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母と娘の本づくり

朝から晩まで11時間。ノンストップで母と電話をした。
週末に話を聞いてほしいと連絡があったのだ。できるだけ早めがいいだろうと週明け月曜日に決行。
朝が弱い私は、母からの着信音で目が覚めた。
そこから軽い近況報告。母と話すのは久しぶりだった。

母は今、父と東京で暮らしている。
2年前、父の転勤で遅めの新婚生活を楽しんでおいでと鹿児島から三つ子娘で見送った。

田舎から都会へ。
なんでもあるし、なんでもできる。人も多い。
小さなコミュニティ特有の人との距離が近くて気を張りやすいというのは幾分か和らぐだろうし、気楽に楽しめるだろうと思っていた東京暮らし。
それでも母は、落ち込んでいることが多かった。

人の目を必要以上に気にしない生活は楽だけれど、何もない生活。
病気を患ってから職に就くのも難しく、外に出るのは通院の日くらい。珍しく父と出掛けられても、次の日には体が鉛のように重くて仕方がない。
夫と過ごしていてもと自分がいない方が楽そうに思えて仕方がない。
何にも干渉されないのは楽だけど、自分の存在が不必要に思えてただただ寂しい。

母は自分の存在価値を探していた。
ここにいていい。ここにいてほしいという誰かからの声を求めていた。
夫からもそれを感じられず不安になる毎日。

私はまだ結婚はしていないけれど、隣でソファに座るパートナーから、もし隣にいていいと思える安心感を感じられなかったら……想像しただけで胸が締めつけられた。

必要とされたい。自分に存在価値がほしい。
母の切実な決して大きくはない願い。

「私にもっと文才があったら自分のことを本にしたい」

母はぽつりと言った。
日記ではなく、本に。
たくさんの人に読んでほしいと。

「人から認めてもらうことで、自分も認められるんだよね」

言葉を返すと母はしっかり頷いた。
自分で自分を認めるのは簡単なことではない。どんなに言い聞かせても不安になって確信がほしくなる。だから、人から認められることは安心になる。存在を認めてもらえたような気持ちになる。

「本にしたい」という言葉に、以前書いた30歳までに叶えたいことを思い出した。
母の本を作ることだ。

「実は30歳までにさ」

母に全部話した。
自分が立ち上げようとしている記憶と想いをすくう本づくりサービスのこと。
そのサービスで、もっとも救いたい人は母であること。
母の記憶と向き合うには自分の不甲斐なさとも向き合わないといけなくて、勇気を出せなかったこと。
それでも、母の本を作りたいと思っていること。

母は全部、うんうんと聞いてくれた。
私は全部話した上で「どんな本を作りたい?」と改めて聞いた。

子育てのこと。それは変わらない。
でも、母の視点だけでなく、娘三人の視点も描かれた本にしたいらしい。
「そして、あわよくば印税が入ったら…」と母は悪戯を考えて笑う女の子みたいに口を手で隠してくつくつ笑った。

公開交換日記のような女4人の本づくり。
今年、27歳の年。
夢の目標リミットまであと3年。

新しい挑戦が頭の中から現実に飛び出してきて、確かに始まる音がした。

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屈橋毬花 | 【紙に月】
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