臓器移植はWIN-WIN-WIN
患者にとっても、社会にとっても、遺族にとっても、臓器移植って最高のオプションだと思いませんか?
ドナーを待つ患者にとって、臓器移植は命。
しかし、社会にとっても実は絶大なベネフィットがある。医療費の削減だ。
え、移植って高いんでしょう?
高いです。
でも、臓器不全による症状は回復するし、臓器不全のための治療も臓器が機能していれば不要になる。
移植後健常者と変わらない生活に戻れて、仕事をし、子育てをし、ある程度遊ぶこともあるだろう。社会の一員に戻っていくことが出来る。
だって、臓器不全が原因で入院や外来の治療を沢山重ねなければいけないのだから、臓器が健康になれば、臓器不全症状は軽快する。
魔法の「完治」
実際には、移植前の合併症や長期免疫抑制剤内服による影響など、全てが無かったことになる魔法とは少し違う。
そうは言っても、沢山の改善点があり、労働人口として社会貢献することができる。
例えば、週に3回の透析を受けていた患者が腎臓移植を受けたら、透析は不要になる。透析の値段は医療費がゼロになるのだ。もちろん、病院のベッドで透析を受けている時間に仕事が出来る人も増えるだろう。
社会にとっても、患者にとっても、臓器移植で健康を取り戻すことは非常に利益率が高い。要は、コスパが良いということになる。
では、脳死ドナーの遺族はどうだろう?
私だったら、家族の死後、その臓器で誰かが生き、私の家族がその人にとってもかけがえのない存在になることは嬉しい。
もっと言うなら、セルメモリーなどがあり、実はその人の中で家族が生きているなんてことがあったら、素敵だとも思う。科学的には証明されていなくとも、夢があると思いませんか?
私自身は、生い立ちの影響か、小児期にドナーカードを持ち歩き始めた。いつ事故で自分が死んだとしても、自分の臓器は誰かの命を繋ぐのに役立って欲しいと願ったからだ。
もちろん、友人や家族の死を目の前に、自身でできることが限られていたものの、移植ドナーになるという意思表示だけは自分に可能なことだから、という背景もあるかも知れない。
ご遺体を前に、私はその人は既に天国に旅立ったものと考えていることも影響しているだろう。
自分の遺体はもちろん、病理解剖に回してもらって、将来の医学の発展と患者の救命への情報収集に役立ててもらいたい。
家族の遺体であっても、解剖すること肯定している。
葬式で家族の遺体を見た時、その人に会えなくなって悲しいとかは思うが、その身体に死後魂が宿り続けるとは信じていない。
信仰や文化というのは影響しているかも知れない。
なので、各々が信じることによって感じ方は変わることと思うが、一意見として、臓器を提供することで遺族も救われる考え方もあることは知っていただきたい。
患者が助かり、医療費問題の改善、景気・経済への好影響、さらにはドナーやドナー家族の心の救い、こんな三拍子揃った治療が他にあろうか?
今一度、「医療費削減」という言葉で予算を削ることにのみ集中せず、様々な手段や策も併せて考えられることを知っていただければ幸いだ。
あなたも臓器提供について考え、身近な家族や友人と話し合おう。
命のバトンを繋げよう!
信仰に反して強要するつもりはありません。一意見として受け止めていただけたら幸いです。