休職中、刺さる言葉、巡らす思考。
「休職してる時って何をしてるの?」
友達と会う時に聞かれて、胸に突き刺さる。
答えは「何もしていない」、だからだ。
実際に何もしていないかと言われれば嘘になるが、ゲームをしたり、YouTubeをみたり、noteを書いたり、気が向いたら少し転職活動をしてみたり。
そして夜になるとよく大きすぎる命題に頭を悩ませたりする。
「どうして人は生きるのか。」
「どうして僕は生まれたのか。」
他の動物・植物たちは子孫繁栄のために生きて、そして死んでいく。
犬や猫、サルやクジラなど知性の高い動物は子孫繁栄以外にも考えていることはあるかもしれない。
それこそ「なぜ生きるのか。」とかを。
もしかするとその他の生物も僕たち人間が知らないだけでそれぞれが生きる意味を見出して、生きているのかもしれない。
人間だけがこんなにも「生きる」ことに理由を探していると決めつけるのは人間のエゴかもしれないけれど、ここではそうだと仮定する。
そうだとすると人間として生まれた以上、考えないわけにはいかない。
答えられる人はどれくらいいるのだろうか。
「それを探すために生きている。」
「家族のために生きている。」
よく聞く答えだ。
→じゃあそのために仕事をしているのか?
→その仕事で体や心を壊してしまうことになったとしたら?
→心身を壊すのが自分や家族じゃなくて他人であればいい?
→理由が見つからない人はどうする?
揚げ足取りみたいな問答をしているが、正直僕はそもそも答えを持ち合わせていない。
だからグダグダと思考を引き伸ばして、僕は何かをしていると言い聞かせているのかもしれない。
この類のことを考えていると思い出す言葉がある。
「自分第一に生きてね。」
優しさと慈しみに溢れたはずの言葉が「何者」でもなく生きてきた僕にとっては深く突き刺さる。
自分ってなんだろう?
そもそも自分がやりたいことって?
休職する前は当たり前に生きてたし、理由なんて考えることは滅多になかった。
仕事を休んで、大切な人とお別れをして、この先が何も見えなくて、なのにこの先を頑張らなきゃいけないから頑張る理由を見つけたくて。
無我夢中で考える。
考えて「何者」であるかを模索する。
「何者」でありたいのか、自問する。
結局答えられなくて、耐えられなくなって、
そして眠れなくなって薬を飲む。
考えなくていいように眠れるまで音楽を聴く。
最近親友が教えてくれたフジファブリックの「ByeBye」をよく聴く。
お前って曲を聞いて感傷的になったりするタイプ?的な事を聞かれて、別に。って答えたけど、正直な話、時と場合によるし今は余裕で感傷的になる。
でもそれで気が紛れることもあるから、曲の共有をしてくれて助かっているよ。ありがとう。
そんな彼は僕のnoteのリンクを知る数少ない「選ばれし者」であるが、彼をはじめ最近僕のnoteを楽しみにしてくれている(と勝手に思っているだけかも?)人が増えたから、できる限り頻繁にnoteを書こうと思っているのだが、ここ数日内容が上手くまとまらない。
ようやくここまで文章にしてきたけど全然納得いく内容にはなってない。
下書きにある他の何十個の記事よりかはマシなんだけど、、、
話を戻して、今日は終わりにする。
「何者」であるか。
自分との決着をつけないと、多分僕はこの先何をやっても上手くいかない。
答え、見つかるといいな。