みらいちゃんと不思議ちゃんのはなし
いや、みらいちゃんのことを不思議ちゃんと言っているのではなくて…(汗)
MINOです。
最近は毎週末、何かしら用事があってOSAKAにいっています。心斎橋の渾沌とした世界観が好きになりました。昔は心斎橋に潰されそうになってたけど、今はなんか「生きてる」って気持ちになれます。不思議。
はじめに。
〇みらいを見つめるみらいちゃん。
みらいを見つめるみらいちゃん。
彼女の目はいつもキラキラしています。凡人にはとうてい持てないような特別なモノを沢山持っているけれど、それには全く興味が無いかのような、軽やかな女性です。あ、ソレですかぁ?おうちにコレクションしているスカーフのうちの一枚なんです♬かわいいでしょ♬うふふ。っていう感じで、さらりとふわりとその高い能力を軽やかに身にまとっています。←みらいちゃんのお名誉にかけて、実際にそんなことを言っているわけではないということは書いておきます。(勝手に話を盛る笑)
全くいやみがなくて爽やかな女性だということです。
大阪万博の機運に乗るような形で、彼女が来春、来阪することになったことには、何か大きな意味があるのでしょうか?それだけOSAKAのエネルギーがあがっているんでしょうか?それとも彼女のエネルギーのおかげでしょうか?とりあえずあの大阪万博のキャラクターってなん…いや、なんでもないです…。
〇まな板の上の鯉
私は、根本裕幸心理カウンセラーのお弟子8期として、愛でクライアントさんを見よう♬という根本先生の魔法修行にいそしんでいます。そのお仲間のみらいちゃんがこんなMessengerを送ってくれました。
わたしは、みらいちゃんにこう▽返信したい気持ちを抑えて
「わかった!じゃあもっともっとお話聞かせて!」とお姉さんぶってみました。…みなさん、わたしのこともおしえてください……^^。(業務連絡でした。)
『わたし、MINOさんの「まな板の上で鯉」になってみたい』って自ら申し出てくれた猛者、みらいちゃんですけれども…。わたしに雁首を差し出してくるなんて、おそらく私のnoteの読者様なら、それだけで、彼女が
【大物(笑)】であり、
【まれにみる逸材(笑)】でもあり、
【コワいもの知らず(笑)】だということは、
簡単に読み取っていただけるかと思います。
〇みらいちゃんには魔法をかけておきました
折を見て、ちゃんと記事にしてみたいと思います。
お弟子仲間の男性カウンセラー、フミ君のように雑に扱うわけにはいかないので…笑。(女ってのはほんとうに男に厳しい…)
(裏側では、フミさんにもあなたを公の場でこき下ろす記事を書いてみたんだけれども、本当に載せても大丈夫でしょうか?と平身低頭お願いしているのです。菓子折り案件。)
とりあえずの処方箋として、月曜日の朝っぱらからみらいちゃんには魔法をかけておいたので、効き目のほどについては確かめてくれていると思います。こういう魔法とかにスッと乗ってきてくれるところも、彼女の大物感をかんじますよねぇ…笑。
〇大きな使命をもつひとを形容する難しさ
既存の枠に収まらない使命をもってうまれてきたひとを言葉で説明するには、相当な語彙力が必要になってくるのかもしれない、と思っています。
例えば、
こういう形容の仕方もあるにはありますけれども…。
「あんたの語彙力の低さを露呈しとるだけやないか」とも、私は思ってしまいます。おっと、きつい表現になってしまいました。それなりに、わたしも毒舌なんですねぇ。
けれど、既存の枠では説明がつかないものを形容する言葉としては、なるほどこれは伝わりやすいわなぁ…という理解はできるのです。しかしながら、わたしにとって「変な人、天然、不思議ちゃん」という表現はディスっているとも取れませんか?と思うのです。
「ニコニコ」しながら好みの女性に対して言うセリフなら、まだいいです。口説き文句としてどうかノーコメントですけどね……苦笑。あと、「ワクワク」しながらスゴイ逸材を見つけた!っていう形で使うひともまだいいです。
でもね、だってね、だいたい「変な人、天然、不思議ちゃん」というこの言葉を使っているひとって「にやにや」しながらとか、「鼻であしらって」使うことが多いでしょう?
〇心や目に見えないものをもっと大切に扱って慈しむ
卑弥呼とか卑弥呼とか卑弥呼とか推古天皇の時代(歴史には疎いから卑弥呼先生を3連チャンさせてしまった)や、少なくともおそらく江戸時代頃までは、そういう大きな使命をもつひとたちは、もっと身近にいたし、もっと身近に触れられたし、語られてきたに違いないと思います。
心や目に見えないものをもっと大切に扱って慈しんだ時代が、つい最近まで日本にもあったはずだよねぇって言いたいのです。
明治以来の富国強兵!西洋に負けんとす!という教育や考え方が流れ始めてから、一旦、そういうものは消え去る必要があったのでしょうか。平たく言えば、【科学での証明が難しいもの】については強い日本を作るうえで軽視されて当然だったんだと思います。そんなこと構ってられないもの。(平和になってくるとUFOとかUMAとか流行り始めるから、結局みんな未知のものは大好き。笑)
令和の現在は、【明治から平成で作り上げた既存の枠】から飛び出さんとす!という時期に差し掛かっているようなのだけれど、【既存の枠】において、その存在を消された、心やみえないものとの繋がりの世界に生きる人たちの存在の有難さ。もう一度、改めて気付き始めるんじゃないでしょうか…?
心を大切にする時代が来ると思うのです。
〇胡散くさかったなぁ
おっと、おっと、宗教くさくなってきました。でもご安心あれです。「MINO教」とかを説くつもりは毛頭ありません。開教したとしても「唾を吐くように生きていけばいい」という教えしか持たないがゆえに、お布施が全く集まらないと思うのでやめておきます。
だから、あなたって〇〇ね、あなたって△△だねっていう形容が当てはまらないひとって、ちゃんと自分の価値や魅力を伝えてもらえなくて、ちょっと退屈かもしれない、ちょっと寂しいかもしれないし、ちょっと物足りない人生を送っているかもねぇって感じたよっていうお話でした。
〇桐島、部活やめるってよ
で、みらいちゃんって結局、いったいぜんたいどんな子!?と思われた読者様もいらっしゃるかと思いますが、いいブログネタになりそうなみらいちゃんをわたしも簡単には手放すワケにいきません。
朝井リョウ先生の著書「桐島、部活やめるってよ」ばりに、で、桐島っていつでてきた?という読後感で締めくくりたいと思います。
あ、でもやっぱり、みらいちゃんが分からずじまいだと気持ち悪いですよねぇ。ブログをはっておきます。これもみらいちゃんへ皆様を惹きつける魔法~~~だったりして。
ブログテーマ「愛に生きる」にふさわしく、彼女はただ存在するだけで、愛をたくさん知っている女性だからこそ、与えることのできる「確かな愛」と「安心感」、そして何より「愛おしさ」を受け取れます。
わたしたちお弟子仲間で一緒に何か大切なことを成し遂げられますように。
MINO