5-9.子どもが出来て変わったこと

 区が開催している子育て講座に参加すると、同じエリアに住んでいる親子が沢山いた。
 妊婦の時も母親講習を受けるために、同じ場所に通っていたが、気後れして誰とも話はできなかった。
 なのに子どもと参加した途端、隣に座った人が「わー、可愛い赤ちゃんですね」と声をかけてきた。
 交流で同じグループになった人たちもガンガン声をかけてきて、驚いた。
確かに、産後、家にいる間は夫くらいしか話し相手がいなかったので、できれば育児の話がしたいと思っていた。
 そこで私も「もう人付き合いで悩むのはやめてしまおう」と心に決めて、自分から話しかけたり、連絡先を聞くようにした。
 そして、私の方でおでかけの企画を考えて、私がエスコートする形で、赤ちゃん連れが楽しめる施設に遊びに行った。
 おでかけに積極的ではない奥さんには、私の家に来てもらった。家で赤ちゃんとゴロゴロしながらお茶をして楽しんだ。
 数回会うと、気が合うかどうか判断ができたので、あまりにも気を使いそうな人からはそっと離れて、他の人と遊んだ。
 沢山友達を作ることで、一人に依存しないので悩みも少ない。「トラブルが起きる前に円満に離れる」という自分ルールで、嫌な思いをお互いにしないように努めた。
 こうすることで、対人恐怖の気持ちを持ちつつも、本当は人と交流したかった気持ちが満たされた。人生で一番充実した毎日となっていた。
 真っ黒だった私の人生に、娘ちゃんがよちよちとやってきて、沢山のバケツをひっくり返して、色を付けてくれたように思う。
 もちろん、外出先では自分ではなく、子どもを楽しませることに全力を注いでいる。
 沢山人に会う生活をすることで、人見知りしない子に育っているし、いろんな子のまねをして、ハンドサインも爆発的に増え、コミュニケーションを取れている。
 色んな親に会うと、いろんな方法で子どもと遊んでいることを学べるので、遊びの種類も増える。
 それを夫や友達に話すことでストレスが解消されて、どんどん悩みがなくなっていく。
 受け身のコミュニケーションでは体験することのできなかった「楽しいこと」が、自分から動くコミュニケーションには溢れていた。
 遊びたいけど誰も誘ってくれない、という生活はつまらないので、自分から誘う!断られてしまっても、落ち込まないようにする。「行きたいところは一人でも行く」という自分ルールにするだけで、こんなにも楽で楽しく過ごせるとは思わなかった。
 実際に「友達がいない」と悩んでいるママは、自分から声をかけられない人ばかりだ。そういう人に、こちらから声をかけると大体友達になれる。
 今は声をかけてよかった、と思うことばかりだ。
 人付き合いで悩むタイプの人ほど、自分から動いてほしい。

 実はママ友の中には、私と同じように「子どもに愛情を感じない」と悩んでいる人がいる。
 男の子を育てている、あるママの話が衝撃だった。
「うちは夫と一緒に、息子のことを『可愛い』って言わないゲームをしてるの。でもいつもスタートした瞬間に『可愛い!』って言っちゃって、私が負けちゃうのよね!」
 正直なところ、少し引いた。
 夫と恋愛をしていた時は、恥ずかしいような嬉しい気持ちがこみ上げてきて「これが愛!好きという気持ち!」と思っていたけれど、娘ちゃんに対しては特に何も感じずに生活していた。
 息子というのは、ママの恋人なのかもしれないが、娘しかいない私には理解できなかった。
 その話を、あまり愛情を感じないママ友仲間に話すと、皆苦い顔をした。自分達は、異常なのだと突き付けられたようだった。
 他のママ友も「無償の愛を知れて良かった」と言っていた。出来ればできれば私も知ってみたい。
 転機は、いつも話すママ友との何気ない会話だった。
 その日私は、我が家に遊びにきたママ友にお手製のアルバムを自慢した。
スマフォで撮った写真を、某アプリにアップすると、家族がケータイやパソコンで写真を見られるというものに登録していた。
月額を払うと、その写真を現像して家に送ってくれるので、そのサービスを利用して毎月写真を受け取っていた。写真にコメントを書いてファイリングしただけなのだが、これが私の宝物だ。
 うちの両親も私にアルバムを残してくれた。
 当時はまだカメラは高価だったし、現像も写真屋さんにフィルムを預けるので、お金も時間もかかった。
 しかも年子で弟が産まれたので、そこから写真が少なくなってしまうのだが、記憶にないほど小さな私は幸せそうに微笑んでいる。
 父は昔、酒を呑んで酔っ払うとよくアルバムを引っ張り出して見ていた。
 子どもたちを呼んで一緒に見て、この頃の思い出話を聞かせた。いつも同じ話ばかりだったが、その時間が好きで好きでたまらなかった。
 その瞬間の私は、大事にされていた。
 だから、いつか娘に見せる時に喜んでもらいたい。嬉しいコメントで溢れた愛のあるアルバムにしたい。私の老後の楽しみにしたい。そう思って毎月時間をかけて作っているものだ。
 アルバムを見て、ママ友は凄く驚いてくれた。
 こんなにちゃんと成長の写真を撮って、一つ一つコメントを書いていることを、めちゃくちゃ褒めてくれたのだ。
 そして、写真を見ながら涙をこぼしていた。
「まだ寝返りもうてない時期があったね」
「もうつかまり立ちができてる」
「離乳食も最初は食べなかったなぁ」
「オムツも替えた瞬間にうんこされてやり直しになったよね」
「泣いたまま寝ている写真もあるね」
「可愛いね」
「可愛いね」
 二人で沢山思い出を語って、沢山泣いた。
 近くで遊んでいた娘ちゃんが不思議そうに近寄ってきて、私の頬をなでなでしてくれた。
 私はいつも娘ちゃんが泣いている時に、彼女の頬をなでながら「大丈夫だよ」と言っていた。悲しくて泣いているのではないが、娘ちゃんが「大丈夫だよ」と言ってくれているみたいで、嬉しかった。
 益々泣いてしまう。
 するとママ友が「私達、自分の子のこと、愛してるよね。だって写真を見てこんなに泣けるんだから。子どもと接している瞬間は精一杯なだけだよね。こんなに可愛い子に、何も感じないなんてことないよね」と言った。
 私は首がもげるほど強く、何度も頷いた。
 そうだ、自信を持たなくちゃ。必死で子育てをしてるんだ。
 その時は感じなくても、あとからこんなに喜びの涙を流せるのだから、愛してるに違いない。
 だからもう、娘に求められていないと感じても、私は愛していないのではないかという不安がよぎっても、心配することはない。
 私は娘を愛している、そう分かったから、そう自分で決めたから、きっと大丈夫だ。

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