。
結果としては、その後再発した時点で失敗に終わっている。
臓器障害もかさみ、正直移植をしたこと自体を悔やむ瞬間が無いわけでもない。
しかし、考え方を変えたら、実は貴重な経験は沢山できているし、時間も稼いでいる。
目的を「完治」のみにしてしまうと、確かに成功ではないであろう。しかし、しかし、しかし…… FAIL(失敗)じゃないと考えたい。
確かに、もっと用意周到に情報収集をしてし、もっと良い施設やもっと経験豊富な医師の元、もっと知識が深くて丁寧に考察してくれたかもしれない医療チームの元、自分がその道のリーダー並みの知識と経験を得た後での実施、考え出したらいくらでも改善できた可能性があるかもしれない点は思いつく。
しかし、当時の状況、病状、生活区域や活動域などを諸々加味すると、当時はあれが精一杯だった。
移植直前に文献を読み漁る体力や精神力、様々なエネルギーが枯渇してきていた。
第一、たかだか20代で一人の人間が2つも3つもの分野の世界トップの専門家らを超え、現在は知られているが当時は知られていなかった事実を想像できなかったことに罪はない。
いやね、確かに今になってそのような情報を読めば、そうかやっぱり、と思うこともある。
実際に医師にお願いして断られた内容もある。
確かに、非常に難しい匙加減とカクテルで国内初症例を生きて成功させるためには、まずは命を失わないプランが大切だ。
今思い返せば、もっと安全で効果があったかもしれない薬剤を思いつくことも不可能ではなかったかもしれない。しかし、それはあくまで後日談としての結末を知り、情報を集め、時間をかけて考察した末に導き出した「一つの可能性」に過ぎない。
実際には、それを試していたとしても、結局FAILだったかもしれないし、もっと悲惨な何かに繋がっていたかもしれない。
当時、移植直前に少しデータから距離を起き、自分の心と士気を保ちつつ、最善のアウトカムを信じ続けるためには、あれ以上のことが出来なかった。できたこともできなかったことも含めて、あれが最大限のパフォーマンスだった。
むしろ、移植前の抗がん剤治療中に卒業試験やら国家試験を受けて通っていることの方が凄い。
さらには、国内トップと対等にディスカッションできるまで知識が深かったのもとてつもなく凄い。
複数の分野の教授かつその分野の国内トップを説得できたのも凄い。
何より、あの状況に漕ぎつけられた人は他に存在しない。
ある意味、世界初症例なのだ。
同疾患での移植成功例は存在する。しかし、同じ環境と状況では、私一人だ。世界に私は一人しかいないから、ある意味当たり前かもしれないが、それでも結構な功績だろう。
確かに、思い返してあーだこーだ言い出したら、何事も改善点は後付けできる。
しかし、だからこそ、当時を振り返り、当時の全力を思い出し、パーフェクトじゃない部分もあったかもしれなくとも、当時の諸々の条件を鑑みた上で、あれが自分にできた最善だったと結論づけることが心の平静と未来を見つめる上で非常に大切に思う。
「しょうがない」
ベストを尽くした。
いや、120%を尽くした。
達成できたことも沢山ある。
結果は望んだそれと100%は合致せずとも、収穫もあった。
あれでよかった。
自分の努力と功績を認め、できたことを褒めてあげよう。
「しょうがない」は諦めの言動ではなく、自己肯定の言葉なのかもしれない。
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