【日記】タイミングの神様
昨日から寝て覚めて。
うまく切り替えたつもりでいたけれど、何となくモヤモヤした気持ちは消え切らない。だって、根本的な問題解決はしてませんからね!
そんなことをぐるぐる思いながら、コーヒーを淹れていたら、一つ些細な通知に気がつく。
こんなことを言うのはどうかと思うけれど、SNSの利用は「適度に、気まぐれに」と決めている。
何もかもを追いかけると、情報に翻弄される自覚があるので、「目についたもの」を見るとか「気になるもの」だけ見ていくようにセーブしているのだ。
そんな私の目にタイミングよくとまった、一つの些細な通知のおかげで良い時間を過ごせた。
今日はそういうお話。
そのとある些細な通知に気がつき、ふと気になることができた私は、得意の気まぐれを起こして一人の教え子に連絡をした。
するとそこからタイミングよく既読がつき、タイミングよくやり取りが続き、「もうメッセージじゃ足りないから話をしよう!」という流れに。
本当にタイミングよく、私はそのとき自宅にいて手が空いていた!
何度も言うけど、何もかもが本当に「タイミングよく」動いていたおかげで、久しぶりにその連絡をした教え子と話しをすることができた。
声を聞いたのは何年ぶりだろう?
高校時代のこと、高校時代からこれまでの間に起きたこと、そして最近のこと…。
他愛のない話しから真剣な話しまで、限られた時間ながらお互いマシンガンのように話す。
思っていたより何倍も、幸せそうに生きていて、もうそれだけで私は終始胸がいっぱいだった。
いつだって、教え子への想いは尽きない。
心配したり幸せを祈ったり…その程度のことしか、もはや私にできることはない。だからこそ、ふとしたタイミングで人生が触れ合うとたまらない気持ちになる。
電話の相手は、昔から繊細だけれど聡い子だった。
気が優しくて我慢しがちなところだけ心配していたけれど、相応に成長して立派な大人になっていて本当に嬉しく思った。
そりゃあそれなりに時間は流れているからね、相手もしっかり大人になっているわけで…。
それでも、私にしてみたら教え子はみんな死ぬまで可愛い教え子なんだよなあと、親心に似た謎な気持ちを自覚しつつ一時間ほど話して終わった。
通話を切って、しみじみ嬉しさを噛み締める。
私の教え子たち、本当に最高なんです。「イイヤツ」ばかりなんです、本当に。
一人残らず、彼らは私に何かしらの影響を与えてくれる。私にできないことをやってのける姿に、何度も何度も励まされてきた。
これからも、彼らの背を見て私は何度も泣くと思う。感動すると思うし、嬉しくて泣くとも思う。
結局泣く──!笑
誰かの幸せを、自分の幸せのように思える瞬間ほど、自分の人生の意義を見出すことはない。
最高だと思いません?
自分の身に起きたことではないのに、まるで自分のことのように一喜一憂できる。他人より何倍も感動する機会があるなんて、人生お得に生きている気がする!
私には、そういう相手が本当にたくさんいる。ありがたい限りである。
そういえば先日、「誕生日を迎えて、最近こんなことを頑張っているんです」と近況報告をしてくれた子もいたな。
頑張っていると人に報告することは、相応に覚悟がいることだと思っている。それをしようと思う相手に、自分が入れてもらえている光栄さ。
また、別な子からも「最近、高校時代の友人と集まって遊んできたので、その時の動画をお裾分けします」と連絡をもらった。
まだ仲良くしてるよという、突然の報告に笑いつつ、それも嬉しく思う。
友達は、間違いなく何にも変え難い財産だ。
高校時代の友人と今なお親しくしている私には、そのあたたかさがよくわかる。
末長く、その関係が続くことを切に祈る。
何が嬉しいって、そういうことを「報告してみよう」と思ってもらえる大人にカウントしてもらっているという事実…!ありがたいことこの上ない。
ああ、タイミングの神様の采配で、ものすごく充実した気持ちで一日を過ごすことができた。
ありがとうございました、またよろしくお願いします!