4-10.手術とそれから
仕事中に発作が出ると、病院に点滴を打ちにいかないといけない、という生活をしていた。
電話中でも、会議中でも、説教中でも、関係なく、それは起こった。「期外収縮」という、急に心臓がボコボコと音を立てる不整脈の症状を合図に、発作が出てしまい、心拍数が二○○以上に跳ね上がる。
それでも、電話も会議も、説教も最後まできちんと終わるまでは対応していた。苦しさはあるが、息が切れるのを深呼吸で我慢すれば相手に気付かれにくい。自分で「苦しいです」と騒ぎ立てる気にはならなかった。
手が空けば、周りの先輩に「ちょっと病院に行ってきます」と一声かけて、タクシーに乗り、車内で「発作が出たので向かっている」旨を病院に電話すると、急患ですぐに点滴を打ってくれた。
点滴が終われば、すぐにタクシーで戻り、三十分の外出で、仕事を再開できた。
頻度もバラバラだったので、予定が組みにくく、なるべく私が外出しなくていいように後輩たちに頼んでいた。
しかし、ある日、点滴を打った帰りのタクシーを降りた途端に、本日二度目の発作が出てしまったことがある。それで咳込み、苦しんでいるところを、たまたま外回りから帰ってきた同僚に見られてしまい、その人の車でもう一度病院に連れて行ってもらった。彼女は私にとって、たった一人の同期だ。
「留守は自分が守るから、そろそろ手を打った方がいいよ」
帰りの車内で彼女がそう言ってくれたので、休みをもらって、手術に踏み切った。
入院して、翌日に手術をした。残りはずっと療養だったのだが、術後の身体のしんどさは凄まじいものだった。
私の希望で両親の見舞いは一回にしてもらい、父とも一度しか顔を合わせずに済んだ。特に話もしなかった。
あとは毎日彼氏が会いに来てくれた。私は毎日取り繕えないほどぐったりしていた。いつも会っている時は、緊張からほんのりと猫をかぶっていたので、素の私を見てもらえたのではないかと思う。
よく分からないが、私は手術の翌日にすごくホッとした。ホッとした途端にパニックになった。自律神経の興奮で心拍数が上がり、ナースステーションから看護師が飛んできた。
「なんかよく分からないけど、気持ちが急に『わああ!』ってなってしまって……。でも大丈夫です」
すると、年配の看護師が優しくしてくれた。
「張りつめていた糸が切れたのよ。色々大変だったわね。仕事の大変さや、人間関係の難しさは、私にもわかるわ。病気だって不安の一つだったわね。あなたはそれを乗り越えた。これからきっといいことがあるわ」
優しい心配と、沢山の共感をくれた。
「何か力になれるかしら?話してくれる?」
その看護師がしわくちゃの手で私の手を取った。途端に、私は声を上げて泣いてしまい、あまりの号泣で人生初の過呼吸になり、心拍数が跳ねあがって医者を呼ばれる羽目になった。
発症原因が不明の病気だったため、病院にいる間は、色んな医者に「どんな生活をしていたのか」を聞かれた。大号泣で過呼吸までやらかしたので、「どんなストレスを抱えているのか」をしつこく聞かれた。
一番気を許した医師には少し自分のことを話した。
「面前DVを受けて育ったので、怒鳴り声がトラウマなのに、怒鳴る上司の下で働いていることが、今のストレスなんです」
「そんな会社やめちゃいなよ」
随分軽いテンションで言われた。
「医者になるほど勉強ができて、人の命を預かるほど自分に自信のある、自己肯定感の塊のようなお方に、ブラック企業でしか働けない人種の気持ちなんてわからないでしょうね」
冗談交じりに笑いながら返すと、若い医師は「いかにも」と笑った。
「でも、自分の人生だから、自分を殺すのは、寿命か、自分の判断でありたいと思わない?このままだと、間接的にその上司に殺されるよ。そんなの気分悪いだろ」
言っていることはよく分かったが、むしろ早く殺してほしかった。上司でも、親でも、彼氏でも、医者でも、相手は誰でもいい。退職をする前に、早くこの世から退場したいのに、後輩たちに迷惑をかけたくない一心で手術をしたのだ。
「それと、面前DVだけじゃなく、母親からの精神的な虐待も影響が大きいと思うよ。面前DVのことは分からないけど、精神的虐待なら相談に乗ってくれる心理士が沢山いるはずだよ」
入院中にカウンセリングを受けるように勧められたが、今までの自分の話をする気になれなかったので断った。
「僕は君の心臓は診てあげられるけど、心は治してあげられない。それを治すのは誰だと思う?」
「それは……わ、たし……?」
「そう。でも一人では無理。だから、専門の人や大切な人を頼るんだ。その為の一歩を自分で踏み出すんだよ」
退院の日は、体力の消耗と、規則正しい生活を送ったおかげで、七キロも痩せていた。復帰の日に会社の人を驚かせたが、体重は二週間もしないうちに元に戻った。
それから、直属の先輩と私の間に「主任」という役職が増えた。その人が私の代わりに怒られるポジションになった。そのおかげで楽になったが、今度は主任から嫌がらせをされることになった。
主任は社内で唯一の高卒で、あとは全員大卒だったので、人一倍「バカにされたくない」という気持ちが強かった。また、嘘か本当かは知らないが、昔レディースのヘッドだったとか、何度も離婚経験があり、あちこちの男のところに子どもを残してきたが一人も引き取らなかったとか、いい噂を聞かない人だった。
女性なのに言葉が汚い。放送局に勤めていた時に尊敬していた男勝りの社長とは違い、教養も品も何もないのが丸見えの人だ。どの新人もまずこの人にいじめられるところからスタートする。
実は、主任は私の新人時代の教育担当だった。私は特に重厚にいじめられたのだが、全ての感覚が麻痺していたので、考えの浅いいじめの刃では私を刺すことができなかった。私は「あのババアのいじめでつぶれなかった鋼の新人」として、自分のチームを持つまでに出世してきた。主任からすれば、ずっと面白くない存在だったに違いない。
主任は、自分が叱られ役になったことで、初めて「会社で毎日嫌なことをされると、どういう生活を送る羽目になるのか」というのを体感したようだ。見る見る太って、肌が荒れた。上司からの電話中に髪を掻きむしるので毛量がどんどん減った。だんだん鬱っぽくなり、化粧をせずに出社するようになり、喫煙室で泣いていた。
今まで、怒鳴る上司のせいで何人も会社を辞めてきたが、辞める際にそれを言う勇気はなかったようで、皆「自己都合」とだけ告げて辞めていった。
だから、この上司より上の人間は、私たちの苦しみを知らないのだ。しかし、今回私が急にストレスで病気になり、手術までする羽目になった原因は何か、を上層部に聞かれた際、私ははっきりと答えた。
いつも些細なことで怒ること、無駄に時間をかけるのに内容がないこと、大きな声を出すこと、最大五時間怒鳴られ続けたこと、机を叩いたり、暴力があったこと、人格を否定する言葉を口にすること、「お前の代わりなんていくらでもいるんだぞ、さっさと辞めろ!」と退職を促す言葉を言うことなどを、文書で回答したのだ。
その結果、会ったこともないお偉いさんが私に謝罪をしてくれた。少しの休暇をくれると言ったが、忙しかったので休めそうになく、休日出社扱いで数日分のお金をいただく、という結論に至った。パワハラボーナスである。心臓の手術にお金がかかったので、正直とても助かった。
上司は東京のめちゃくちゃ忙しい部署に飛ばされた。こちらでトラブルがあれば、電話で札幌に指示をしてくる形になった。
その電話を受けるのが、主任である。
怒鳴る上司から電話が来ると、皆無条件で主任に回すルールとなっていた。主任は電話口で何分も何分も怒鳴られて、飲み会でぽろっと「最近右耳(受話器についている方の耳)が聞こえない」と話すほど、ストレスを抱えていたようだ。主任はそのストレスを後輩たちにぶつけていたが、私はそれをよしとしなかった。
「うちのチームに用事がある際は全部私を通してください」
術後も私は、自分のチームの盾でありたかった。上司から電話が鳴ると、主任が怒られ、私が主任に呼び出されて怒られるシステムになったのだ。
ただ、彼女は話が不得意で、説教も短く、「バカじゃないの?頭が悪いのよ」と言う程度だった。いじめも、飲み会に呼ばれないとか、部署のランチに誘ってもらえないとか、くだらない嫌がらせだったのでちっとも怖くなかった。
手術してから二か月経った頃、彼氏にプロポーズをしてもらった。手術で頻脈の発作をやっつけても、まだ心臓が悪いことに変わりはないし、毒親育ちの問題ありすぎレディーの私でもいいと言う。すると「絶対この会社を辞めないぞ」と意地になっていた気持ちがスッと消えた。「もうこんな会社に用はない」と退職を決意し、半年後に寿退社となった。
私の職歴の中で、一番濃厚な日々を過ごした会社だった。