「深夜特急」片手に、普通列車旅(2)
岡山の備中高梁駅から始まり、姫路駅で東海山陽本線に乗り換えた。4人がけのボックス席の隅に座って、外の景色を眺めていた。季節は梅雨入り前の春であったが、その日の天候は、夏を感じさせた。圧倒的な太陽の日差し、小刻みに揺れる波、宝石のような大海。岡山の地から見るいつもの眺めとは違う、島々の影が全くない瀬戸内海が新鮮だった。
「きれい」以外の形容詞を探す気力もなく、ぼうっと眺めていると、その日の朝の出来事が回想された。約1ヶ月間一緒に過ごした別れ際、おばあちゃんは私にお小遣いをくれた。もうアラサー、しかも、お給料を稼いでいる身でありながら、お小遣いなど頂けないと強く思い、お小遣い袋を突っぱねた。87歳のおばあちゃんは、20年前に亡くなったおじいちゃんが残したお金と年金で生活していた。決して裕福とは言えないと思う。少しでも生活の足しになればと、趣味の家庭菜園で収穫した野菜を道の駅に出荷していたが、月1万円に満たない収入であった。そんなわけで、私は、本当にお小遣いなどもらいたくなかったのだが、私とおばあちゃんの間を何度か渡り返した後で、結局その袋は私のリュックサックにおさまってしまった。怒りに近い口調で「気持ちじゃから」と言われた顔が頭に残る。
(↑道の駅に出展されていたおばあちゃんの野菜)
おばあちゃんとバイバイした後、駅の改札を通ろうとした私は、Suicaの残高がないことに気づいた。慌ててチャージしようと財布をのぞくと現金がなかった。
あ、そういえば。おばあちゃんからのお小遣いがあった…。
リュックサックの中でこっそりとお小遣い袋を開く。そこには、おばあちゃんから「ありがとう」の言葉と諭吉札が2枚入っていた。それは、毎日、家事と畑仕事を行なった私への、正真正銘の感謝の気持ちだった。
世の中には、何千万枚もの1万円札が流通しているが、1つとして同じものはない。そう思った。おばあちゃんからもらった1万円札は、おばあちゃんとおじいちゃんの労働から獲得されたものであり、私には、あまりに尊すぎて、それを使おうと踏み込めなかった。
その時、ZOZOの前澤さんの言葉を思い出した、「お金とは、感謝であり、ありがとうの形」。今までピンとこなかった言葉であり、だからこそ私の記憶に残っていた言葉。今、経験を通して初めて、この言葉の意味を、私にとって新しいお金の意味を、実感することができた。私は、手元にあるお金をそっとしまって、近くのATMで自分の口座にある現金をおろすことにした。
この朝の出来事、小さな自分の成長を思い出しながらノートにとっていたら、神戸を通り過ぎた。電車に揺られて4時間が経った。この旅は、「深夜特急」全6巻を読破しながら、岡山から東京まで普通列車で帰る旅だ。出発時、とりあえず岐阜まで行こうと決めていた。岐阜にある、伊東豊雄さんの建築を見たかったからだ。
宿を取る必要があるだろう。そう思い、既に目星をつけていた岐阜のゲストハウス2件に、電話をかけた、小声で。
結果、2件とも当面休業の返事だった。やれやれ、新型コロナウイルスの弊害だ。できるだけ出費を抑えたい私は、途中の駅で営業している安宿がないか調べ始めた。その時私は、グーグルマップ上に琵琶湖を見つけた。
琵琶湖沿いにある「白洲正子」が愛した街。初めて街の名前を聞いた時、覚えにくくて頭に入ってこなかったが、「隠れ京都」のような愛称で親しまれている街。そんな街の存在を、思い出し始めた。「琵琶湖」という単語から、記憶のパズルが蘇生されていく感じだった。私はすぐに、検索した。どうやらその街は、近江八幡という街らしかった。ちょうどその時、偶然にも、車掌のアナウンスが「次は近江〜八幡、おうみ〜はちまんです。」と流れた。
私の敬愛する白洲正子氏が何度も通った街、記憶のそこでずっといきたいと思っていた街を発掘したような興奮でいっぱいになった。私は、その鼓動のリズムに乗って、電車を降りた。
これだから鈍行旅は、面白い!!!
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