【神話と私の想い出】東(あづま)の国の物語
九條です。
私が中学2年生のとき、同級生に「我妻」さんという女の子がいました。
当時、私は「変わった名字だな」と思っていましたが、とくに関東から東北にかけては、
「我妻(わがつま)」
「我妻(あがつま)」
「我妻(あづま/あずま)」
「吾妻(わがつま)」
「吾妻(あがつま)」
「吾妻(あづま/あずま)」
さんなどがおられて、それほど珍しい名字ではないようですね。
あづまはや!
さて、『古事記』を読んでいますと、以下のような話があります(この話は『古事記』のクライマックスのひとつでもあります)。
この倭建命の「あづまはや!」の絶叫が、東国を「東の国」と呼ぶようになった由来だということです。
「あづまの国」とは、すなわち「私の妻の国」という意味ですね。
同級生だった我妻さんの名字も、もしかしたらこの『古事記』のヤマトタケルの伝承に由来しているのかも知れないなと思ったのは、私が大学生になって『古事記』を読んでからでした。
『古事記』の原文と読み下し
古代(といっても『古事記』が編纂されたのはヤマトタケルの時代ではなくて奈良時代ですが)の日本語の読み方は、風格があってリズミカルでステキだなと思います。
大和は国のまほろば
さてその後、倭建命はさらに伊吹山の神との戦いに挑んで身も心もボロボロになりながらも、生まれ育った懐かしい故郷の大和の国を目指して帰途につきます。そうして能煩野(現在の三重県亀山市か?)までたどり着いたところで「私はもうダメだ。大和の国に帰り着くまで命が持たない」と思い、望郷のうたを歌います。
『古事記』に記されている、倭建命が亡くなるときにうたったその有名な望郷の歌を最後にご紹介致します。
その後、倭建命の魂は白鳥となって大空へ飛び立ちます。
©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)