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拝啓わたし、26歳は何を成し遂げたいですか?
2024年11月25日8時39分。
生まれてきてから26回目の「お誕生日おめでとう」と言われる日。
元旦よりも誕生日の方が自分の人生の節目だと思っている。だから、25歳の振り返りをして26歳の抱負を語るぞ!意気込んでいたのに、気づいたら2025年になっていた。
はっぴーにゅーいやー。今までで一番ぬるんっと年越しをしてしまった。
思っていたよりも遅れてしまったけど、ここは26歳の自分にちゃんと頑張ってほしいので、2024年25歳の自分を振り返って、2025年26歳の抱負を宣言しておこう。
2024年25歳をがっつりと振り返る
人のご縁に恵まれた25歳。
新たな土地で自主企画に挑戦
2023年11月。25歳になったタイミングで、2023年5月から住み始めた北海道美唄市で自主企画を企て、お世話になっている方々の協力のもと、古着からつながる交流会―着ルンです会を開催した。それから毎月開催するようになった。
三つ子で作家活動
同月11月末から12月はじめ。三つ子の片割れ2人に頼んで、鹿児島でお世話になったケントコーヒーでクリエイターユニット3FacEとして作品を展示・販売させていただいた。
自分の作品がいくつか売れたときは、自分の心を認めてもらえたように感じて涙が出るほど嬉しかった。
そのときの作品は、BOOTHでも公開している。
恩人家族との本づくり
年が明けて2024年1月。
私にとって大きな依頼が舞い込む。大学時代の恩人から本づくりの相談がきた。
インタビュー時間約10時間の中で語られた家族四人半年世界一周旅行の記憶は、9月末に160ページを超える一冊の本になった。
北見転勤が発覚
美唄での生活で頼れる人たちがたくさん増えてきて、これからもっともっとこの場所で私らしく過ごしていくぞ、動いていくぞと意気込んでいた2月。パートナーの北見への転勤が決まった。
北海道に移住して、知り合いゼロから必死に動いてたくさんの人と出会えたのに、これからだったのにと悔しくてたまらなくなった。距離が生み出す厳しさを移住時に痛感していた分、また一からか……と心がくじけそうだった。
どうせ出て行ってしまうからと、人間関係も変わってしまうのではないかと怖かったけど、美唄のみんなとは引っ越しのギリギリまでイベントを一緒にすることができて、「いつでも帰っておいでね」と言葉をかけてくれた。それが何よりありがたかった。
三つ子でテレビデビュー・一年ぶりの家族時間
同月。TBSの水曜日のダウンダウン(以下、水ダウ)から三つ子としての出演依頼がきた。
最初はオンラインでの取材であったが、直接取材に進み、4月には弾丸東京撮影が決行。TBS内の控え室で三つ子エピソードを話した。
眼鏡を外した方が似ていることが分かると言われて眼鏡を外して撮影に挑んだ。視界は80%ほどぼやけていたためか、あまり緊張せずにいつも通りに人前で話すときのように話せた。
この日の東京滞在時間は2時間。あまりにも短い弾丸撮影だったけれど、久々に三つ子で会えたことが嬉しくてとにかくほっぺたが痛くなるくらい、ずっと笑っていた。
6月には同じく水ダウの大好きなドッキリ企画の仕掛人をできたのも、きっと人生で一度だけの経験だ。
ドッキリ撮影のタイミングで、東京に住む両親と一年ぶりに再会を果たし、五人で束の間の時間を過ごせた。家族でいろんなことがあったけれど、五人揃っての時間はやはり涙が出ちゃいそうなほど心が温かくなって、胸がきゅうとなった。
撮影したものは7月末オンエアで、大好きな片割れ2人と三つ子として初の全国放送デビューを果たした。
ご無沙汰していた後輩や同級生たちからもテレビ見たよと連絡が来て、懐かしい気持ちとありがたさでいっぱいになった。
コピーライティングへの挑戦
3月はイベントで知り合った方からの依頼で、甘酒の商品名とコピー、文字デザインを作らせてもらった。ずっとやりたいと思っていたコピーライティングをフリーランスとして任せてもらえたのはとても嬉しかった。同時に、もっと勉強してもっともっとコピーを紡げるようになりたくなった。この経験は2024年の宣伝会議賞への初応募につながった。
美唄が戻ってこれる居場所になる
4月は美唄市のシティープロモーション事業の年間報告会に登壇し、半年間毎月開催させていただいた着ルンです会について報告させていただいた。自分が思っていたよりもたくさんの人が鹿児島から来た自分を受け入れてくれていたんだと改めて感じた温かい時間だった。
5月はずっとここで買いたい!と思っていた美唄の眼鏡屋さんで眼鏡を買い、複数眼鏡使いデビューとなった。眼鏡可愛いねと話しかけられることも増え、新しいトレードマークになっていく予感がしている。
6月は最後の着ルンです会開催で、最終日はみんなが打上げ兼お見送り会を催してくれた。大好きな美唄のみんなの寄せ書きが書かれた世界に一つだけの美唄のコンセプトブックを手にした瞬間、これまでやこの瞬間の嬉しさや離れて暮らすことへの悔しさで涙が止まらなくなった。
温かい家族と厳しいキャリア
7月に特急を乗り継いで北見へ身を移した。
2年ぶりにパートナーのご両親にお会いして、最初はドキドキしていたが、あのときと変わらず優しく受け入れてくれて、荷解きが落ち着くまでたくさん助けてもらった。こんなに甘えていいのかと思うほどの経験で、自分の家族とはまた違う雰囲気のパートナー家族の優しさに、ほわほわとした心地を覚えた。
引っ越しと同時期に、フリーランスの案件契約が突然切れて、案件探しの旅が始まった。それから今までエージェントを介した案件は縁がなく、何十件と応募しても落ちまくった。自分はライターとして求められる水準にいないのだと自分に自信がなくなっていったし、新しい環境での孤独さに気持ちが落ち込み焦りが積もっていった。
会話がほしい
パートナーとパートナーの両親以外、直接会って自己開示できる相手がいない私は人とのつながりに飢えていた。
8月はフリーランスでの活動でお世話になっているドット道東つながりで、北見市内のイベントに走り、「引っ越してきましたよろしくどうぞ!」と一方的に会いたかったさいこうファームの百目木さんに会いに行った。そこで、何か大きなことが起こったわけではないけれど、これまで塞いでいた気持ちはとても晴れ晴れしていて、やはり自分で動いてなんぼだなと改めて感じた瞬間だった。
9月は地元で地域おこし協力隊をしている友人からのライティング講座の依頼をきっかけに、美唄をアテンドすることになった。
美唄に数日だけでも帰れることが嬉しくて、お世話になった場所を案内して回った。忙しなく動き回ったけれど、どの場所でも温かい時間が流れていて、「おかえり」と言ってくれる人たちもいて、また「ただいま」と言って帰れるように頑張ろうと思えた。
同月末、本業の仕事で、東京での催事販売を任された。久しぶりに文字ではなく自分の口からお客様に大好きな商品を話せる時間で、毎日声が枯れるほど夢中で商品を勧めた。
人に好きなものを紹介することがこんなに好きだったのかと初めて気づいた。
フリーランスとしての焦りと挑戦
美唄にまだいるときに、「道東に引っ越すと投稿で見て、美幌でも一緒に着ルンです会をしませんか」と声をかけていただき、美幌で初めてイベントを開催した。
美唄のときも思ったが、やはり開催する地域で出店メンバーの雰囲気もお客さんの雰囲気も違う。その土地土地の面白さと難しさを痛感した。
本業の仕事は社員としてリモートワークで続けているものの、フリーランスとしてのキャリアも確立しなければ私にとっては満足できない状況にいた。そう思ってあれはこれはと動いてみても、フリーランスでの活動はうまくいかずに、まだまだ落ち込んでいた。そんなときに、知り合いのInstagramづてにyourflagを見つけ、今の月収の数か月分をつぎ込んで自分のキャリアを本気で変えることを決めた。
12月から本格的にyourflagのセッションがスタートして、自分自身ともキャリアとも大事にしたい言葉とも、気づいたら顔を真っ赤にしているほどに考えるようになっていた。苦しい。けど、この苦しさはゴールに向かって自分を鼓舞するための苦しさだ。今はたくさん涙を流して、自分のサービスを確立したときには、人の涙を拭えるようになっていたい。
この毎日投稿もyourflagを通して決めた苦しいけど心が燃える決断だった。
はじめての結婚式
20年来になる幼馴染の結婚式に呼ばれた。親戚以外の結婚式の参列は初めてだった。直接電話で「結婚式に来てほしい」と言ってもらった日は「ハンカチ絶対用意していくわ」と笑っていたけど、実際花嫁姿を見るとハンカチを手放せないくらい号泣した。
サプライズでお色直し前の花嫁退場のエスコートを三つ子で指名され、ビールとサプライズの幸せで顔を真っ赤にさせながら三人でエスコートした。
こんな幸せな結婚式はないと本気で思った。
大人になっても「やっぱり変わらないね」とみんなで笑い合ったのが、たまらなく幸せだった。この変わらないねは変えたくない。けど、変わりたいところはとことん変わっていきながら、変わらないねとまた会ったときに笑いたい。
26歳成し遂げたいこと
25歳は人のご縁に感謝した。ご縁で生かされたと言っても過言ではない。
それと同時に、自分のちっぽけさを改めて痛感した。人と出会うことの難しさも痛感した。自分が与えられるものの薄さを痛感した。
これまでは、人と出会うためにイベントを開催してきた。
けど、それは私のやりたいことの本質ではなく手段だ。
本当は書くことをもっと生活の中心に置きたい。そう思いながら、2024年は随分と書くことをおざなりにしてしまった。
だから、26歳は自分の「書く」という強みを存分に人に差し出せる年にしたい。
そのために自分のサービスを確立させながら本を作る年にする。
もちろんご縁は変わらず大切にしたいけれど、そのご縁を大切にし続けるためにも、今年はもっと内側と向き合って与えられるばかりの自分から脱却するのが目標だ。
自分の「書く」生き方と向き合うために、本を作る。
もっと言葉に触れ、言葉を生み出す苦しさを感じる。
自分の作品としての本も作るし、自分のフリーランスの軸となるサービスを確立する中でも本を作る。
本を私、そしてサービスを求める誰かにとってのトロフィーになるように向き合い言葉を紡いでいきたい。
そのためにやらねばならないことは山積み。
でも、今はyourflagという環境がある。真摯に向き合って一緒に駆け抜けてくれるたまさんがいる。
だから今年はなんとしてでも成し遂げてみせるのだ。
弱音も吐いていい。もうやんなっちゃうとうずくまってもいい。
何度逃げようとしてもいい。
けど、ちゃんと戻って、前を向いて、やってやる!と叫びながら、もがいてもがいてやり遂げてみせる。
屈しながら生きもがく。
今年の抱負。
どんな年よりも苦しいも本望だと思える年にしようね、自分。
皆さん、こんな自分を今年もよろしくお願いします。
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