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和歌山市園部 〜1998年のこと〜

九條です。

1998(平成10)年、当時私は和歌山県へ出向していて、和歌山市園部に住んでいました。

その年の夏、あの事件が起こりました。

私が普段の買い物に使っていたスーパーは、その事件の被疑者とされたHさんも使っていた事をあとから知り、とても驚きました。私と彼女との生活圏には重なる部分があったのです。

私は、我が国の歴史・伝統・文化などを鑑みるとき、現段階において死刑制度はあって然るべきだと思っています。ただ、将来的にどうするのかは、まだ議論の余地があるように思います。

西欧のキリスト教的な歴史・伝統・文化や価値観が絶対的なものではなく、東洋には東洋の、我が国には我が国の歴史・伝統・文化や価値観があると思います。

そのうえで私は、死刑を適用すべきは我が国を存続の危機に陥れようと企み、その計画を実行した人(内乱罪および外患誘致罪)。

および、複数の人の命を奪い、その行為について、

(1)複数の目撃者があり
(2)確実なる物的証拠があり
(3)本人の積極的な自白がある

この3つの要件を満たした場合にのみ死刑は求刑され、また判決を言い渡す事が可能であるべきだと考えます。

これらの要件のうち、ひとつでも欠く場合、さらには少しでもその行為に疑いが残る場合には、死刑は求刑してはならないと思います。

そして、現行の無期懲役刑と死刑との間にはあまりにもギャップがありすぎると感じます。その間にもう一段階、何らかの刑罰(終身刑など)の設定が必要ではないだろうかと思います。

我が国は近代法治国家であり、近代法治国家における法秩序は絶対に人の感情(報復感情や群集心理等)には左右されてはならないと思います。

法は感情的であってはならない、どこまでも理性的であらねばならないと思うのです。

ですから私は、かつて裁判員制度の導入にも反対の意見を持っていました。現在でも反対の意見を持っています。

法律について専門的に学んだ事のない、わけの分からない(私も含めた)ド素人どもが人を裁くのは、それは法治主義のする事ではないと考えるからです。それは野蛮な未開国家、未開人または独裁国家における独裁者のする事と何ら変わりはないからです。

Hさんが、強大なる国家権力によってその意思に反して命を奪われる事がないよう、願っています。

珍しく社会ネタを書きました。^_^


©2025 九條正博(Masahiro Kujoh)
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