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何もない平和よりも不幸や不運を望んでいる人たち
修行が目眩しになっている
『人間って本当に修行が好きじゃのう…。』
伊奘諾のおじいちゃんから見たら人ってそんな風に見えるんだ。
『目標を持つのは悪いことではないがな。
修行や試練が好きなのも良し悪しじゃな。
自分で好きでやっとると気付いている場合は良いが、気付かずに修行が目眩しのようになっている者も多いからの。』
修行や試練が目眩し。
修行や試練の中にいる自分に満足しちゃって、見えていない部分があるってことか。
『試練や修行の中におると【やっているぞ感】が出るからな。
人によってはこれが麻薬みたいに作用しておる者も多い。
試練や修行がない平和な状態を【何もないという虚無】のように感じてしまって、自分から試練や修行の中に飛び込んで行くのじゃ。』
まるで虫が火の中に突っ込んじゃうみたいだね。
『強ち、間違いではないな。
気付いていたとしても止められない者もいるからの。
まさに本能に抗えぬ羽虫や、薬の誘惑に抗えぬようなものじゃろう。』
修行や試練がないと成り立たないストーリー
『そもそもじゃ。
修行や試練がないと成り立たないというストーリーが多すぎる!』
あー…うん。
それは人の潜在意識の中に刷り込まれちゃってるかも。
ゲームや映画の中にも強敵やら大問題やら必ず出てくるからね。
『それを楽しんでしまう人の性というものもあるからのう。
楽しむために不幸や不運を望んでしまっている自分がいるということじゃ。
そうでないと自分を成り立たせることが出来ないと思っておる。
まるで修行や試練がないとストーリーは成り立たないとでもいうような感じじゃな。』
それは誰でもあるね。
気付いていないだけで。
『そうなんじゃよ。
わしは何もない平和な感じがいっとう好きじゃがの。』
何もしていなくても自分が自分で生きていくために物事は展開していくし、何かしらは起きるものだけど。
修行や試練の中に飛び込んでいくことで、そんな時に起きる物事には気付かないままにいてしまうこともあるってことだね。
『お前さんも普段は何もしてなくて、のんびりやっとっても何かしらは起きとるもんな。』
そうだね(笑)
自分軸とは。
『同じように知っているというだけで満足する人間というのもおるな。』
知っているということで、【知っているぞ感】が出るんだね。
『うむ。
総じて【やっておるぞ感】じゃのう。
全く感じずにおれば心が折れるがの、あまりにも中毒のようになってしまっておれば心が悪酔いをしてこれまた目眩ましで見えぬものが出てくる。』
ううーん。
難しいね。
ふらふら揺れる人も多そう。
『人はいつでも揺れておるとも。
この【揺れ】が大事なんじゃよ。
言うなれば【揺れ】の中で自分なりのバランスの取り方を身に付けようとしておるのだろう。』
【身に付ける】だね。
頭に記憶するじゃなくて、体に覚えさせる、と。
『そうじゃ。
そのバランス感覚こそが自分軸じゃ。
軸と聞くと一本の柱のように感じる者もおるがな、自分を支える自分軸はよくしなり、芯があり、変幻自在に形さえ変わるのじゃよ。』
自由だ!!
『うむ。
形に囚われぬことじゃ。
何にも囚われることなく、何をも囲わぬことじゃて。』
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