見出し画像

ヴィンテージな失敗




またミスをした。
最後に振り返れば防げたものだ。
出勤して最初に指摘され、
私は直立したまま謝る。

でも、先輩は言った。
「怒らないであげてほしい。」と言われたと。



評価は自分以外の人がするもので、
私の事情なんか加味されない。
だからこそ、立ち止まるのはその日だけと決める。


「あなたは本当に面白い人だね」
と、言われる。
そこにはさまざまな意味が込められてるだろう。侮蔑もあるかも。
ただ、殆どの人は私のミスや間違いを咎めない。笑って頑張れと応援してくれるのは、ありがたい環境。



失敗し、注意される経験はとても重要な財産だ。私は振り返らず、ただ前を見て打ちつづける。次の一手を。


出来る人になる才能はない。
私はおつむの出来がよろしくないし、とろい。
要領もつかめないし、不器用すぎて笑われる。
でも、人を笑うような人間ではない。



「君は大人だ」と彼は言った。
そうかな、と私はつぶやく。
だから好きだ、という意味だとわかる。


好きなものになろうとするより
嫌いなものにならない努力をしてきた。
特に30代に入ってから。


感情的で、ヒステリックで、人をこけにして損をおそれ、変化のない人間。
それは、私が傷ついたときにそばにいた人たちの特徴だ。
そういう人がいると、息が詰まる。



どうせ大したことのない人間なのだから、
せめてきれいな言葉だけ紡いで
やさしく微笑んで生きていたい。

失敗は挑戦上にしか生まれないから、
私はすすんで失敗する。


知ったかぶりしていたときよりも
私はおそれなくなった。なにに対しても。


不思議と、不敬や、嫌味や、攻撃にすら動じなくなった。
その人の背景が見えるから。かわいそうに、としか思えない。


「自分は価値のある人間」と思うのはむずかしいが
「失敗しても大してみんな私のことを考えちゃいないし、世界は私なしでもまわる」
と考えるのは結構楽になる。


なぜかしら。
そう思うと、彼のことも
ぴりついている先輩も
怒らないでと言ってくれた人にも
感謝しかない。



私は、日々をなめしていく。
丹念に。

傷だらけのヴィンテージは、
それひとつで素敵なのだ。
風格と人はそれを呼ぶ。



個性とか、奥ゆかしさとか。



「迎えに行こうか?」と
彼は言う。
電車の方が早いけれど、私は喜んでそれを受ける。



手間暇かけたり、寄り道をしたり、
待ったりするのは味わいがあってよい。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集