【日記】熱量を持って語るとき
先日、改めて気がついたことがある。
「美しい彼」について、突然の爆語りをかましたこの記事を経て。
それは、「好きなことについて語ることは楽しい」ということ。
少し考えてみたら、そりゃそうだという気にもなるのだけど、自分が抱いた感想を、自分が持ち得る最大限の語彙力や表現力をもって語ることは、本当に楽しい。
それが、読み手に伝わり理解までしてもらえたら飛び上がるほど嬉しい。
上記の記事は、更新時間を見てもらうとわかるかと思うのだが、日付が変わるギリギリまで推敲を重ねていたし、何なら公開後も多少加筆訂正をした。
それくらい、熱量のある語りを久々に可視化できて、自分の中の「好きなもの」への向き合い方が見えて本当に楽しかった。
そして少し思い出したことがあった。
「私、この感覚知ってるぞ…?」
記憶をたぐると、思い出されたのは教壇での思い出だった。
どこかで述べた気もするが、私は「国語」が好きだった。正確には「本を読むこと」が好きだった。
その本好きが、結果的に多少なりの読解力や語彙力に繋がり、「国語が楽しい!→国語を学ぶことが面白い!→国語が他よりできるようになる!」という順路を辿った。
結果として、教壇に立つことに繋がったわけだが、そこで私は何をしてきたのか。
今振り返ると、なかなかのオタクムーブをかましてきたように思うのだ。
漢文然り古文然り、「いや見て!これ!おもろしくない?!」を語り続けてきた。
もちろん、文法などを教えるときはそれだけで済まなかったけれど、それでも「文法を学ぶ→書いてあることを自力で読めるようになる、わかるようになる→面白くない?!」の流れを作ろうと努めてきた。
だって、わかると楽しかったから!少なくとも私は。
面白いこと、好きなことは人の心を容易に動かす。
現代文なら尚更だ。古文漢文ほど、理解への道は険しくない。
文学作品を取り扱うとき、私は大いに語り身体を動かし、時と場合によってはその登場人物を演じることさえあった。
「想像してみて、ここでこの人がこうしたら、それを目撃した君はどう思うか!」
「考えてみて、このタイミングでこれをされたとき、君は何と言うか!」
理解して欲しかった。
理解してもらう術を模索し続けていた。
自分が手にしているこの楽しさを。面白さを!
少しでも知った上で、好きとか嫌いとかそういう選別に入ってもらえたらいいなと思っていた。
万事に言えることだが、「わからないから、できないから嫌い」は、あまりに勿体なさすぎる。
食わず嫌いは勉強面でもあるものだ。
一度ついた苦手意識を取っ払うのは、どの場面であってもなかなか時間やパワーが要る。
それでも。
ほんの少しであっても、この楽しさがわかれば、知らなかった面白さが伝われば、万々歳だと思う。
こうみると、自分がしてきたことは一種の「推し活」だったような気がしてきた…!
好きは、ちからだ。
これからも何度もこのことについて語る気がする。
そして、もっと「好きなもの」についても語っていきたいと思う!
私自身が、「楽しむ」ために。