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「ありのままを愛そうぜ」にしっくりこなかった

人生ではじめて、クリスマスに風邪を引く、通称メリークルシミマスを経験した。そんな私にも、このメリークルシミマス期にひとつ嬉しいことがあった。
風邪っぴき期間限定で一重の右目が奥二重になったのだ。
体が疲れている証拠だから、あまり好ましくはないのかもしれないが、奥二重の左目と一重の右目の左右非対称っぷりがコンプレックスであった私は、束の間のシンメトリーに心を踊らせていた。

物心ついたころには、非対称っぷりに気づいていた。でも、時折真正面から撮った自分の顔写真の片方を交互に手で隠して「別人だなあ」と他人事のように感心するくらいなものだった。
しかし、気にし始めたのは色気づきはじめた高校生のとき。
「毬花ちゃん、右目腫れてるよ?!」と心配そうに声をかけてきたクラスメイトがいた。
慌てて手鏡を見ると普段通りのちょっと浮腫んだ顔の自分が映っていた。
いや、いつも通りやないかーい!
学年朝会がはじまる前の少し騒がしい体育館で吠えた。

そのくらいからだ。私が自分の右目にコンプレックスを感じはじめたのは。
最初は腫れてると思われるのは嫌だなあくらいだった。
しかし、無意識にアンテナを張ってしまったのか、世間が思う可愛いの定義がどんどん自分に集まってくるのである。
左右対称に近ければ近いほど人は美しいと感じるとか、二重の方が心理学的にも目が大きく見えるとか、目の中に光が入っていた方が好印象とか、そもそも二重の方が可愛いとか、目が大きい方が可愛いとか、一重でも左右対称で整ってるのがアジアンビューティーとか。
ぜーんぶ自分にあてはまらなくて、私の顔は世間一般の可愛いからは外れてしまうんだと悟った。それでも近くには、互いに「可愛い」「プリチー」「パーフェクト」と褒め合う姉妹の存在があったから、非対称さにやだなと思いながらも自分の顔を嫌いになることはなかった。

大学に入って付き合った彼は、「元カノの方が可愛い」とか「あの子可愛い」と私には「可愛い」を向けてくれないことに加え、ふとしたときに「不細工やな」とも言うデリカシーのない男で、私は自分を「ブス」だと思い込んで人に叱られるくらい卑下するようになった。
そこから救ってくれたのは、「モデルをしませんか?」と声をかけてくれた美容師のお兄さんで、お兄さんとのコンテストを通して少しずつありのままの自分をまた受け入れられるようになった。

ノンデリカシーマンと別れたあとも、自分なりの可愛いを見つけたい!と自分磨きに励んだ。それは今も続いている。

自分をある程度可愛いと思えるようになっても、リアルの評価は厳しいものだ。モデルをさせてもらっていた期間、悪意のない純粋な評価から見えるあの子(二重で鼻筋がスラリと通っていて、一瞬で美人だと思ってしまう)との差を感じて天を仰いでばかりだった。

それでもコンプレックスでうじうじする自分からは抜け出したかった。

ありのままを愛そうぜ。
右目のアイプチをやめた。

コンプレックスを武器にしようぜ。
アシンメトリーなミステリアスビューティーを突き詰めようとわざわざ非対称さを緩和させるようなメイクはやめた。

コンプレックスを愛そうぜ。
コンプレックスも美しさよ。

そんな言葉をたくさん浴びて、そういうマインドになれていた気がした。
でも、期間限定の右目奥二重をプレゼントされて喜んでしまった私は、心の奥底では自分のコンプレックスを美しいとは思ってないし、愛してたわけでもなかったことに気づいた。

あー、無理だったか。
変われない気持ちに落胆するかと思ったけど、思ったよりも吹っ切れていた。

いいじゃん。コンプレックスはコンプレックスのままで。愛せない自分を否定しなくていいじゃん。好みが違っただけなんだから。
このコンプレックスも美しいことは認めているけど、私が求めたい美しさは少し違っただけなんだから。コンプレックスを武器にしたって、愛せなくてもいいじゃない。銃を武器にしても銃を怖いと思うように、非対称さを武器にしても、ちょっと嫌って思ったっていいじゃない。
ありのままを愛したいと思いながら、コンプレックスだと嘆き続けたっていいじゃない。

ありのままを愛したからって、コンプレックスと思う気持ちを殺さなくていい。
「コンプレックスなんだよね、でも、まあまあ気に入ってはいるんだよ」
そんな矛盾しちゃう曖昧さで笑って生きていったって、それもそれで人間臭くて清々しいじゃない。

ちょっとだけ、コンプレックスを抱え続けるのは悪いことだと思ってた。
どうにか、コンプレックスを自分のチャームポイントに変換して愛さないといけないと思ってた。
それはそれでとてもいいこと。でも、だからといってできないことが悪というわけではない。絶対に。コンプレックスのままでもいい。そのコンプレックスと共存しながら幸せでいられそうなら、それでいい。
コンプレックスを抱えながら、なりたい私になれるように磨いていく。今日のコンプレックスとは絶対仲良くできないとか、今日は仲良くできそうとか、今日は最高にプリティーじゃんとか鏡の前で毎日向き合いながら、曖昧な自分を愛していたいね。

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屈橋毬花 | 【紙に月】
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