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ソウサクよ、私は還ってきた(後編)
過去の創作物の事を言うつもりが、ついつい思い出話へと花が咲いちゃった本作。
今回は、ちゃんと後編です🙇♂️(笑)
宜しければ、過去2作もご覧になってみてください。
はじめに
これからお話しする内容は「過去の作品」についてです。
最もモノを書いていた時期は90年代前中期から2000年中盤までの約10年程。
この間に何作作ったのかは全く覚えておらず、それでも10.20は紹介出来ますが、読んでくださる皆さんに"おっ!"と刺さるようなモノを選びました。
自分は読んでくださった方とコメントでお話ししたい人なので、言いたいし聞きたいと云う感じです。
(これで誰もに刺さらなかったら爆笑である)
…綴っていく中で、つい作品を語りながら時代背景や思い出、そしてナゾに熱い想いを語っちゃう、百舌鳥安定の脱線が緩やかに行われると思います。
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A.最初から(笑)
目指すモノがエンターテイメントなので、その辺はご理解ください。
ではまずは以前にも少し触れた、コチラのタイトルから。
産業廃棄物少年
これはまだ10代後半の頃に書いた小説大賞応募作品です。
…どれくらい書いただろうか。
規定が変わって無ければ400字詰め原稿用紙250から300枚以内?? だった気がします。
文筆に於ける自慢は3つあります。
その内のひとつがコレで、処女作の長編でかなり善戦したのは今でも良い思い出です。
当時は応募数も選考数もそんなに多くなかったので、ある種のラッキーでもあったと思います。
(翌年はダメでした(笑))
…この話は「それゆけノンタック」と云う教育テレビ(現Eテレ)から着想を得て、ゴミ処理場で偶然出逢った"モノと話せる"アンドロイドの少年と、人間の少年のお話しでした。
当時「京都議定書」と言うものが取り沙汰されていて、温暖化防止についての何かだったと思います。
また、時代的にバブル崩壊から間もなかったんですね。
どこを以て不景気と云うかにも依りますけど、僕の感覚では崩壊後緩やかに蝕まれていき、この90年代後半に「家計」に大きな影を落とすようになったと思います。
(自分は氷河期世代なので良く覚えてます)
リストラと云う言葉が誌面に踊り、未成年犯罪や無差別殺人など痛ましい猟奇的な事件があったりと…いつの時代もそうですが、僕が知覚的に「世の中が荒んでいる」と感じたのは、奇しくも最も多感な青少年期でした。
この時"使う使われると云う意味で"ヒトとモノの差は何だろうと考えた事がありましてね。
「ヒトをモノのように扱う」と言います。
「モノをヒトのように扱う」とは中々言いませんが、転じて「"どんなモノ"にも魂が宿る」と言う考え方は日本独特の価値観なのだそうです。
だから「作者である自分が、モノに成り切って誰かと
対話させる」事で、この現代(当時)を生きる上で本当に大切な事はなんなのかを、たかだかティーンエイジャーの分際で伝えたかったのですね(笑)
登場するのは冷蔵庫、扇風機と冷風のみのクーラー、景品ゲーム機(プライズ機)とか平成の利器的なモノだったと思います。
割と社会派な小説を書きたいお年頃で、連日図書館に行き、調べまくってましたね。
この頃は家にパソコンは無く、書院(ワープロ)で書いてました。
最初は正に「小学4年生社会科」のような雰囲気から、段々とモノが叛乱を起こすような展開になってくんですが環境問題をベースにした対話によって友情育む感じです。
闘う事は無いんです。が……ある種の電脳(=思考)で弁論する、なんかロックマンとグリッドマンみたいで…地味だな、今思えば(笑)
その頃からIoTとかAIとかシンギュラリティがとか、今となっては良く耳にするその辺の話も当時から既に触れてはいて、「モノの未来と生活」に関する論文(英語)とかその手の本を読み漁ってたからこそ…なのかもしれません。
最後は悲しい結末で、今思えば「えんとつ町のプペル」にも近いですが、僕の大好きな「ワンダープロジェクトJ」や「キィ ザ メタルアイドル」「セイバーマリオネット」の要素も含まれていました。
そんな話です(尻切れ)
Life Time Circuit
時間は飛んで20代中盤、つまり2005年とかその辺の頃。
大好きな"リプレイ"を書きたかった所から始めたものです。
リプレイと云うのはケン・グリムウッド氏の小説で、所謂「ループもの」です。
ニューヨークの小さなラジオ局で、ニュース・ディレクターをしているジェフは、43歳の秋に死亡した。気がつくと学生寮にいて、どうやら18歳に逆戻りしたらしい。記憶と知識は元のまま、身体は25年前のもの。株も競馬も思いのまま、彼は大金持に。が、再び同日同時刻に死亡。気がつくと、また――。人生をもう一度やり直せたら、という窮極の夢を実現した男の、意外な、意外な人生。
また、ドラマでも堂本剛くん主演の「君といた未来のために」(1999年)と云う話しが好きだったのもあり、いつか書きたいと思ってた作品です。
僕はバック・トゥ・ザ・フューチャーが大好きな人間で、何でもなさそうな所にも細かい伏線を入れる作風に影響を受けての当時がありました。
そこから「1日をループさせる」考えに至り、それをオムニバスのように進めると云う話しを思い付きました。
1日は、新聞、テレビ欄、雑誌記事、道路や電車のダイヤなどの交通網、天候、事件や事故と、今の自分ではあり得ない程バカみたいに細かく作り、その世界の中に様々なヒトを住まわせてお話しを書いてました。
時代背景はネット文化を入れたくなかったので1990年代初期を舞台にしています。
僕はキャラクター作りに於いて自律性を持たせたいと思う人間で、自分が深く感情移入出来るように細かく作り込みます。
それによって「世界さえ確立されていれば勝手に動く」登場人物を生み出します。
自分は「キャラが走る」と言いますが"自分で作っているはずなのに、作者の意図と外れた行動をし始める"事を指します。
プログラムで云うトコロの「Run」と同じ意味合いで言わばTRPGのゲームマスターのような感覚です。
自分が生み出したキャラクターは善でも悪でも愛着があり僕の様々な面を投影しています。だからそれぞれに個性があり行動原理があって「面白い」んですよね。
理的ではなく感覚的にモノを作ってしまうのは、僕が"成り切りの畑"にどっぷり浸かってたからでしょう。
投影し、没入し、自分のレンズに映った映像をそのまま文字に起こす。
元来その手法しか僕には持ち合わせがなく、それが「描写」として活きています。
それは音声表現に於いてもそう言えます。
そんな感じで「たった1日の世界観」に住み、繰り返し、気付く人、気付かない人、抗う人そうでない人…と云う人間模様をオムニバスで書くって内容でした。
何故同じ時を繰り返すのかと云うカラクリはもはやスピリチュアル的な話しで、あまりに稚拙なので話すのは止めます(笑)
そんな一世一代感のあるプロジェクトですが、実はちゃんとリリースしてません。
当時流行った携帯小説に出したりする程度で、「同一時間軸だと気付いて貰えるか」の、実験的な意味合いがある趣味の範囲。
イイ感じになれば、まとめて、ちゃんと書いて応募しようと思ってましたが……。
どちらかと言えば、自分で作ったゲームを自分だけで遊ぶような気持ちでした。
Final Fantasy os X
俗っぽいタイトル出たな、とお思いでしょう。
…その通りです(笑)
所謂「二次創作」ですね。
感動、衝撃と多大な影響を受けたFF10なのですが「男女を総入れ替えして物語を進める」と云う暴挙に出たのが本作でした。
知ってる方にしか分からない内容ですけど、
ティーダが女性、ユウナが男性、だからルールーやリュックも男性です。
そうなるとジェクトやアーロン、ブラスカは女性になるワケです。キノック老師だって、いけすかないオバサンになります。
メイチェンも優しそうなお婆ちゃんで、ユウナレスカなんて激烈カッコイイ感じでした。
ただ、
キマリはキマリです(何故)
なんでこんな事をしたかと云うと当時は「専属の絵描きさん」が居たんですね。
言わばコンビのような感じで、同人界に打って出ようと思ってたのです。
まだそんなにネットも大容量データ送信は出来なくて、絵描きさんは紙とペンで描いてました。だから郵送か直接会ってましたね。
そんな時に、この話しが思い付いて盛り上がったと。
結局僕が転勤で地方に行き、そこで解散した為完結はしておらず、それでもマカラーニャの森の泉辺りまでは書いてました。
プロットは最後まであって、正典は男性が消えていくのですがこの作品は女性が消えるので、全然違うモノになります。
ただ男女を入れ替えるだけで(整合性は大変だったけど)ここまで違うモノになるのかと…思いました。
これは売り物にすりゃ良かったんですが全然してなくて、ネットで細々とアップしてました。
そこそこ反響があったのを覚えています。
この辺が、ずっと培ってきた「設定制作」としてのピークだったのかもしれません。
ラスティ大魔法探偵社
シリーズとして書こうとしたモノで、魔法とミステリ(推理)を合わせた物語が描きたいと思って考えたものです。
剣と魔法の、火も出るし、空も飛べると云うような世界で「事件」が起きる。
例えば「内側からカギが掛かっていて」と云う事があるとします。現実では密室で肝でもありますけど、剣と魔法の世界では魔法でカギなんて掛けられてしまう。
そんな「何でもアリな状態でトリックを暴く」と云う内容の話しでした。
魔法の種類は精霊魔法、神聖魔法、黒魔法、付与魔法と限定して「その魔法が発動する条件」などを細かくする事で、カウンターマジックだったり、施設環境の制約を作り出して書いたんですが…。
個人的には結構面白い内容でした。
けど、2.3作くらいで「もうムリ」とサジを投げました(笑)
ミステリ小説は前回書いた通り寝食を忘れて没頭していた事だったので、書くと云う行為に転じるのは自然の流れでした。
それが時代を経てナゾトキブームが起こりそこに繋がり、クリエイター人生1周目の晩年に於いてキレイな花が咲きました。
何回も言っている事で恐縮ですが、本当に「全ての知識と経験が繋がり、終わった」と思えたから、そこから暫く何もしなかったのですね。
おしまい
以上で「ソウサクよ、私は還ってきた」シリーズは終了となります。
お付き合いくださり、ありがとうございます。
割と記憶に任せて勢いで書いてるので、多少の読みづらさはお許しください。
いやぁ…結構やったな(笑)
と、思います。
当時は本当に、四六時中モノ作りの事だけを考えてました。
完成したもの出来なかったものもいっぱいありますが、仮に出来なかったとしてもそこに賭けた想いや、資料を読み漁った知識、様々なジャンルを書いた経験は、あれから10年以上経った今でも何かのカタチで骨となり血肉になっているのだと、僕は信じたいです。
あの時確かにあった根幹は、
「自分にしか描けない世界観を見て欲しい」
だったと思いますし、今もそうです。
noteのみならず他のプラットフォームに於いても僕の創出するコンテンツは「個性の塊」です。
「ヒトと違う生き方は、それなりにしんどい」
僕はそれを地で進んだ結果がコレ。
オススメはしません(笑)
ただ、振り返った時その道程を見て感慨に浸れたのは、自分の40数年の人生が「面白い」と自信を持って言える生き方だったからこそです。
さぁこんなに吐露しまくって、いざこれから百舌鳥が描く創作がどんなモノになるのか。
今一番、自分が自分を楽しみだと思うし、あまりのブランクで酷い話だったとしても、それはそれで「テヘペロ」です(笑)
ここまでお読み頂いて、ありがとうございます。
あの時あの頃、同じモノを視てこう云う生き方をしていたヤツがいた。
と、笑ってやってください(笑)
よろしければイイネ、コメント、お待ちしています。ヤル気が出ます✊
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