【日記】教え子からの電話
ふとしたときに、私を私たらしめる人から連絡が来る。
かけがえのない、かわいい教え子たちからの連絡だ。
それはいつも本当に何の前触れもなく、来る。
どこの世界に、こんなフレンドリーに連絡を寄越す教え子がいるのだろうか。
そして、同級生を会って話している中で、元担任に連絡してみよう!となるものなのだろうか?
何にせよ、たまたま電話応対ができる状況にいてよかった!素直に嬉しい限りである。
電話口の向こうにいた数名は、私が初めて卒業を見守った代の卒業生たちだった。
何も変わらないつもりで話しをしていると、彼らの今の年齢で、私は彼らを卒業させたのだという事実が浮上した。もうそんなに!みんな大人になって…!と感動しつつ、併せて自分も同じだけ年を重ねているのだという現実に震えた。
あまりに早すぎる…。
「今の君たちの年に、私は君たちを卒業させた」という事実を共有したら、張本人たちに「それはすごい」と少し労われて笑ってしまった。
それぞれ、いろんな人生を選んで進んでいて、その多様性がたまらなく嬉しかった。
人生に正解なんてない。したいことを上手に見つけて、進もうとしている背中はいくつになっても眩しいし、迷う背中はそっと応援したい。
取り止めのない話をする中、ふと話しの流れで、「先生は、自分たちが在学していたとき、自分たちのことをどう思ってたの?」と問われた。
…何ということを聞いてくれるんだ!笑
気恥ずかしさから少し言葉を選びかけたが、真っ先に口から出たのは「大切に思っていたに決まってる」だった。
もちろん、実際はそんな一言に収まるものではない。
当たり前に、楽しいだけではなかった。そりゃあ日々、いろんな背景を持つ生徒が30人以上が集まって生活していて、揉めない訳がない。
綺麗事で片付けられないくらい、大変なことも間違いなく多かった。
廊下で「しね!」と叫ばれたこともあった。(私はとりあえず「生きる!」と怒鳴り返した)
放課後、教室に落ちていたノートを拾ったら、それが実は生徒間の交換ノートのようなもので、図らずも見たページに「担任の嫌なところ」といろんなことを箇条書きにされていてショックを受けたことも、あった。
それでも、「大切だった」のは間違いなかった。
見ようによっては、私は自分のクラスを溺愛していたと言っても過言ではない。私は日々、せめて自分のクラスくらいは精一杯愛してやりたいと努めていた。
愛情は、努力なくして抱き続けられるものではないと、私は常々思っている。「大切」に思い続けるには、相応の努力が必要なのだ。
良いところも、悪いところも、それごと全部まとめて抱きしめる努力だ。
そんなことを、わあーっと思い出しながら、「大切に思っていたに決まっている」と伝えた。電話口で、お互い何となく照れくさくなりつつ、笑った。
ああ、私はこの瞬間のために教師になったのかもしれない。
久しぶりに、自分の人生数回目のそんな気持ちに触れた気がした。
親になっている子、バリバリに仕事をしている子、したいことをするために難しい資格を取ることにした子、旅行が好きだから旅行するために仕事をしてるんだと語ってくれた子…。
いろんな「人生」に触れながら、私は改めて彼らのことが素敵だなあと思ったし、教師という仕事は自分にとって本当に天職だったかもしれないなと思った。
そう思える今が、ありがたいとも、思った。
通話を切った後、思わず棚から宝物を取り出して、これまた久々に眺めた。そして寄せ書きの字を眺めながら、それぞれ字を書いた主のことを思い浮かべた。
みんな元気であれ、と祈った。
全部に目を通して、そっと彼らの幸せを祈りながら寄せ書きを丁寧に棚に戻す。私がもしうっかり棺桶に入ることがあったら、絶対にこれらは入れてもらいたい。
…いやでも、自分の生きた証でもあるから、残しておきたい気もするなあ。なんてことを考えながら、温かいココアでも飲もうかなと優しい気持ちになった。
そんな、穏やかな春の終わりを、過ごした。
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