【日記】緑と青の記憶
家の近所に、あまり高い建物がない開けた土地がある。
空を見上げると、視界いっぱいが空になるその場所が、私は結構好きだ。
通りすがるときは、ぼんやりと上を見ながら歩く。口だけは開けっぱなしにならないように気をつけて。
それなりに雑草もあるところだったのだけれど、今日通りがかったら、伸び放題だったそこは綺麗に手入れがされていた。
刈られたことで、そこらじゅうが草の香りに包まれていた。
青臭い、独特な草の匂い。
雑草を手折ると手につくような、その香りが何だかとても懐かしくて、どこで嗅いだのだろうと自分の記憶と辿る。
辿った先にあったのは、中学校のプールだった。
私は運動が得意ではないのだが、幼いときに習い始めたスイミングスクールのおかげで、夏の間だけは体育の成績が抜群に良かった。
四泳法が大体泳げるようになる頃、親の転勤もあってスクールは辞めたが、その代わりに水泳部に所属することにした。
私の体感としてだが、水と私は親和性が高い。
水中に入ると、自分とその他の生き物の間が水で満たされて、しっかり自己確立ができるような気がして安心した。
空気だと、水ほどはっきりと目に見えないからね。
水泳は、リレー種目に出ない限り原則個人競技になるので、それもまた良かった。
水中という、「自分の手のうちに自分の命がある」感覚のする場所で、私はいつだって私自身を挑戦させ続けることができた。
そんなわけで、水泳部でそれなりに楽しく過ごしていた。
ちょうど、このくらいの時期だろうか。
夏が始まり、オンシーズンになる手前の頃、部員で毎年プール掃除をする。
長々と語ったが、ここで冒頭の話に繋がる。
その、プール掃除のときに嗅いだ匂いと、刈りたての独特な草の匂いが、私の頭の中で繋がったのだ。
そんなわけで、私は緑の原っぱを見ながら、水をたたえた青いプールを連想するという不思議を楽しむことになった。
冬の間、使われることのなかった屋外プールの掃除をしたことがある人は、果たしてどれくらいいるのだろう。
前日から水を抜き始めた二十五メートル×六レーン(正確な本数は曖昧)ほどの、ごく一般的な学校のプール。
底まで降りると葉っぱやら何やらが、緑と茶色を混ぜたような色のどろどろになっていて、ビーチサンダルを履いていてもあっという間に裸足とさほど変わらないような状態になる。
ゴミを拾ってはヤゴに騒ぎ、アメンボを追い立ててはプールの底をデッキブラシで擦る。
水着の上に、Tシャツ短パンのようなラフな格好で、たまにすっ転んでどろどろになりながら掃除をした、あのときに嗅いだ匂い。
ある特定の匂いを嗅ぐことによって、過去の感情やら記憶やらが蘇る現象のことを「プルースト効果」という。
結構あるあるだと思う。記憶と匂いの関係は侮れない。
あのとき捕まえたヤゴがトンボになってから、今年生まれたであろうヤゴまで、いったい何度、世代交代をしているのだろう。
ホースの先をギュッと潰して、遠くまで水をかける選手権もしたなあ。あれは誰が勝ったんだったかな。
プールの塩素で、葉脈だけになった葉っぱを綺麗に掬い上げ、そっと乾かしてみたあの感覚まで思い出した。
──緑の、原っぱの真ん中で!
人間の脳みそって、本当に興味深いし面白い。
私はしみじみとその不思議を噛み締めながら、深呼吸をしてもう一度その匂いを深く吸い込み、ゆっくりと帰路についた。