【嗜み古典】オイラが辞書なしで読めるようになった方法〜国文学者にでもなるつもり?〜
で紹介した方法とほぼ、同じだけど、
⒈頭の中で、訳そうとしない
古典に出てくる古語も同じ日本語にはなるけど、
古語は日本語ではあっても、現代語ではない
言われなくても当たり前すぎることなんだけど、これでいざ読もうとすると挫折するのは、一重に、
内容を楽しもうともせずに、訳そうとするから
読みながら訳そうとすると、
脳に余計な負荷がかかるだけ
だし、英語も古語も現代の日本語とは別物だし、無理に訳そうとしなくても、現代と共通な表現も多いので、読み進めていくうちに
脳が慣れて、次第に意味がわかるようになってくる
👉習うより慣れよ
閾値に個人差はあるけど、
閾値を超えると急にスラスラ読めるようになる。
⒉自分の知っているお話で自分のレベルに合った本やページ数の少ないものから読み始める
昔の自分もそうだったけど、多分、挫折する人で多いのが、
古典を読もうと思って格好つけて、日本の古典文学と言われてパッと思い付く
源氏物語
枕草子
平家物語
あたりから読み始めようとする人は、大抵、挫折します。
👉自分のレベルに合ってないから
ちなみに、オイラも、
枕草子を去年の2月に急に読みたくなって衝動買いしたんだけど、
読み切るまでに他の作業や仕事があったとはいえ、1年2ヶ月くらいかかった💦
古典といえば、源氏物語
って、いきなり源氏物語から始めようとする人も多いと思うんだけど、
源氏物語については、岩波文庫でも最高クラスに分厚い本が確か9冊くらいあるからね〜〜〜🤔
しかも人間関係が複雑な上に、宮が何を指すのかなど、古典文学てか多分、世界的に見ても、紫式部が生きてたら余裕でノーベル文学賞を10回くらい取ってるんじゃないか👀ってくらい素晴らしい。
ただし、角田版とか瀬戸内版、与謝野版みたいな、中身を見たことはないけど、有名な作家さんがそれぞれの解釈で本を出すくらい難しい💦
それよりは、
竹取物語=かぐや姫のお話
みたいに子供の頃に絵本で読んだことがある本から始めるのがオススメ。それを、
自分が知ってる絵本のお話と、原作は同じなのか?
て視点で読むと面白いと思う。ページ数も少ないから完読しやすいしね。
身近で自分のレベルに合った本から始める
↓
完読したら、少し離れた話やページ数を上げて行く!
👉イントラパーソナルダイバーシティ
いきなり、源氏物語を読もうとするのは、
バッドを初めて握っただけで、WBC優勝しようとするようなもの
無謀を勇敢とは言わない!
100キロマラソン完走しようと思うなら、
脳筋バカ以外、
きちんと何ヶ月も前から練習メニュー作ったり、負荷を徐々に上げて調整とか体作りするでしょ?
あれと一緒😯
⒊1回目は、辞書を使わないし、解説や注釈も読まなくてOK
いきなり辞書を使うと、ただ読むだけに比べて、作業量が2倍以上に増えるので疲れてしまうし、辞書を使わずに読んだら、読めたんだと自信が付くので🕺
解説や注釈に関しても、1回目から全部読もうとすると、内容が入ってこなくなる上に、読書か勉強なのか分からなくなる〜〜〜。
国文学者を目指していない限り、
どうしても気になってしまう箇所だけ本の注釈や解説を見る程度でOK🕺
⒋6〜8割読めたらOK
別に辞書なしで読める=ストーリーや書いてる内容の大意大要が掴めればOKなので、少々分からない古語なんか出てきても、気にしない。
読み進めていたり、前後の関係からこういう意味なんだってのがわかるようになる。古典を読んで、どう感じるかなんて、国文学者でも目指していない限り自由な感想でOK。国文学も学って付く以上、
学問=答えがない世界
と自分たちでゆーてるくらいだし、
勉強でも学問でもなく、趣味の読書 = 嗜み
なので、感想なんて自由でOK。
普段新聞とかネットニュース読んでる時に、聞いたことがない、分からない単語や名詞が出てきたときに、一言一句全て辞書で調べないでしょ?
あれと一緒。
⒌完璧よりも完読
完璧に読めないと!!!!
みたいな人が、外国語でもプログラミングの世界でも、言語と名の付く分野について必ずいるんだけど、じゃあそもそも、
完璧って何?
何を基準に完璧って言うの?
その基準は誰が決めたの?
って話。
古典も、高校受験や大学受験なんかで受験科目として触れた人が多いから、英語と一緒で、勉強=答えのある科目と認識してる人が多いからこんな発想になるとのかなと思うんだけど。
(*プログラミングも本来は答えなんてない学問だから、勉強で入った人は同じような傾向は強いんだけどね💦)
そもそも、学者でも解釈が分かれるような表現も多いし、当時と文化も生活様式も違えば、書いてる人でもないので、和歌なんて、学者がそう判断して一定の答えを決めつけてるだけで、詠んだ人が実際には何をどう思っていたのかなんて、タイムスリップして当時の日常語を理解して、会話してみないと分からないし。
古典の答え=どこかの偉い学者の研究成果や、そう決めた当時のただの解釈
和歌なんて本来は、響きが綺麗で、触れた人ごとに色々な琴線に触れるような書き方をするのが、雅で風流なんだから。それよりは、オススメで書いた本から始めて、
完読=辞書なしで読み切る経験=達成感
を大切に!!!
⒍不純な動機でOK
嗜み始めの動機なんて、
通勤中に辞書なしで古典が読めてる自分カッコ良し
好きなあの子が古典を読んでるから古典を読んでお近づきに
将来、古典文学も語れるくらい雅な大人になってほしい
何かの時に、ちょろっと古典が語れるとカッコいい
くらいでいい🕺
古典なんてその当時の人にとっては現代語だし。
自分の妄想や空想、理想、誰かに知ってほしい、この話を自分の子孫に残しておこう、なんて感じで書かれたもので、別に崇高な行為とか、敷居高くしようと書いたもんじゃないんだし。
別に英語が話せるってのと同じで、古典が読める語れるって、
すぐにそれでお金が稼げるわけでも、偉大な発明で産業ができるわけでもなく、あくまでも
嗜み=教養=空気
(あって当たり前だけど、なければ困る)
程度のものだから。自己満足で楽しめるから趣味だし、趣味のきっかけが、不純な動機であろうとなかろうと、
結果的に、古典が楽しめるようになれば問題なし
でしょ?
⒎あくまで嗜み。気軽に、1日何冊読むとかタスクにしない
古典の解釈とか楽しみ方なんて人それぞれで自由でいい。
和泉式部はこうだ〜〜〜
古典とはこうだ〜〜〜
その考え方はけしからん!
そんな表現はありえん!
みたいな感じで、
下手に権威づけて敷居を高くして、一般の人から古典を遠ざけときながら、古典を嗜む人が少なくなったのが問題だ
みたいなわけわからんことをゆーてる方が、
自分たちから古典の楽しみ方を奪っておいて、そんなほざいてアホなんじゃないかな?👀
徒然草で兼好法師が書いてることは訳せても、学会全体で実践できてなかったら、徒然草を知らないのと変わらないでしょ?
としか思えない。
文化ってその時代の人の営みから自然に芽生えるもので、
研究室の中で生まれるものではないからね👀
別に、
古典を読みたいから読むだけでしょ?読めるから偉いわけでも、一日何冊とか何ページ読んだからスゴイわけでもない。むしろ、
雅とか風流、バサラ、粋 = 日本人の古来からの美徳
からしたら、そんなこと自慢してる方が、
下品で下衆で無粋でしょ👀
💃古典を嗜めるようになって、面白さを誰かに共有したくなって、
古典の魅力を誰かに話すなり、書くなりで発信すればそれで十分🕺
「和泉式部と師宮ってなんか愛し合いすぎ〜〜〜いや〜ん、こんな相手に巡り合ってみたいわ〜〜〜でも、うちのダーリンも最高〜〜〜」
「早く私の、源氏の君は現れないかなあ〜〜〜薫は優柔不断だから嫌いー!」
みたいな感じで充分 笑🤣
💃別に、嗜む程度に読めるだけなら、辞書なんざ要らぬ🕺
辞書なんてない時代の人は、じゃあどうやって読めるようになったの?👀
読めるようになってから、やればいいことを
同時にやろうとするから、却って遠回り
今回、実際にやってみて、
あ!別に、古典も読むだけなら洋書スラスラと同じ方法でいけんじゃん👀
👉要は、
脳が慣れてるかどうかだけ
と、確信できて良かった🕺
別に人によっては、字は読めるのに、読書自体に慣れてないから、インターネット記事なんかは読むのに、
普通の本や雑誌、新聞すら読めない(読まない)
て人も身近にいるしね!🤔それと一緒。
ネット記事を読めるようになるために、
わざわざ学校行くか?
洋書や古典を敷居が高い、難しい
とか、
勉強と読書を勘違いしてるだけ
て話。
普通に読めるようになると楽しいし、面白いよ