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『朝日のあたる家』 重松清

大学の帰路、友達が「死にたいと思ったことなんて、一度も無いけどな」と言ったときのことを鮮明に覚えている。
私よりも背の高い友達のその声を捉えたとき、雷が落ちたかのような衝撃が走った。

私は毎日「死にたい」と思いながら生きていたので、周りの人間も同様だと思っていたのだ。

「つらいけれど、がんばって生きよう」
これが各人のスローガンだと思っていた。
しかし、生きづらいのは、私だけだったのか‥‥。
いつからこのような思考になってしまったのだろう。
絶望と孤独感を纏い、呆然としながら電車に乗った。

一晩がかりで、二人の高校時代のとりとめのない思い出話をした。古い卒業アルバムも出した。高校時代の武口も、睦美も、すまし顔で写真に収まっている。「あの頃は、こんな人生になっちゃうとは思わなかったなあ」と武口は笑った。だが、「あの頃のほうがよかった」とは言わなかった。それだけでいいんだ、といまは思う。 (p.107)

平凡な家庭で幸せな人生を送ってきたはずなのに、なぜだろう。
「あの頃のほうがよかった」と言える時期なんて思いつかない。
ただ、「それでいいんだ」と思うことにした。
もう、赦すことにした。
愚かで退屈な私を、全部、ぜんぶ。

自分のことを好きになることは、おそらく無い。
でも、そんなのあきらめて、生きようと思う。
自ら死を選ぶのはおこがましい気がするから。

生きることを気負わなくていい。
何者にもならなくていい。
生きているだけで、喜んでくれる人がきっといる。

それだけでいい。

空腹を感じる前にお腹が鳴った。
無性に、家族と会いたくなった。

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『朝日のあたる家』 重松清 『その日のまえに』(文藝春秋、2008)第2話に収録


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