5-8.愛情のない子育て
これだけ苦労して産んだのに、生まれてきた赤ちゃんを初めて見た時も、その後再会した時も特に何も感じなかった。今考えると産後うつだったのかもしれない。
自分の病室で赤ちゃんと会えた時は、ちょうど赤ちゃんのご飯の時間だった。初めて我が子を抱き、小さな哺乳瓶で砂糖水を飲ませた。
それから乳を揉み、乳首を咥えさせて、おっぱいを飲ませる練習をした。伝わってくる体温が熱いくらいだ。こんなに温かい存在とこれから暮らすんだなぁとは思ったが、特別な感情は沸かなかった。なんの興奮なのか分からないが、入院中涙がいっぱい出た。
他の赤ちゃんはずっと泣いていて、お母さん達は大変そうにしていた。どんなに周りが泣いても、我が子はずっとスヤスヤ寝ていて、三時間に一度必死に起こしておっぱいをあげていた。我が子はなかなか起きてくれなかった。産後で身体がしんどいのに授乳時間に赤ちゃんが起きてくれないストレスがつらかった。おっぱいもよく出たのに、飲んでいる最中に赤ちゃんが寝てしまって、また起こすのが大変、という繰り返し。
他の赤ちゃんは夜中も泣いていたのに、うちはスヤスヤで、私は目覚ましアラームで起きて、おっぱいをやる生活をしていた。
まるで、うちの子は母親を求めていないように感じ、「私が産んだのに、私はいらないのかな?取り違えじゃないか?うちの親子だけおかしい」と感じながら「まぁ楽でいいや」と、やる気をなくしていった。
退院後も、特に手がかからなかった。
無理に起こさず、もし起きたらおっぱいをやればいい制度にしたら、だいたい三時間半から四時間くらいで起きてくるように、勝手にリズムがついて、楽になった。自力では全く動けず、ぼけーっとしていた娘ちゃんも、日に日に顔がしっかりしてきて、笑顔を見せるようになった。寝返りをして、ずりはいをして、お座りをして、拍手をして、つかまり立ちをして、伝い歩きをして、手を離して自分で歩くようになった。その成長ぶりには驚いた。
私は産後に涙腺が故障していたので、その全部で泣いた。嬉し泣きし放題である。こんな風に、人間は少しずつ生きていくための動作を覚えていくんだ、と感心した。私も何もできないところから、今の姿になるまでを、誰かに支えてきてもらったんだと、気が付いた。
その誰かは、あの両親だ。
ママ友ができると、他の子はもっと泣いて生活していたり、思うように身体が発達していなかったり、離乳食が進まなかったりしていると知った。手がかからず、育児に深い悩みを持っていない私は、とてもラッキーなのだと気が付いた。日々の生活で、当たり前のように育児をしていた私は「育児にのめりこんでいる状態」であり、些細なことで笑って、工夫をし、「楽しんでいる」と気が付いた。
燃え上がるような愛情でメロメロになるようなことはなかったが、沢山の小さな「可愛いね」を積み重ねて、「親の責任感」はあるような気がした。
娘ちゃんが自力で動くようになると、転んであちこちぶつけて泣いてしまうこともある。その声は、怒鳴り声に似た性質があり、ちょっとドキドキした。「お前がちゃんと見てから、ぶつけたんだぞ!」と責められているような気持ちになるし、長時間泣かれるとつらかった。沢山泣いた日は、思った以上にダメージが大きくて、ドキドキして寝れないこともあった。逃げたい!逃げたい!死にたい!死にたい!と脳みそが叫ぶ夜を何度か乗り越えてきた。
七カ月の時、食事中に娘ちゃんが、ほっぺをポンポンと触って「おいしい、おいしい」とハンドサインをした。ついに意思疎通ができたような気がして、涙が出た。「私が用意した食事で喜んでいる!」と思い、やっとこの子に必要とされている実感が沸いた。
大人しい子だけど、夫よりも私に抱っこしてほしそうにしたり、私が視界から消えるときょろきょろ探すそぶりをする様子からも、求められていることを感じることができた。
寝るときも、私のパジャマの端を握って絶対に離さないようにしているのが愛おしい気がした。しかし「子どもに求められたい一心で意地悪をする親にだけはなるまい」と心に決めて行動していた。
痛い思いをした時以外は、泣かないでいてくれることに、本当に感謝しかない、と思った。人には乗り越えられる試練しか与えられないというが、この子は私のレベルに合わせて生まれてきてくれたんじゃないか、というほど育てやすい。そして、それに甘えないように気を付けたい。
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