3‐10.私は仲直りピエロ

 久しぶりに家で面前DVに遭ってしまった翌日、私は大学に行く気持ちになれなかった。

 あんなに大学が好きだったのに、急に心が死んでしまった。
 この頃の私は、まだ自分で自分の気持ちをコントロールできる程、自分を分かっていなかった。 
 いつものように家を出て、地下鉄のシャッターが開くと、急に吐き気がした。
 走って構内のトイレに駆け込んで、盛大に胃液を吐いた。吐いても吐いても食べ物がないから、喉が焼けていくだけ。食べ物がないのに、何を吐けばいいのか分からない。
 これは不快な気持ちを吐き出したいと、心が叫んでいるのかもしれない。
「あああああああああああーっ!」
 そう思った瞬間に叫び声をあげた。悲鳴だ。昨日の包丁が私の中の何かを、切り裂いてしまった。
 とりあえず地下鉄に乗ったが、大学ではなくゲームセンターに行った。二十四時間営業のそこで、一時間ほどぼーっとしていた。うるさい音が心地よかった。
 すると、たまたま先輩の一人が私を見つけて声をかけてくれた。
 F先輩は朝まで友人とのんでいて、授業前にメダルでできるパチスロを打ちに来たらしい。
 家族仲が悪くて、疲れている、とだけ話した。
「お前はさ、人の顔色をうかがいすぎなんだよ」
 と言われた。
 F先輩は心理学科だった。
「よし、俺が話を聞いてやる。嫌でも話せ。先輩命令だ」
 何でも遠慮してしまう私は、その言い方が嬉しかった。

 最初の喧嘩があった小学校三年生は、喧嘩が始まるととにかく泣いた。
 弟と一緒に大声で泣いて二人の喧嘩をかき消した。
「うるせぇ!」
 と怒鳴られるのが怖くてやめた。
 四年生になると「お父さんやめて」と言うようになった。
「おねがいします。やめてください!」
 と何度も頼んだ。甘え声を出したり、深刻そうに頼んだり、した。
 五年生になると、母への言葉を自分への言葉と勘違いし、自己否定で押しつぶされていた。
 喧嘩が始まると、自分のせいだと思い込み、勢いよく土下座をした。
「ごめんなさい!お父さん!いい子にします!言うことを利きます!ごめんない!」
 しかし、どれも効果がなかった。
 そこで六年生になると「喧嘩をさせない方法」を考えるようになった。
 まず、母が父のプライドを刺激するようなことを言わないように、いつも母のご機嫌を取って暮らした。
 次に、父が不穏な空気を出すと「え?何か怒ってるの?わかんない!」という顔をした。
「ねぇ、お父さん!今日学校でこんな失敗をしちゃって皆に笑われちゃったんだよ」
 人を馬鹿にするのが大好きな父は、大げさに笑う。すると家族が笑顔になった。
「お前は本当にバカだな」
「ふふふ、本当に抜けてるわよね。変な子」
 こうして家族にバカにされて、事なきを得た。
 父を褒めたり、父が欲しくないものをくれた時も、大げさに喜び、大好きだよと言ったり、ご機嫌取りは日課になった。
 これを私は「仲直りピエロ」と呼んでいた。仮面の中の私はずっと泣いていた。でも、これしか家で平穏に暮らす方法がなかった。
 実感として、ピエロは一番効果的だったので、長く使った。心の消耗も激しかったし、次第に自分の感情が分からなくなっていく。
 しかし、それも通用しなくなっていった。
 ついに、自分で努力をすることを諦めることにした。
 最終的に、喧嘩が始まると、部屋で何をしていても中断してリビングに行って座り、何も言わないが、諦めの気持ちでDV鑑賞をするスタイルになったのだ。
 泣き期→懇願期→謝罪期→ピエロ期→達観期と推移した。

「私は明るく振る舞っていた時期が一番苦しかったんです。でも、ピエロをやめても楽にはならなかった。今までみたいに間に入らない自分を、喧嘩中ずっと責めていたんです」
 F先輩は何も言わずに、泣きじゃくる私の背中をさすってくれた。
「昨日も…父が包丁を持って暴れて……。でも私……誰にも言えなくて……。こんな話……誰も信じてくれないし」
 するとF先輩は、私の頬を両手でつかんで、しっかりを目線を合わせた。
「今まで気が付かなったけど、俺の家もそれだったわ。そっか、虐待だったのか。お前はちゃんと理解して、心理の勉強をして、えらいな。俺は親父がアル中でさ、何で苦しいのか分からなかったけど、なんだかずっと生きるのが苦しくて、心理学部に入ったんだ。なんとなくアル中のことばっかり調べてた。こんな時に、こんな言い方で悪いけど、マジでありがとう。つらかったな。よく話してくれたな。思い出させてごめんな」
「信じて、くれるんですか?」
「お前が、俺の話を信じるならな。俺の話も壮絶だぞ」
「信じます。先輩の家のことも知りたいです。うちの父もお酒を呑むと暴れます」
 なんの解決にもならなかったが、共感の気持ちに救われた。
 私は父が嫌いだったので、男性が苦手だった。優しい男性がいることは知っていたが、こんな風に心に寄り添ってくれる男性は初めてだった。
「俺、卒業まであと2年あるし、卒論のテーマ変えるわ。アル中やめて、虐待にする。お前の卒論テーマは?」
「先輩。私は社会学部で、情報専攻だし、ドラマの脚本を書くクラスなんで、卒業制作はドラマを一本撮ります」
「え??お前、心理学科じゃないの?いつも授業にいるじゃん!」
「ふふふ……!全部聴講で、心理学科の単位は取れてないんです」
「あははははは、バカかよ!」
「バカなんです……あはは!」

 二人でうるさいゲーセンを後にして、なんとか三講目から授業に出た。
 それから先輩とは、面前DVについての研究仲間となった。

いいなと思ったら応援しよう!