たったひとりの恋物語 第2章 ミジンコの世界
第2章 ミジンコの世界
無記名者という罪人
結局、その日は仕事が手につくわけが無かった。
いつもだったら決してしない失敗。
ヘルメットを同僚からスパナで叩かれるほど、ボーっとしていたのだろう。
明が自殺した……。
あの理想を追い求め、まっすぐに進んできた明が、死を選んだ。
ひとときではあったものの、彼氏彼女の関係となり、そしてお互いの夢を語った相手が……。
「明日もそんな調子だったら、明後日にお前のロッカーはないと思えよ!」
帰りぎわ、班長が私の尻に蹴りを入れながら言う。
そんなことも今の私には届かない。
明が自殺した……。
会社からの帰り道。
いつものコンビニで、弁当を買う。
今日は、発泡酒では無く、アルコール度数の高いチューハイを買う。
それは、自分の中の誰かが行うようかのに自然に行っていた。
いつもの万年床が私を迎える。
部屋中に散乱するゴミをかき分け、数年前に買ったPCを手繰り寄せる。
立ち上げると「待っていました」とばかりにOSの更新がかかる。
長い間放置していたにも関わらず、コイツは私が再度、触ることをずっと待っていたのかと思うと、なんとも柔らかなキモチになる。
私は、コンビニ弁当のエビフライを口に放り込み、チューハイで流し込む。
いつもより強めのアルコール臭が鼻を抜けるが、それをエビフライのソースが中和していく。
再びチューハイを煽る。
アルコールが喉をとおることが、そのアツさで感じられる。
まだ、PCのセットアップが終わらない。
私は、さらに弁当のおかずをかき込み、チューハイで流し込む。
流す。
現実を見ないようにする自分を流していくように。
PCの更新、再起動が気に喰わないあの音ともに終わる。
私は、早速、『田中 明 自殺 最後』と、バナーに入力する。
正直、今日はこのことばかりを考えていた。
検索結果画面には、スポンサーサイトや、ニュースサイトが複数並ぶ。
次に並ぶのは、Twitter(X)の投稿。
最近では、検索サイトよりも具体的な事件・事例を調べるには、SNSの方が適していると言われている。
検索サイトの包括的な情報よりも、個々人の発信に基づくモノの方が重要視される時代になっていることに「時代は変わったのか……」と独り言ちる。
だが、私の感傷なんてものはどうでもいい。
私は、Twitter(X)を開き、明に関する情報を調べ始めた……。
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品が無い。
しかも、ニンゲンとしてどうかしている。
聞いてはいたが、ここまでヒドイとは思っていなかった。
Twitter(X)上では、明の死に対しての罵詈雑言が飛び交う。
「そんなのは理想論でしかない! 死に際に言うとか卑怯!」
「なにが言いたいわけ? 結局インプ稼ぎ?」
「教員大変アピ乙~」
「じゃあ、仕事やめろよ(笑)」
「一人が吠えたって、バカばっかりだから響かないんだし~」
「死をもって押し付けるお前が一番、悪」
読んでいて反吐が出る。
コイツ等は結局、自分に危害が加わらない場所で、スキ勝手言っているだけなのだ。しかも自らの顔を晒さずに。
コイツ等には、思想や理想なんてものはない。
ただ目の前にある事象に対して、自らのちっぽけな優越感を確保するためにコメントをしているだけだ。
だが、腹が立つ。
私の大切な明が汚されているからだ。
私は、幾つかのコメントにクソみたいな侮蔑のコトバを投げかけ、さらに検索を続ける。
……。
そこで出会う。
明の最後のときを収めた動画に……。
―――――――――――――――――――――
「本気で考えているでしょうか?
日本を、そして未来を!
大人が、そして親が子どもたちの可能性を潰してしまっているんですよ!
文部科学省にもお話をしました。
そして、さまざまな学識者ともお話をしてきました。
だけど、結局は何も変わらない!
結局のところ、世界を一番諦めているのは、
私たちオトナなんです!
自らの既得権益にしがみつき、ことなかれ主義を貫いて、
適当にその場を収める。
そんなオトナの姿を見ている子どもたちが同じように、
それを繰り返す……。
これは健全な社会とは言えないと思います。
むしろ、オトナが自分の人生を楽しんでいる姿を、
『自由な』姿を、見せていくべきではないでしょうか?
そう、私は主張し続けてきました……。
都庁にも、文部科学省にも訴え続けてきました……。
だけど、結局は変わらなかった……。
むしろ、私の想いをバカにし、そして、潰そうとする動きさえありました。
今、私たちが変わらければ、今後の世界を担う、子どもたちが苦しむことになります……。
もう一度、あなたにも考えてもらいたい!
子どもたちを救うというコトは、あなたを救うことなんです!
あなたも、もっと自由に生きていいんです!
あなたは、今を『ちゃんと』生きていますか……?」
そのあと……、明は都庁の屋上から飛び降りた。
それは、自らの想いを空に託したかのように。
残滓(ざんし)を追って
「私はたぶん、弘毅の中にもう一人のわたしを見ているのだと思う」
オイ、オイ。
キスを……した後にいうコトバではないだろう。
色気やなにもあったものではない。
冷静に言われたコトバを考えれば、結局のところ私が好きなのではなく、自分が好きだって言っていることと変わりないじゃあないか。
それでは、私は当て馬?
自らの感情をコントロールするための当て馬なのであろうか?
これにはさすがに私もカチンとくる。
私でなくてもいいというコトではないか。
先ほどまでの好意と羨望、尊敬と少しの猥褻な感情を返してほしい。
私が求めていた彼女は、私を自らの思想の『一道具』としてか、見ていというコトではないか?
私は、明の肩を強く掴み、引き寄せ、乱暴に唇を重ねる。
舌先を唇の中に押し入れ、閉じた歯をこじ開ける。
私は私だ。
明の投影だけの存在ではない。
私にだって意志はある。
認めろ……、みとめろ……、ミトメロ……。
私自身を見てくれ……。
「ちょ、っちょ……、弘毅!
それは、やり過ぎ! まったく、すぐに調子に乗るんだから……」
明は、私を引きはがすと、ムクレ顔でいう。
照れたような、ハニカムようすで私の胸をトンと小突く。
「ばか……、ここワックだよ……」
明は俯き、再度、私の胸を小突く。
このやりとりは心地いいのだが、私の胸の中にはいい知れない「重り」が残っている。
「明、俺の中に何を見ても構わないけど、俺自身をちゃんとみている?
俺は俺なんだよ?」
思いもかけず、本心が口を衝く。
ココだけはしっかり言わなければいけない。
明には、しっかりと私を見て欲しい。
明は、顔を上げ、軽く微笑む。
「弘毅のそういうところだよ。
言葉や表現の先をもう一歩、想像して、考えて、解釈する。
そして自分の気持ちをはっきりとストレートに表現する。
私は、そんな弘毅が大好きなんだ!」
女性にしては太い腕が私のアタマに巻き付く。
再度、よせられた明の顔は桃色に染まっていた。
私たちは3回目のそれをワックという、不特定多数の他人があつまるそこでしっかりと味わった。
―――――――――――――――――――――
「……で……!
さっきの話のつづき!
弘毅の夢って一体なんなの?」
コイツには、色気やムードというものの概念が無いのだろうか?
先ほどまで艶っぽい状況であったにも関わらず、この切り替えはいかがなものか……。
明は、前のめりになって私の眼を見つめてくる。
近い、近い……。
何度も言うが、ココはワックだぞ?
その他の一般大衆が食事や各々の時間を楽しみに来ている場所だ。
傍から見れば、私たちのこの様相はいわゆるバカップルにしか見えない。
私は照れながら、そろりと明の瞳を覗き込む。
明の瞳は期待のためかキラキラと輝いている。
とてもキレイだ……。
その瞳で見つめられる私は、私の夢は、それに値するモノなのだろうか?
「さ、、いや。しょ、しょ……」
喉にコトバが通らない。
声に出そうと思うと逡巡してしまう。
私なんかが……、こんな夢を持っているだなんて、声に出してはいけないような気がする……。
そう思うと余計にコトバが胃の中に落ちていく。
「ん~!? な~に~!?
聞こえないよ~! ほら! 恥ずかしがってないで~」
明がその顔を近づけてくる。
明の顔が近いことによる照れとも、恥ずかしさともわからない感情に私は、さらに混乱する。
「ぎゃっ!!」
その瞳に吸い込まされそうになっている私は、正気を取り戻す。
明に脇腹をくすぐられたのだ。
「ほ~ら~。
あんまりゴネてると、おね~さんがイタズラしちゃうぞ~!」
明の細く、しなやかな指が私の脇腹だけでなく、ココロの甲羅さえものもみほぐす。
「わ、ちょっ、わかったよ~。
話すから、いい加減にしてくれよ~」
本音ではない。
もっと私に触れていて欲しい。
その教会に流れるゴスペルのような優しい指で。
「し、し、し……」
しかし、コトバが再度、喉に詰まる。
「し、しょう、小説家になりたいんだ!」
半ば、無理矢理に絞り出す。
同時に顔中に全身の血液が集まっているかの如く、アツくなる。
実際に顔は真っ赤だったろう。
吐き出したコトバが舞う中空さえも見つめることができない私は、俯いた。
「それ! それだよ、それしかないよ!
あ~、もう! 弘毅らしい!!」
両頬を鷲掴みにされた私の目の前に、明の好奇に満ちた瞳が近づく。
こんなに顔が真っ赤なのに……。
明の腕のチカラは強く、私の顔はロックされたままだ。
「弘毅! それ、絶対に叶えよう!
私も全力で応援するね!」
明の瞳は一段と輝きを放っていた。
そして、4度目のワックでのキスをした。
思考停止という病
「今日は三人一組のチームで回ってくれ。
連休明けだから、何往復もしないと時間内には終わらんぞ」
班長のだみ声が事務所に響く。
朝の事務所では、一日のルート・塵芥車の搭乗確認など、簡単な業務連絡が交わされる。
煙草のケムリでモウモウとなった事務所の空気が少し、クリーンになる。
ココから私たちの一日の仕事がはじまる。
連休明けはゴミが多い。
そりゃあ、そうだ。
休みの間にため込んだゴミが一気に出されるんだ。
私たちにとっては、夏の連休明けほどダルイものはない。
「おい! 鈴木! お前は、今日こっちだ」
班長からの指示が飛ぶ。
今日は、煙草が主食ではないかと思えるほど煙草を吸っている佐藤と、40歳とは思えないくらい引き締まった肉体の小林と一緒に仕事らしい。
この二人とであれば、時間内に仕事が終わるだろう。
塵芥車へのゴミの積み込みは、基本的に二人で行う。
ひとりは車の中で待機し、周囲に気を配る。
その間、二人は集積所に集められたゴミを塵芥車後部のホッパーに投げ入れる。
一つの集積所のゴミをすべて積み込み終わると、スライダーを駆動させ、二人は塵芥車に乗り込む。
次の集積所に到着したら、また二人が降り、ゴミを積み込む。
この作業の繰り返しである。
塵芥車には、ゴミが圧縮されて詰め込まれる。
スライダーやプレスによって圧縮されたゴミは、2t塵芥車でおおよそ1.5t積み込むことができる。
おおよそこの重量に達すると契約している焼却場に運び込み、塵芥車に積んできたゴミを焼却場のゴミピットにあける。
そして、再度集積所にゴミを回収しに行く。
これを唯々、繰り返すのだ。
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高校三年生の時間というものはあっという間に過ぎていく。
部活も夏の大会が終わってしまえば、そこで引退というのが私たちの高校のルール。
そこからは、誰しもが受験モードへ突入するのだ。
都内では有名な進学校であったこともあり、この時期には、空き教室で勉強する生徒の姿が多く見受けられるようになる。
私も明も御多分に漏れず、受験モードへと気持ちを切り替え、気持を周りに合わせていった。
健全な高校生男子であった私は、湧き上がるさまざまな感情や欲があったのだが、なにぶん一人ではどうにかすることもできないモノだ。
ひとりで処理できる部分でカリソメの満足をし、また問題集に向かう日々が続いた。
気が付けば、クリスマス。
時の流れとは残酷なものだ。
周囲の雰囲気に合わせ、ずっと問題集に向かう日々は、もっとも多感で可能性に満ちている青年の時間を無駄に消費させてしまうものだ。
少しばかり値が張るファミリーレストランで明と夕食を取り、プレゼントを渡す。
テーブルの向こうの明は、本当に幸せそうだった。
「スワロフスキー」と印字されたボールペンを送ったのだが、いっぱいの笑顔でボールペンを赤子のように抱きしめていた。
別れ際、ささやかなキスをし、そして、年明けに迫るお互いの健闘を願い、別れた。
私も明も都内の希望する大学に合格することができた。
学校こそは違うが、電車で3駅違い。
近からず、遠からずの距離と喜んでいたのは私だけだった。
明は、合格した大学ではなく、アメリカの大学に進学することにしたのだ。
「なんで……、言ってくれなかったんだよ!
大学に入れば、明との時間をもっと取れると思っていたのに!」
狼狽する私は、コトバが強くなる。
明は、ジッと私を見つめ、指先でコーヒーカップを弄ぶ。
有名珈琲店のちょっと奥まった席。
私たちは向き合い、今後の話をしていた。
二人の間を珈琲の香りがくゆる。
こんな時間を持つことになるとは、絶対に思いたくなかった。
「ん~……。
私とずっと一緒にいた弘毅なら、わかってくれると思っていたんだけどなぁ……。
私が目指す夢はやっぱり日本で学んでいたんじゃ、その本質を学ぶことはできないと思ったの。
旧態依然の考え方や教育がはびこる日本、そして大人達。
そんな中では、私の嫌いなオトナにしかなれない。
だから、日本を出ることにしたのよ」
わからないではない。
今の日本にあるのは、前例踏襲、旧態依然、ことなかれ主義がはびこっている。
これまでもそうだったろうが、大学、社会でも「言われたことをする」大人としての教育が待っているのだろう。
それは、今の大人たちの再生産なのであろう。
「でも、今じゃなくってもいいだろ!?
俺たちの関係はどうなるんだよ!
一緒にここまで頑張ってきたハズだろ!?」
またも、語気が荒くなってしまった。
明との関係を終わりになんてしたくない。
そんな気持ちだけが私の中から溢れ出ている。
「弘毅! 落ち着いて。
私たちの関係ってそんなものなのかな?
日本とアメリカって距離だけで、崩れちゃうものなの?」
いつになく、明の目が真剣だ。
こういうときの明は、絶対に引かない。
背筋をスッと伸ばし、キッと締めた口元は、反論を許さない強さが感じられる。
「そう……。わかった……。
明がそこまでしっかりと決めているのであれば、しょうがないよね。
今の時代、インターネットやメールもあるし、会おうと思えば行けない距離でもないしね。
でも……、寂しくなるよ……」
私のココロは、コトバと一緒に身体から出ていくような気がする。
大切なモノが零れ出してしまう感覚。
ああ、失いたくない……。
「大丈夫だよ!
私も弘毅もそんなに弱くない。
大丈夫。
私もたくさんアルバイトもして、日本にも帰ってくるから!
そしたら、たくさん一緒にいよう!
大丈夫」
明は、何度も何度も「大丈夫」を繰り返した。
今ほど、PC、インターネットやスマホが普及している時代では無かったので、メールを送るのにも一苦労。
PCの価格は安くはなってきたとは言え、大学生にとっては簡単に手が出せるモノでは無い。
私は、中古のPCを購入したがこれがいけなかった。
度重なるフリーズと不具合。
最終的に持ち込んだ、電気量販店では、
「あ、もう買い換えた方が早いですね」
なんて言われる始末だった。
そうなると、明へのメール頻度は週一回が、月一回に、三カ月に一回に減っていった。
大学での生活も楽しいモノでは無かった。
はじめから明の学校に近い大学を選んだため、特に学びたい学科ではない。
ただ時間を過ごすだけに大学へ通い、バイトへ行き、周りに愛想笑いをする。
でも、「そういうもんだろ」と、自分を騙し続けていた。
気が付くと明との連絡はまったく取らなくなってしまっていた。
そんな何もない私にも就職活動という時間は訪れる。
だが、こんな生徒を採用したいという企業があるわけなどなく、当然のように「お祈り文」だけが積み上がっていった。
そんな状況で、苦肉の策というか、言い訳というか、私は、当時流行り出した「新卒派遣」という働き方を選択した。
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