4-6.ニート時代

 月末で無事に仕事をやめた私は、家に引きこもりになった。

 仕事の引継ぎも大変だったし、その間も例の団体が怒鳴り込んできて、怖い思いをした。
 そういえば、私は車の運転も不得意だった。
 実は大学時代に免許を取ったのだが、担当教官が怒鳴るタイプだった。怒鳴られるたびに委縮してしまい、頭が混乱して、運転そのものに苦手意識を持ってしまったのだ。それでも、営業の仕事でどうしても車に乗らないといけない場面があったので、なんとか乗っていた。
 辞めるまでの半月の間は、仕事中にDVのフラッシュバックに襲われることが多かった。
 ある日、運転中にフラッシュバックがあった際に、急にブレーキを踏んでしまった。幸い後続車との距離があり、うまくよけてくれたので、事故にならずに済んだ。フラッシュバックと、事故で死ぬという焦りと、会社の車を大破させたらまずい、という焦りで、サウナから出てきたのか、と思うような大量の脂汗をかいて、帰った。
 やっぱり、私は正常じゃないなと思った。
 今回の喧嘩で父は「もうキレない。キレたら離婚でいい」と約束をした。何もできないと思っていた妻が、実際に家を借りて出ていったことで、父の中で「もうここから先は許してくれないんだな」と学習したようだ。父は家事もできないし、子どもも一応愛しているので、家族に捨てられるのは困るのだろう。それを私もわかっているけど、もう怖い思いをしたくなかったので、別れてほしかった。弟の裏切りと、母の裏切りで、家族の中に信じられる人はいない。
 部屋で一日中ごついヘッドフォンをして、過ごした。特にやることもないので、ベッドでダラダラしたり、ネットサーフィンをする程度だ。音楽は何も流していなかったので、ヘッドフォンは無音だった。もう父の怒鳴り声も、母の泣き声も、的外れな弟の言葉も、聞きたくなかった。耳をふさぐ目的のヘッドフォンだ。静かに暮らしたかった。サーという空気の音だけがやたらと大きく聞こえるのが心地よかった。
 ただ、虚無の時間を過ごす。食欲もない。何も成し遂げていないので夜も眠れない。用事もない。夢も希望も、目標も、相談できる人もいなかった。
 誰かとパーッと遊びたかったが、友達にも心配をかけたくない。学業に、研究に、自治会に、祖母の面倒に、バイトに、課外活動に、飲み会に明け暮れたあの日々は、全て泡となって消えた。
 朝も昼も、世界が真っ暗だ。リビングでもトイレでもヘッドフォンをしていたので耳も聞こえない。あんなにお喋りだったのに、一日に数回、どうしても顔を合わせてしまう親に「うん」と言うだけの存在として暮らした。

 半年後に、父に「そろそろ働け」と言われた。心は癒えていなかったが、無理やり働きに出た。どう見ても憔悴しきっている私に、よく「働け」なんて言えたものだ。「娘が無職で恥ずかしい」という目の前の問題は見えているが、私がどんな姿なのかは見えていないのだろう。
 逆らって怒られるのが嫌だったので、すぐに汚い部屋着でコンビニに行って、アルバイト情報誌を買った。家から歩いて数分のところで、正社員を募集している会社があった。すぐ電話をかけて応募した。なんと面接は翌日だった。持ち前の感じのよさと、しっかりしていそうな雰囲気だけで、一発で仕事を決めた。
 しかし、新しい勤め先で、たまたま出た電話でお客さんに怒鳴られた。客が怒ったのは私のせいではなかったが、パニックになった。怒鳴られた瞬間にフラッシュバックが起きて、電話を床に投げつけて、その場で嘔吐し、泣き叫んでしまった。まだ、勤めて二週間の試用期間中のことだった。
「まだ試用期間中ですが、採用はなしです。いつ辞めてもいいですよ」  
 翌日、あっさりクビになった。

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