大切な人の大切なものを、大切にできる人でいたい話
昨日、こんなツイートをした。
思いのほか、反響をいただいたので
記念に残しておこうかと思って。
このあとにもう少し長い言葉で
リプライに意見を書いていたりする。
たまたま、TL上で、
あなたにとっての「愛」とは、
という話が盛り上がってた。
noteをずっと読んでくれている方ならば
お分かりかと思うが、
私は何度か「愛」についての記事を書いている。
ライトなものから、結構覚悟が必要なやつまで。
…私には、絶対に揺らがないものという思いが
「恨まない」という気持ちだけ。
絶対に、復讐しない。そんなことするくらいなら
忘れる努力、よそ見する努力をする。
だって、わたしが嫌いになったその人を
好きな人だっているし
その人はまた誰かの「大切な人」だから。
私に「大切な人」がいるように、
その人にだって、傷ついた姿を見せたくない
「大切な人」がいるはずなのだ。きっと…
誰かを傷つけないことが、誰かを守ることになる。
反撃して、おかしなことになるくらいなら…
私は、傷つく脆弱さを選ぶ。
それが時間とともに、楽しいことをしているうちに、頭の中から出来るだけ印象の薄いものに変えてしまうようにする。それを薄めるための努力は、好きなことをして、自分を満たすことにしてる。…時間はかかるけど、相手が傷つけたことを忘れるって知ってるから、思い出さないように、
静かに、遠ざける。
それは、自分を大切にした結果、相手も大切にできると信じてる。
その裏の葛藤は、昨日こっそり上げた記事なんかが、それになりそうだけど、現実のわたしが満たされれば、きっと世の中的には、丸くおさまる。
事を大きくすることが大嫌い。刺激が増えるだけだから、私にとっては辛い状況が生まれるだけ。
…周囲には大きく大きくして、周りの力で問題を解決しようとする人が溢れているけど、私は、私が幸せと思える過ごし方をしていれば、少なくとも私は誰かを意図的に傷つける必要はなくなる。
それが、私なりの「愛」の表し方。
せめて、自分の好きなことで自分を満たすという「愛」は、忘れないでいたい。
とはいえ、方法を知りすぎて、一人を増やしてしまった、という悲しい側面も、あるんだけどね。