リンパ芽球性リンパ腫・白血病(0) 緊急入院・診断までのできごと
遠い異国でのできごとです。これが事実か、フィクションかは読者さんの判断に委ねます。
前話
〜<森のくまさん替え歌>〜
ある〜日🎶、
ド田〜舎で🎶、(森の中)
CT〜と🎶、(熊さんに)
出〜会〜った🎶……
花咲く森の道〜〜〜リンパ腫にっ出会〜った🤣🎶
(花咲く森の道、熊さんに出合った🎶)
なーんてね。
アホみたいな歌詞ですが、誰もが知る「森のくまさん」にハメてみました。
えーと、レントゲンを撮影した経緯は別のnoteにも書いたのですが、大枠だけ……
結構楽しくやってたんですよ🤣🤣🤣
研修前の検診結果提出書類に胸部レントゲンがあったので、少なくとも症状の自覚は皆無な状態でレントゲンを撮りました。
ま~~~ったく、予想外の「リンパ腫」宣告💦
もう、その場で声高らかに大笑い。そして、笑いだしたら、笑いが止まらなくなってしまいました。
いやね。もう、笑うしかない時ってありますよね。
健康だって証明をもらうためだけに、しょうがなくレントゲン受けただけだったんでね。🤣(レントゲン撮影時のことはハショリます。)
けど、一回普段の持病の主治医に相談して、色々調べて、大丈夫そうだねってなったんですよ。
だから、普通にただのヒヤリハット的笑い話で完結したと、もう早々にこの出来事を忘れていました。(こういうことって良くありません?)
で、近隣国で外科研修をやりに国境を越えて、バリバリ手術に入ってたんです。
研修医の仕事なので、朝一で病棟を回って、その階の全ての朝の採血やルート確保(点滴の針入れ)を終わらせて、検体を同病棟のそれ用の場所に置きます。(あるいは、院内がカプセルトランスポートで繋がっている場合には、検査室に飛ばします。)
ざっと毎朝10人?20人?30人? 30cmX15cmくらいの箱にビッシリ採血用のスピッツ(管)に名前が貼られ、上に部屋番号が分かるようにされていたいました。その箱を取り、奥の部屋から順に採血をしていきます。
「おはようございます😊 採血に来ました。」と部屋を入る時に挨拶をして、採血前に名前と生年月日を確認します。
「ハイ。チクッとしまーす。」
そのように、ダーッと部屋を回ります。この時、後に残しておいて声をかけると、先輩が採血してくれるので、稀に主治医以外は嫌だと断る患者さんや、相当難しそうで1発で入らなかった患者さん、万が一2回失敗したら、それらは周囲に代わってもらいました。その日の相性もありますから。(当然、私が同僚や先輩に代わって入れる時もあります。皆同じチームですから☺️)
せっかく入って血が引けているのに、血が十分量採れない時ってありますよね。その時のために各々のスピッツ(管)を数本胸ポケットに刺して、患者さんと雑談に花を咲かせながら採血していきます。必要とあらば、胸ポケットから予備のスピッツ(管)を取り出し、笑顔で雑談しながら刺し替えて、患者さんを必要以上に刺す回数を最低限に抑えながらね。
正直、数えたことがないので日に何件かは分かりませんし、日によっても違います。ただ、皆がこのように研修中は病棟の朝を任されます。外科研修中、私は大体はワンフロアの採血とルート確保をしていましたが、時間に余裕がある時は、3フロアあったので、ヘルプを含めてツーフロア前後ですね。(科によっては、この時に採血のスピッツ(管)と一緒に紹介状が置かれており、毎日朝から昼にかけて新患の入院手続きを進めます。)
その後、毎朝の科の合同カンファレンスに出て、自分の入るオペを再確認して、当直(夜勤の医師)の報告を聞き、患者さん達の病状を把握したり、議論したりしてからオペ室に繰り出します。昼食後くらいの時間にも毎日科のカンファレンスがあり、重要事項が発表&議論されます。昼のカンファはオペに入っていない医師だけが集まってました。
私がちょっと頑張り屋なのと、好奇心や経験好きの塊なので、その日の2つ目以降のオペは、術前の患者さんの麻酔導入や挿管をさせていただきました。(朝はカンファもあるので、麻酔が導入される頃にオペ室到着だったかと思います。)
オペフロアに昼食室があり、パンとスープが置いてありました。なので、朝から晩までビッシリ手術している時でも、合間に軽食は食べれるようになっていました。(なんて、親切な病院だこと💕)
こうして、毎日2〜3個オペに入って修業していました。好きなんですよね修行……
もちろん、凄く一所懸命です。
仕事も丁寧なので、最初はリトラクションやカメラ持ちから入って、術前の術野の消毒、縫合後のカッティング、縫合、と一つ一つ、一歩一歩やらせてもらえる仕事が増えていきました。難しい術中、流れで腫瘍摘出中に前立ちになったこともあったり。嬉しいのは、執刀医からお前が俺の助手に入れ、と指名してもらえることでもあります。下積みして、グラフト採取や移植臓器の下処置、実際のオペの執刀へと一歩一歩確かめながら、登って行きます。(懐かしいです。)
院内は同僚と和気あいあいとした空気の中での病気との熱戦でしたが、外は夏でも比較的涼しく、窓を開けて寝ていれば、クーラーは不要でした。というか、学生兼職員寮だったので、クーラーはなかったです😅
向かいの部屋の麻酔科医が、ロシアからの移民ドクターだったので、「外国人」同士、直ぐに仲良くなりました😊
ただ、ある時から、病院敷地内の歩いて30秒の寮にオペとオペの合間に休みに帰っていました。ちょっとだけ横になって、次のオペに行く感じです。連日2つ3つオペに入るのが当たり前でしたので、疲れてるんだろうなぁ、以上深くは考えませんでしたね。
思い返せば、寝汗も酷かったです。(毎日洗濯もできないので、病院のオペ着を借りて、寝間着として着て、翌日出勤時にオペ後の手術着回収箱に突っ込んでました。すみません💦敷地内の睡眠も仕事の延長ということで、借りる分には良いですよね?😆)
夏でしたので、「体感よりも暑いから夜汗をかいているだけ」と確信していたんだか、自分に言い聞かせていたんだか。
そうそう、「寝汗かよ(笑)」と自分でツッコミ入れて笑い飛ばして……ましたね……(本当、自分のことだと悪いことは過小評価して、自分を過信する癖はいかんねぇ。)
体重を測る習慣もなく、寮に体重計があった記憶もないので、この時期の体重増減は不明です。
一ヶ月の夏の外科研修が終わった日の晩、指導医の自宅に泊まりました。当然、翌日目一杯観光をするためです。せっかく、異国の地に来て、オペ室の中しか見ずに帰ったら可哀想だよね、という皆さんの図らいで、地域最高のタワーなど、車で数時間のその「県」最大都市の観光ツアーが計画されていたのです。
ひゃ〜、楽しみですよね😍
その晩は指導医夫婦(国内トップの内分泌外科教授の右腕(妻)と胸部外科(心外))があっという間に美しくて美味しい三ツ星レストランのようなお料理を作ってくれました。
そういえば、私も友人も些細なお手伝いをキッチンでしましたね。下準備の手伝いだったんじゃないかと思います。メインディッシュ料理本番は、夫婦があっという間に手際よく、流れるような共同作業で何品も芸術的で美味しそうなお料理を作ってくれました。さすが外科😍
一応、共同製作の一旦を担い、目の前で料理ショーも見て、皆が楽しく作って美味しく食べれる素敵な夜でした。
翌朝、寝起きに軽い違和感を感じつつ、トイレに向かう途中で倒れちゃいました😳
???
前日、珍しくワイン一杯と夫婦が何処かヘ旅行に行った際の戦利品の珍しいお酒を少量たしなみましたから、酔うことはなくとも、翌日不調ってあるのかも? くらいの軽い気持ちでしたね。
それまで、飲酒することがなかったので、飲んだ時や飲んだ後の自分のことは分かりませんから😅(内心気がついていた体内の不穏な動きを、思考でもみ消そうとでもしたのかもしれません。)
私は、友人に休めば治るよ〜、と軽いノリで普通にベッドで一緒に横になって、アレコレ笑い話をしていました。
しかし、全然良くなりません。
待っても、待っても良くならない私を見て、友人はこのまま指導医宅にいるのも微妙だから、彼女の自宅でアイスでも食べながらDVD見て休もうか? と提案してくれました。
私の返答は「良くなってないよね…… もう少し、ここで休んでたい」🤣🤣🤣
(内心、一人でも多くの人がいた方が安心でした。頭の片隅では、自分でも気が付かない間に急変対応も念頭にあったのでしょうか? 大学病院から、歩いて5分だし。心外はよく呼び出しがあるため、いつでも飛んでいけるし帰りやすい所に住居を構えたとか😊)
その間、ずっと二人でめっちゃ楽しく話をしていました。
しばらく休んでても、やはり改善の兆しはありません。
友人が再び、私にどうしたいかを問いかけました。
私の「むしろ悪化してる……」に友人は「声に出すと事実になりそうで、控えたけど、やっぱり悪くなってるよね……」と温かい表情に浮かぶ二つの真っ青な瞳は、かなり真剣な光を帯びていました。
冷静に、でも真面目に
「病院に行かないとだわ。」と短文で答えた私。
後日、私が病院に行かないと、と真面目なトーンで言った際に、ことがいかに深刻極まりないかと想定以上の重大さを悟り、相当肝が冷えた、と教えてくれました。
私って、どんな時も結構ヘラヘラしている印象なのでしょうか? (たしかにね、学校でも病院でも、何が起きても笑顔が絶えず、淡々としている雰囲気だったかもしれません。お互い、状況は医師としてはある程度認識できたのでしょうか? いずれにせよ、私事だと私情は混じりますよね。)
相当、体調が悪そうではあったようなのですが、〇〇(私)がそこまで言うなら、相当ヤバい💦と、想定以上の深刻さを察し、内心はかなり慌てたそうです。
しかし、流石ですよね。
その素振りは一切見せませんでした。垣間見えすらしませんでしたよ😳 冷静そのもので、淡々と必要事項を進めた印象です。
普通に、朝病院からコールがあって呼び出された後、帰宅途中の指導医(妻)に電話で事情を説明し、指導医の車で病院に行くことが決まりました。
地下1階に泊まっていた私達でしたが、友人に歩ける?と聞かれました。
私は首を傾げながら、歩くのは難しそうだけど、這えば普通に上まで行けると思うよ、と笑顔で答えます。
友人
"Don't be rediculous! I can carry you upstairs 😉"
「何言ってるの? 普通に私が上まで担げるわよ😉」
私、「え? いや、そこまで大事じゃないよ🤣 イケル、イケル😉腰痛める原因になりたくないし……」
友人
「何ふざけたこと言ってんの? 普段オペで鍛えてるんだから、あなたを運ぶなんて、わけないわよ。私を侮辱するつもり?」(こういう優しさです。)
私「そう? じゃぁ、お言葉に甘えて😊」
友人は彼女のお母さんが教授を務める、研修先じゃない指導医宅から少し離れた大学病院に私を連れて行くようにと、指導医に指示を出しました。
病院へ向かう途中、友人は救急外来に電話をかけ、背景や状況を説明し、個人患者(Privatpatientin)としての受け入れと、教授の患者(Chefarzt Behandlung)等を手配してくれました。
待合室でも、私達は笑っており、友人や指導医も励ましの前向きな、体調不良を忘れる話を沢山してくれていました。
途中、待合室テレビに映る時間でもう12時を回ろうとしていることに気がついた指導医は、「何時間待たせるのよ?朝一番で来たのに、もう昼じゃない?」と何処かに問い合わせにも行ったんじゃないかと思います。
結構待った末に、救急の個室(多分重症者ないし全患者が個室)に入り、心電図を取る際にスタッフが「動かないでください」と言った瞬間に、私と友人はその場で大爆笑。心電図の電極をつけている最中も、笑いが止められないのです。
その朝動けなくて、地下から友達に運んでもらってるものでして🤣🤣失敬
この世で最も面白くて突拍子もないことでも聞いたかのように、二人同時に弾けるように発したけたたましい笑い声が部屋を満たした。(心電図をとる間、四肢などを動かさないでという意図は分かりますよ🤣)
スタッフは、一旦退室して戻って来た時には笑いが止んでおり、無事に心電図をとりました。
スキンヘッドの医師が入室し、病歴を聴取した後に、友人が車内で病院に伝えた内容と同じことを威厳たっぷりに教えるかのような口調と態度で言ったのでした。
それは、幸い態度と内容があまりにも予想外すぎて、一瞬皆がフリーズしましたね。(病院到着前に全員が分かってる内容でしたので😅)
必死に堪らえようと頑張った爆笑が皆から吹き出し、部屋中に湧いたのは、医師が部屋を出た直後だったと思います。(医師もはじめましてだから、その内容を伝えるのは分かりますよ😅笑いってオモロ🤣)
私はその直後に、持続の心電図モニターと酸素(SpO2)モニターが装着されました。
😅救急外来の待合室でも何時間も待ち、個室とはいえ、救急外来のストレッチャーでもう何時間か待っているので少しずつ友人や指導医が痺れを切らし始めた様子です。朝からほぼ夕方まで院内にいても、まだ入院できてませんでしたので、読者の皆さんは温かい気持ちで見守ってください。前日まで手術をしていたチームの仲間が、突然倒れて救急外来に行かなければいけない事態ですので。
私はその間、それまでの多弁な冗談や爆笑とは裏腹に、少しずつ口数が減っていっていたのです。
実は、ちょっと苦しかったんですよね。
体感的に苦しく感じる時に、咄嗟にモニターに目をやるとの数値も下降気味(元々99%のところ92%とか)……
私は私で、「いやいや、モニターの接触不良じゃない?(モニターの間違いじゃない?)」と思って最初は深刻に捉えていませんでした。先ずは、接触不良じゃないか検証してから〜とか、本当に苦しいの? と自分の状態をちょっと批判的に観察しています。
その間、採血がなされて、友人がその後ずっと止血のために押さえたり、室内の追加の綿で追加止血してくれたり……
友人が再度私の指の酸素(SpO2)モニターを別の指に付け替えてみるのですが、数値が安定した上昇を見せることはありませんでした。
友人や指導医が忙しなさ(せわしなさ)を見せ、指導医と友人がその病院の医師を呼ぼうかと室外で相談していました。(後日談:指導医が、もう少し待つように助言したそうです。その理由の一つは、本人が呼吸苦を訴えていないならば、機械が違う数値を表示している可能性が指摘されたようです。)
友人は私と私のモニターが見え、歩いて大股2歩程度の部屋の入口付近で仁王立ちして、私とモニターと外の様子を伺っています。
指導医はちょくちょく中に首を入れながら、室外でちょっとソワソワ私の部屋を出たり、外を少し見渡したりを繰り返しています。
友人も指導医も、表情が少し険しめになり、
「医者はどこ?」
「いつまで待たせるんだ?」
「これは、同僚を扱う態度としてはあんまりじゃないか?」
と独り言がこぼれ始めました。
モニター上の数値の低下頻度が増してきました。(SpO2も80台も出てきて💦)
私は私で、体感と数値が本当に同一の現象を示しているのかを検証というか、観察というかしているので、確証を得てから言おうと悠長に現実逃避気味に構えています。
とはいえ、友人も指導医も医師としての直感に深刻さを意識させられる中、さっきまで一緒に大爆笑していた仲間が重体に迫っているとは思いたくないんですよね。病院で勤務している時の忙しさを知っているが故に、医師を捕まえて病室に連れてくるタイミングを躊躇してしまうものでしょう。正に、様々な思考の綱引きと葛藤で脳と心が竜巻を起こしそうになるのを、一歩下がって抑える第三者的自分との不協和音の奏のワルツと表現しますか。
友人の独り言も少し過激さが増してきます。(本入は心の声が漏れていることに気がついていなかったのかもしれないですね。)
「何? 何かの時は私達が対応しないとなんじゃない?」
「この病院、ふざけてんの?」
と、だんだんと独り言のイライラ度が増しています。
バックバルブマスク(アンビュ)や緊急カートの物品の場所等もイライラに扮して、病院の物品の内容や配置に若干悪態づきながらチェックしています。
私を含め、その場にいる皆がプライベートでその場にいましたので、ご容赦を。観光ツアー計画実行予定だった友人的指導医も友人(研修医)もプライベートで仲が良く、医師ではあるものの、その場に医師としては来ていないのです。だから、一人の人間として、その場で唐突に起こっている想定外の事態を大なり小なり逃避しつつも、冷静に状況把握に努めている中でホワイトコートを脱いだ時の感情も滲み出ている感じでしょうか?
私も、いよいよ声を上げなければだなぁと心の整理をする最中、友人が恐る恐る、誰もが内心避けていた一言を放ちました。(she broke the ice)
「苦しくなんてないよね?」
私も私で恐る恐る、声に出したら、悪夢が現実になってしまうかのうように一瞬だけ躊躇しました。おそらくは困った感じと申し訳なそうな感じが混じった普段の私らしからぬ態度で、「実は、苦しい……モニターの接触不良じゃないみたい……」とゆっくり言葉を放ったのです。
場の空気が凍りついた瞬間です。
この先の展開は、次話をお楽しみに〜〜〜
今を大切に生きよう!
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