【読書案内】「働く」とこころ
職場は私たちが長く滞在する場所だ。
こころの健康の観点からも非常に重要な空間であり、人間関係や労働環境、仕事の質・量など様々なファクターがメンタルヘルスに影響する。
今回は『「働く」とこころ』というテーマで2冊の本を紹介する。
勅使河原真衣『職場で傷つく』大和書房
不条理なことに巻き込まれたとき、「もやもや」を抱えつつも自分の感情を呑み込んで、受け入れる。
働く大人たちの多くが、経験しているだろう。
これまで「もやもや」という曖昧な言葉で表現されてきたその感情は、実際には「傷ついている」のではないか。
私たちは日常生活の場面や、災害のような特殊な状況だけでなく、職場でも傷ついている。
しかし、職場で「傷つきました」は禁句でもある。言いにくく、もしも言葉にしたらきっと良くない印象を抱かれるのではないか…
この本はメンタルヘルスや臨床心理学の本ではなく、「組織開発」に関する本である。
「ハラスメント」や「メンタル不調」の文脈でのみ語ることが許される「職場での傷つき」の実態や仕組みを明らかにすることから、筆者は組織開発を論じる。
勅使河原さんは、以前紹介した『「能力」の生きづらさをほぐす』で、実際には曖昧でなんとでも言えてしまう「能力主義」の思想が、”科学的根拠”を身に纏って人材開発や人事評価に入り込んでいると批判してきた。
この本では、「職場での傷つき」の仕組みを能力主義で解説しつつ、ただ仕組みを解説するだけでなく具体的に職場は何ができるのか、まで踏み込んでくれる。
人は常に変化し続ける生き物であるという当たり前の事実と向き合って、「能力主義」の呪いを解いていく。
個人の「能力」に責任を還元し続けて知らんぷりするのではなく、気づいたら声をかけるという簡単なことから、「職場での傷つき」対策は、始めることはできる。
山田陽子『働く人のための感情資本論』青土社
本書のキーワードである「感情資本論」。
「感情」と「資本」が結びついた、見慣れない言葉だと思う。
本書の筆者は、イスラエルの社会学者エヴァ・イルーズによる「感情資本主義」の議論を補助線に、日本の職場環境における「感情」のあり方と、セルフマネジメントを強いられる個人の存在を指摘する。
「感情」は、うまくコントロールできると周囲の人からポジティブに評価される。
それは職場でも同様であり、周囲の人からの好印象は、いつの間にか人事評価にも影響する。
会議でイライラをぶちまける人よりも、淡々としている人を。
ストレスフルな内容の仕事を任せても、弱音を吐かず進めてくれる人を。
上手な感情のコントロールは、昇進・昇格、人脈の拡大、そして社会階層の移動を可能にする。富の形成にすら寄与するという点で、感情は「資本」となったのだ。
昨今、「働く人のメンタルヘルスケア」への注目が高まっていると言われるが、心理学は職場環境にもっと早く、第一次世界大戦直後から入り込んでいた。
二度の世界大戦を経て飛躍的に進展した、兵士の「トラウマ治療」や「モチベーション回復」にまつわる研究。
その研究成果は労働者の「働く意欲」につながるとして、様々な自己啓発書やコンサルタントを通して、戦場から職場へ活躍の場を移してきた。
かくして、仕事と心理学は結びつき、「感情のコントロールが上手な人は”できる人”だ」という価値観が生まれたのである。
さて、現代の日本の労働者は「労働」を嫌なものと言うよりも自己実現の手段と捉えていて、「満足感」や「充実感」を仕事に対して求めていることが分かっている。
感情をセルフマネジメントすることも、決して一方的に押し付けられているものではなく、むしろニーズが存在している。
ゆえに、「働く人のメンタルヘルスケア」産業も存在しているのだ。