巻頭詩&エッセイ|維月 楓|モーヴ街2周年に寄せて―生と美の可能性―
かの人が曇り空の下で想いを遊ばせた土地で、私は灰色のコンクリートの上に生きて、文字を飛ばして生きる者として精進しており、菫色の詩集を開けたのですが、そこには日本の言葉と化けたその人の詩が踊っていました。今や海路でも渡れない遠くのあなたに、詩集を拓けばわたしは会うことができるのです。もはや後にした故郷の話に出てくる空に浮かぶチェシャ猫の姿のように、紙面に浮かぶ文字はなぜか眼光の形として心に射し込み、熱く燃える印象を付けられました。
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霧とリボンさま主催のアートプロジェクト「モーヴ街」が立ち現れてからついに2年の月日が経つ。人々の移動が制限された日々で、それでも文化の懸け橋を巡らせる強い意志の下に、生まれたひとつの街路。美を愛すものの中に表れ、それぞれの心を繋げる、形のない部屋たち。いまだ続くパンデミックと共に歩んだ2年間でいくつもの企画がオンライン上で彩られてきた。
先の見えない生活の中で、心だけは伸びやかに生きたいと感じた人もいただろう。美を愛する者はもとより自分の心の中にひとつの美しく自由な部屋を持っているので、自宅で過ごす生活に窮屈さを感じなかった人も多かったかもしれない。その一方で、今まで見ないままにしていた漆喰がはがれるように弱さや無関心の積み重なり生まれてきた社会のひずみも浮き彫りになった。今ようやく新しい世界への幕開けを作り上げる機運も高まってきたのではないかと感じる。
モーヴ街で行われた最初の企画では、イギリスの作家ヴァージニア・ウルフ『ボンド街のダロウェイ夫人』の拙訳を寄せた。
1925年、ウルフは体調を崩しながら病気と想像力について新たな視点で考察したエッセー、「病について」(On Being Ill)を残している。大陸を揺るがせたスペイン風邪も、多数の死者への弔いとともに集団免疫をつけた未来の我々にとっては、インフルエンザウイルスA型として身近に共存する病である。
感染病の危険性はいつの時代にも存在しているというのに、人の意識が追いつかないほど毎分毎秒と発展する科学技術によって、私たちが生きる世界は制御されているかのように見える。あたかも毎日が同じように繰り返される等質のガラスの試験官のように。身体は均質に作られ、皆が同質のものかのように。優しさや堅実さは 来るべきいつかに持ち越し。空約束で価値が泡のように積み重なる金銭的利益が社会の指標であるかのように。子供の時に感じていたような、どこかこの世とは違うものに思いを馳せる瞬間なんて一度も持たなかったかのように―――
パンデミックによる多くの苦しみと悲しみは依然残るが、周りを見回せば、やっぱりみんな人間だったのだとほっとする瞬間もまたあった。過去の文学や芸術作品に描かれた苦しみは、今の私たちにも確かに通じているのだという喜び。現代というベールに隠れて見えにくくなっていたさまざまな差別や貧困、格差で涙を流す隣人は確かにいた。そして、同じように痛みを分かち合う可能性はいつでもそこにあったのだ。
図らずも訪れた、過去から未来を繋ぐような瞬間を今一度忘れないでいるのか、その選択肢はこれからの私たちが作る世界にある。
過去が現代に立ち現れ、現在が過去と未来への鏡となって反射しあう。そんな文化と芸術の強い力が、今一層の光を放っている。
ここモーヴ街では、現代を生きるさまざまな作家たちが新たな文化を作り上げ、同じ志を持った美を愛する者が出会い語り合うことのできる場である。
モーブ街3番地 菖蒲の花匂う窓辺にて
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2周年の幕開けとなる今回の企画の主題は「菫色×都市」。このテーマを聞けば、私にはすぐにルネ・ヴィヴィアンが思い出される。
美しき時代――ベル・エポックのフランスを生きたイギリス出身の詩人。ベル・エポックといえば、さまざまな文化が入り乱れ、新しき思想を宿した若者の血潮が燃え、その華やかな印象から胸を焦がすようなあこがれを持つ方も多いだろう。しかし、ルネはフランスが灰色だと感じ、東洋に思いを馳せたという。短い生涯の中で、実際に日本を訪れたこともあるという。
「どこかこの世とは違うもの」への欲求。芸術とは何かと問われれば、私はそう答える。
その気持ちが、見たことのないものを作りたい見たいという生きる力に、私を駆り立てる。美を愛する者は、このような見果てぬ夢を胸に抱いているものだと思う。灰色の写真の中に残されたルネの夢見るように誘う瞳、力強く挑むような瞳、伏し目がちの瞳からは、誰にも鍵を渡さない部屋の存在を強く感じさせる。
人それぞれ違う形を持った霧の中の街、形は違っても今そこで出逢うことができる。3番地にお越しの際にはどうぞ奥の扉を二度ノックしてくださいね。
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