3‐9.つぶれた弟
私が家族と顔を合わせない生活の中でも、わが家でDVはあった。
家の匂いや、ゴミの量、日曜日だけ顔を合わせる両親の態度でそれがわかることがあった。
もちろん、罪悪感はあったが「別れない母が悪い」と思って生活することにしていた。
ちなみに、この間に弟は、大学受験に失敗していた。
弟は、私よりメンタルが弱く、小学校も、中学校も、勉強できるような精神状態ではなかったのだと思う。
高校受験にも失敗し、私立高校へ行った。そこは滑り止めで入る、レベルの低いおバカ私立ではなく、不合格だった公立高校よりも何倍も頭のいい高校だった。
当時、「あの高校は来年、新しく校舎を増やすから、定員の何倍も合格者を出すはずなので、名前さえ書ければ受かる可能性がある」という噂があった。それを聞きつけた母が、滑り止めをやめて、ここを受験させたところ、本当に数問解けただけで、受かってしまった。
しかし、それで「入学した」という事実を作っても、やっていけるわけがない。
自分が落ちた学校よりも授業が難しいのはもちろんのこと、そもそも頭のいい公立高校の受験に失敗した人が流れ着くようなところなので、全体のレベルが高い。その結果、三年間ずっと最下位をキープするという最低具合だった。
それを両親は「うちの子どもは頭が悪い」と結論付けて、彼の面倒を塾に押し付けた。私には、地獄の勉強会をして苦しめたくせに、弟にはしなかった。
私はそれを兄弟間差別だと思っている。
高校で万年最下位の弟は、自力で進学できる大学がなく、とりあえず私と同じクソ大学にトライしたが、もちろん不合格。
そして、また高校と同じように、「今年はいっぱい取るらしい」と聞いた有名大学の短期学部を受験すると、またしてもギリギリ滑り込むことができた。
その辺のいざこざで、わが家は何度も喧嘩とDVがあったようだが、私は毎晩三時までは絶対に帰宅しない生活をしていたので、父の怒鳴り声を聞かずに済み、心を守ることができた。
弟はずっと辛かったに違いない。
今までのわが家のDVは、父が問題行動をし、母が父に余計なことを言ってしまうことで開戦することが多かった。
しかし受験期間中の争いは全て、自分の学力の低さが原因であり、二人の罵倒の中には自分の名前が飛び交った。
「お前の教育が悪い!」と殴られている母を、見ていることしかできない自分を責めていただろう。
加えて、高校生は思春期だ。
親への反発もあるし、授業についていけないつらさもある。秀才達の中から万年最下位の弟と友達になってくれた子は、いたのだろうか?
弟の中には、私には分からないストレスがあったに違いない。
折角高校に行ったのに、中学校時代の仲間とつるんで夜中に遊んでいる様子もあった。
深夜に子どもがふらついていれば警察に声をかけられることも多く、何かと理由をつけて補導され、両親が迎えに行くこともあった。
そんな時、どんな会話が交わされたのか、私は知らない。
でもきっと、親子の議論のようなことはなかったのだろう。
父は思春期の弟との関わり方が分からず、無視も同然の状態だった。
母は、子どもが何をしても、軽く注意して、あとは放置という印象だった。
私が大学一年生を終えようとしていた頃、父は包丁を持って暴れたことがある。
いつものように酒を呑み、母の何気ない一言でキレて、暴れだした。机の上の食器を食べ物ごと薙ぎ払って落とすと、窓際に置いてある小物類を次々に投げつけて、壊したり、母の身体にぶつけたりする。
酒のボトルに口をつけて、下品に呑むと、プロレスラーが毒霧を吐くように、口から酒を吐き出して床を汚す。更にボトルから直接床に酒を撒いた。
「もったいないなぁ。高い酒なのに。お前のせいだぞ」。
すると、不幸にもその日は食卓の上に包丁があった。薙ぎ払った際にそれが床に落ちていた。
まずいと思った瞬間、父がそれを拾い上げて、母に向けて笑っていた。
私も弟も、その光景をただ見ていた。
切りつけるような動作をして、母をビビらせたあと、急に父は弟に視線を向けた。
包丁を母ののど元ギリギリに向けると、父は弟に言う。
「おい、お前は情けないやつだなぁ。男のくせにお母さんがやられていてもだんまりか?俺は父親が酒に酔って、母親をボコボコしている時に、やめろ!と果敢にとびかかっていったもんだ。それなのに、お前ときたら、お母さんが死んでもだんまりか?」
私も弟も、父をにらみつけて何も言わなかった。何か言えば逆上して母を殺されかねないと思った。
どうせ母を殺しても、父は「お前のせいだ」と墓前で母に言うだろうし、「止めなかったお前たちが悪い」と私達に言うだろう。
そして母のいない未来を、犯罪者の父と暮らすのだ。
そう考えるだけでうんざりしたので、決して声は出さなかった。
この日のDVがどうやって幕を閉じたのかはショックで覚えていない(何度考えても思い出せない)が、弟はこの件で深く傷ついてしまった。
私でさえ母を守れない自責の念があるのに、「男のくせに」と言われてしまったことが、ぐっさり刺さってしまったのだろう。
この日を境に、弟は明らかに心を閉ざした。
両親は弟のことを「全く話をしないので、何を考えているのか分からない人間」と評価し、「自分達に懐かないのであれば、もう知らない」と、両親の方から無視をしているようにも見えた。
そして、私はこの話を書いていて、はっとした。
お気づきだと思うが、DV中の父が弟に「男のくせにだんまりか?俺は果敢に飛び込んでいったぞ」という話をするのは、二度目なのだ(2-10参照)。
私は考えた。
父は、かつて自分の親のもめ事を仲裁するべく、暴れる親にとびかかっていったことを、強く覚えている。もしかしたら、父は母にDVをするたびに、その光景がフラッシュバックしているのかもしれない。
そして、家族の中で唯一の「男」であり、自分と同じ「長男」である弟に、自分の暴力行為を止めてほしいと願っているのかもしれない。
あの時、父も、この地獄を終わらせるきっかけを求めていたのではないだろうか。
しかし、そんなねじ曲がって、甘え腐ったご希望は、家族の誰にも届かなかったので、わが家の地獄はまだまだ続く。