宙わたる教室を観て 藤竹先生に学ぶこと
こんにちは、くまこと申します☺︎
早速ですが、現在私はとあるドラマに激ハマりしています。
それは、現在放送中のNHKドラマ10「宙わたる教室」という作品。
原作は、小説家伊与原新の同名小説。※敬称略
主演は俳優の窪田正孝。
物語の舞台は定時制高校。元研究者である主人公の藤田叶が、ある目的のために理科教師として定時制高校に赴任。そこで様々な年齢の生徒たちと出会い、科学部を設立し、苦難を乗り越えながら学会発表を目指すという実話に着想を得たストーリー。
NHKが実写ドラマ化し、2024年秋、毎週火曜夜10時の枠で放送している。
ドラマの感想については、私が言うまでもなく
めっちゃいい!!
の一言に尽きる。
とにかくいろんな方に見てほしい…!
(現在、アマプラ、NHKオンデマンド、NHKプラス(※最新話のみ)で配信中)
主人公の藤竹先生の良さについては、後述するので一旦置いておく。
この作品の良さは、なんと言っても“学ぶ“ことに重きを置いているという点。
学びたいのに様々な理由で学ぶことができなかった生徒達が、藤竹先生の導きによって学ぶことの楽しさや豊かさを獲得し、人間的に成長して前を向いていく物語なのである。
物語に登場する実験も、日常にある身近な物を使用していて、ワクワクしながら観てしまう。
制作側の思いに触れたインタビューで、印象に残っているこんな言葉がある。
学校から、教室から、宇宙に思いを馳せることができるドラマ…素敵じゃないですか?
毎週火曜日はリアタイのため、夜10時にはテレビ前に待機し、毎話固唾を飲んで視聴している次第である。
視聴後には、自分も何か新しい自分になれた気がして、このドラマから明日を生きるヒントや勇気みたいなものをもらっている。
原作の素晴らしさはそのままに、深みをもたらすオリジナル要素を加えて丁寧に実写化してくれた制作陣、地に足のついた生きている人間として演じてくれた俳優陣には感謝…もう本当に感謝しかありません。
(これは後世に残すべき作品であると確信していますので、放送終了後にはディスク化を切に、切に希望致します…の気持ちでいっぱいである。)
そして、宙わたる教室を語る上でもう1つ外せないことがある。
物語に登場する生徒の1人、柳田岳人についてである。
不良で見た目は尖っているのに(顔立ちの可愛らしさは顕在)
心根がやさしく(ちょっとぶっきらぼうな優しさがいい)
実験が成功した時にはきらっきらの笑顔を見せてくれるため(そう、ワンコみたいな)
彼の表情や、目線に引き込まれて、毎回目が離せなくなっている。
演じるのは、俳優小林虎之介。
私が「宙わたる教室」の原作を読み、この作品を視聴するきっかけになった人である。
本当にこの作品に出会わせてくれてありがとう!と言いたい。
彼の演技には、魔法みたいな魅力がある。
彼が役を演じると、役が生きているように感じられるし、気付けばその役のことをより好きになってしまう。
この作品を経て、さらに羽ばたいていくんだろうな…と感じながら応援中である。
今作で気になった人は是非、ぜひ過去の出演作にも触れてほしい…!(レギュラー出演作の下剋上球児、ひだまりが聴こえるはどちらも素晴らしい作品)
ドラマの魅力についてはまだまだ語り足りないが、今回の本題はこちら。
窪田正孝演じる藤竹叶の先生としての良さについて語りたい。
私は、末端ながら教育に関わる者である。
とは言っても、高校教師ではないし、関わる生徒の年齢も違うし、学習…というよりその前の段階、学びに向かっていく人間性を育む教育・保育現場なので違いは多々あるのだけれど。
それでも、このドラマを観ていると重なるところがある。
ここに、藤竹先生から学んだことを書き残しておこうと思う。
文章力がない上にまとまりもないので、読みづらいであろうし、あくまで個人の感想であるということを頭の片隅に置いて読んでいただければと思う。
ストーリーの内容にも触れるので、ネタバレが嫌な方は回避を。
合わない、不快感を感じたという場合にもすぐに回れ右をして、このページをそっと閉じてほしい。
※言い訳
それでは、いってみよう!!
藤竹先生より学ぶ3つのこと
1.生徒への寄り添い方
まず初めにドラマを観て感銘を受けたのが、藤竹先生の生徒への寄り添い方である。
第3話、起立性障害によって保健室登校をしている名取佳純(伊東蒼)への接し方が素晴らしかった。
佳純が保健室のノートにSF小説からヒントを得た暗号を使って日記を書いていることを知った先生。
そこへメッセージを書き込んで、佳純との交換日記のようなやりとりが始まる。
それがやがて、佳純が科学部へと足を運ぶきっかけとなっていく。
いや~~生徒の心に寄り添い、やる気を引き出す先生の姿勢がすごくない…?が初見での感想だった。
ノートに、そっと写真(佳純が興味を持っている火星にまつわる写真)を挟んでおき、佳純が科学部の部室に“行ってみようかな“という気持ちにさせるさりげない働きかけ。
佳純が自ら部室にやってきて、でも入ることができずにその足を引き返しても何も言わず、再びその時を待つ姿勢。
佳純にピンチが訪れた時には、佳純の残したサインを読み取り、駆けつける。
佳純の思いを傾聴しながら優しく語りかけ、言葉で心に寄り添っていく。
藤竹先生、生徒のことをよく見て、よく理解しているなと感じた。
生徒の小さなサインを見逃さずに、気付くことができるのがすごいな、と。
理解、と一言で言っても一人一人に向き合っていないとそれはできない。
自分はどこまで関わる子たちのことを丁寧に見ているだろう?と考えた。
人はそう簡単には変われない。
でも“こうなってほしい“という願いをもってその子に合った援助を考え、関わることで変わっていくことはある。
1人では難しい場合も、周りの人の力を借りながら…。
遠く思えたゴールも、小さなステップを設定して、1つ1つクリアしていくことで、人より時間はかかってもゴールに辿りつき、思ってもみなかった成長につながる場合がある。
佳純は最終的に、自身の生きづらさを抱えつつ、新しい場所へと一歩踏み出すことができた。
それは、佳純が自分でそう選んだから…。
しかし、そこに至るまでに学びへの好奇心を引き出す藤竹先生の働きかけと、そっと背中を押してくれる寄り添いがあったからではないだろうか。
誰だって、人に「やりなさい!」と言われてやることよりも、自分で「よし!」と思ってやることの方が身になるはず。
人間性を育むという点において、教科書も正解もない。
結局はその子自身をよく理解して、それぞれに合った働きかけを考えていくしかない。
藤竹先生の接し方を忘れないでいたい。
2.問題解決への導き方
第1話、不良生徒の柳田岳人(小林虎之介)のテスト答案は、計算問題は満点なのに文章問題は白紙。そこに疑問を持った藤竹先生は本人にどうしてか?と尋ねる。岳人は「文章読むのが嫌いなんだよ」「読むだけで疲れんの。吐き気がする」と答える。
この話から、藤竹先生は岳人が文字の読み書きに困難のある発達性ディスレクシアという学習障害でないかという可能性に気付く。
本人にそのことを告げると、岳人は「なんで俺に教えたんだよ?」「今更そんなこと言われて、どうしろっつーんだよ」と自分のことを嘆き、涙するのだった。
もう、このシーンは苦しかった。
観ていて一緒に涙が溢れてきた。
藤竹先生は研究者だから、色んな知見を持っていて、岳人の障害の可能性に気付けたのだろうか。
「何年無駄にした?」という悲痛な叫びに胸が締め付けられた。もっと早く気付けていたら、不登校や非行の道に走ることもなかったのかも知れない。
岳人に学びへの意欲はずっとあったのだから…。
私の働く現場にも、困り感を抱えている、もしくはそうなのかな…?と感じられる子がいる。
専門家ではないけれど、集団の中で見ていると「?」と気付くことがある。
現場の中でできる援助はもちろん考える。
でも周りがしっかりと理解して受け止めてあげることが何より必要ではないかと感じる。
岳人の場合も、もしディスレクシアの可能性を両親に伝えたとして受け入れられていただろうか…?という疑問がある。
描かれている父親の様子を見ていると、受け入れることが難しいかも知れないな…と感じた。
岳人は、思い悩みながらも最終的に藤竹先生に指摘されたことを受け止めることができた。
その後、タブレットを使用して、耳から情報を取り入れ、授業を理解することで学びの楽しさを獲得することにつながっている。なくしたものを取り戻している最中である。また、自らLD教室に通い、自身の障害と前向きに向き合おうともしている。(そういった細やかな過程がしっかり描かれているのもこのドラマの良さだと思う)
一概にそうだとは言えないが、早期に困り感に気付くことができ、その子に合った手立てが分かったり、専門的な機関で療育を受けたりすることで、その先の未来が開けていくことがあるように思う。
教育現場では、ある一定の年数、その場所にいる時しかその子に関わることはできない。
でもその子の人生は卒業後もずっと先まで続いていく。
未来につなげるためには何ができるか?
その責任の一旦を担っているんだと身に沁みた。
また、“気になる子“と言うと、気になる部分にばかり目がいってしまいがちになる。
不良だから、態度が悪いから、そんな決めつけた見方はよくない。
その子のいいところに目を向けて、そこを伸ばしていけばいいのではないか。
岳人の数学が得意で、根は真面目で、努力家な一面を認め、科学部きっての理論家になれるであろう、と信じた藤竹先生のように。
「柳田君は、とても聡明な人だと僕は思います。」
藤竹先生のこの言葉も岳人の心に届いているといいなと思う。
"ありのままの自分"を受け入れ、自己肯定感がもてるようになることは、これからの自分を支える最強の武器になるはずだから。
3.生徒との相互関係
第5話、科学部はある目標を定める。それは、高校の科学部などが研究発表する場にエントリーし、自分たちの研究を発表することである。
しかし、いざ申し込みを行うと、"定時制高校だから"前例がない"という理由で参加をはじかれてしまう。落ち込む科学部の面々を察して、藤竹先生は天体観測に誘う。そこへ担任している2年生の庄司麻衣(紺野彩夏)がやってきて、自分の経験や考えを話すのであった。
この場面での麻衣の言葉がとても素敵だった。
麻衣は、いろんな事情を抱えて生きている。
しかし、周囲から心無い声を掛けられようとも、自分自身に胸を張って生きてきた女性である。(麻衣ちゃん、カッコイイ!)
そんな麻衣から発せられる「結局は自分達がどうしたいかでしょう?」という言葉には胸が熱くなった。
この時、麻衣の言葉を聞くまでは、藤竹先生自身も気持ちが沈んでいるように見えた。
門前払いを受け、“前例のないことは受け入れられない“という科学界の変わらない体制に失望していたのだろうか…。
その先生が麻衣の言葉を聞いて、笑みを浮かべる。
そして「この空には、まだ知らないことが無限に広がっています」と科学部の皆に言葉をかけ、夜空を見上げるのだった。
先生だって人間だ。
生徒のこと、仕事のこと、いろんな理由で落ち込んだり、傷ついたり、イライラすることもあるはず。
でも、そこから救いあげてくれるのも、また生徒であったりする。
実際私もそうだ。
その日その日で違うことが巻き起こるカラフルな日常を送らせてもらっている。
しんどい、と感じることもあるけれど、生徒の成長を目にしたら嬉しいし、言葉や姿に元気をもらうこともある。
また明日、頑張ろうって思える。
(ただ、やりがい搾取は良くないと思うので、この業界の昔から変わらない体制も改善されればいいなと常々思ってはいる…)
この作品は、生徒と先生が互いに影響し合って、成長していると感じられるのがいいなと思うポイントでもある。ドラマならではの、新米教師という設定も活きているように感じる。
藤竹先生、1話では涙する岳人にどう接すればいいか分からずオロオロしていたのに、4話では長老こと長嶺省造(イッセー尾形)に「あんた食えんな…」と言わしめるぐらい、生徒のためを思って尽力する策士ぶりを披露している。
研究者らしい飄々とした姿から、人間味のある先生になってきているようにも見える。
きっと私たちの知らないところで、生徒たちといろんなやりとりがあったんだろうな…と想像もしてしまう。やっぱりそんな余白を与えてくれるこのドラマが好きだなと思うし、藤竹先生の表情や佇まい、声のトーンなど繊細にその変化を体現する窪田さんの演技がとても素敵…!
先生だって始めから完璧じゃない。
生徒と共に成長しながら、“先生“となっていくのかもしれない。
以上。
長文を最後まで読んでいただいてありがとうございました!
宙わたる教室、物語はいよいよ後半。
科学部が発表に向けて取り組んで行く局面。
これからどんな結末を迎えるのか?とても気になるところ。
終わりがくることなんて考えたくない…
科学部大好き……
絶対にロス確定……
もうそんなことを考えてしまいますが、最後まで大切に見届けたい!そんな気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました☺︎