沿線にあのプロ野球チームが誕生!
季節は12月、ということはプロ野球は完全にオフシーズン。
MVPやベストナイン、ゴールデングラブ賞が発表される、シーズン中のあの熱狂を思い起こす追憶の時。
ならばこの機会にわたしのプロ野球ファン歴をもって、自己紹介をさせていただきたいと思います。今回は第4回、もしよかったらお付き合いください!
前回の「ファンと公言した最初のチームは幼なじみの影響」もどうぞ。
母親に初めて!?反抗してヤクルトスワローズのファンを公言したものの、野球帽も買ってもらえず悶々としたプロ野球ファン人生の第一歩踏み出しました。
小学校に入って間もなく、そんなわたしに激震が走ります。
「埼玉にプロ野球チームが誕生」
当時住んでいたのは東京でしたが、そこは西武線沿線。チーム名は「西武ライオンズ」だったのです。
西武線の駅のポスターやつり革広告に「西武ライオンズ誕生」の知らせが一斉に貼りだされ、電車に乗るたびにいろんな情報を目にしました。
ジャングル大帝のレオをあしらったチームロゴ。
緑に囲まれた西武ライオンズ球場。
白を基調にブルーで「Lions」と書かれたホーム用ユニフォームと青地に白で「SEIBU」と書かれたビジター用ユニフォーム。
西武線といえば黄色い電車が定番。まだあの頃は赤い電車も走っていましたね。
なのに新球団「西武ライオンズ」のチームカラーはブルー。青い空と同じ色。しかもレオのマーク。
子ども心をくすぐるチームイメージでした。
小学校のクラスでも西武ライオンズ誕生の話題一色。みんなウキウキしていました。
そんななか「ライオンズ友の会」募集のポスターが。
あのレオのマークがついた帽子と友の会の証である缶バッチ、それから会員証がもらえるとのこと。
欲しい!のどから手が出るほど欲しい!!
恒例の母親に相談タイムです。「ライオンズ友の会に入りたい!」
この答えは意外にもあっさり「いいんじゃない」でした。おお!はじめてお許しがでた!!
当時通っていた小学校は好きな帽子をかぶって行ってOKでしたので、もちろんライオンズの帽子をかぶって通学。
驚くなかれ!クラスの男子の半数以上がライオンズの帽子をかぶっているではありませんか!!
まんまと西武王国の術中にはまる西武沿線の少年たち…。おそるべし堤帝国!
そんなことはみじんも思いませんでしたが、実際には野球好きの少年たちはライオンズファンになっていました。
その後小学校4年生のときライオンズのお膝元、所沢に引っ越しました。
なんといっても西武ライオンズの本拠地ですからね、みんなライオンズファンなんでしょう。
転校した小学校は学校指定の帽子をかぶらなければならず、野球帽はNG…。残念!
そして、クラスでの話題はもちろんライオンズ…、と思いましたが、なんと、みんな野球よりもサッカーに夢中だつたのです!
えっ!マジですか?ここはどこ???
同じ西武線沿線、しかもライオンズの本拠地なのに、少年たちは野球ではなくサッカーに夢中とは。けっこうショックでした。
今思えば埼玉はサッカー王国でもありますね。そして「キャプテン翼」も流行っていました。このあたりの影響かもしれません。
でも、前住んでいたところではそんなにサッカー流行っていなかったのになあ…。ところ変わればなんとやら。勉強になりました。
しかしわたしはというとサッカーに染まらず野球ファンであり続けるのでした。
ひとつだけ、転校して残念なことがあります。
プロ野球をテレビでずっと観ていましたから、やっぱり「やってみたい!」という気持ちはあったんですね。
いわゆるリトルリーグは小学校4年生からだったので、仲のいい友だちと「4年生になったら入ろうね!」って約束していたんです。
でも、ちょうど4年生になるときに引っ越しましたので、リトルリーグには入れずじまいでした。
もちろん転校先にもリトルリーグはありましたが、転校生ということもあるし、友だちもいないし、ちょっと不安で躊躇してしまいました。
この先も野球をやるという機会もなく、観る専門になってしまったのです。これも人生ですね。
さあ、ここから本格的にライオンズファンとしての歴史がスタート!
次回は「プロ野球ファンを決定づけた日本シリーズ」をお届けします。
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