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たったひとりの恋物語 第7章 タカの世界

第7章 タカの世界

献身という自己肯定感

極西の仕事には、私と梶が派遣された。
内容を良く知っている私と、若く、一円でも金を稼ぎたい梶がその任を受けた。
この状況でこれを受けるニンゲンは正直、どうかしている。
隣国発肺炎に最も感染する可能性が高い仕事。
それをあえて受けるのだ。
地獄以外のナニモノでもない。
命をこんなにも簡単に投げだす仕事はないだろう。
そこに、私と梶はいる。

いつもであれば、私たちが収集してきたゴミを投入するゴミピット。
その流入路であるプラットホームに今、私たちはいる。
天井が高く、その臭気が外に漏れないように出入り口にエアカーテンが敷かれる。
さらに少しでも臭気を抑えるため、常に水が撒かれる。
こんなところにも人員を配置できる、ゴミ処理場の懐事情が羨ましくも感じられる。

中学校の体育館3つ分であるであろう、このプラットフォームの一角にブルーシートが敷かれている。
その上に約300㎏のゴミが乗せられ、それを約15人のニンゲンがゴミの袋を一つ一つ破き、拡げていく。
誰の、どの家から出たゴミかもわからないものを。だ。

このご時世、想像のとおり、隣国発肺炎に罹患し、吐き出したモノ、痰をくるんだティッシュ、清掃をした道具などだって、ゴミとして排出される。
それをご丁寧に、一つ一つ破き、開き、分類していく。
既に正気の沙汰ではない。
これが自殺行為と認められないのは、この仕事の発注者が国や自治体だからだろうか?

日給2万5千円。
それは、俺たちの命の値段なのであろうかと、疑問が湧く。
何度も言うようだが、「ゴミのような人間はゴミらしく、死ね」と言うことなのであろうか?

そんな無駄な思考をしないようにして、私は淡々と目の前のゴミを仕分けていく。
紙、プラ、紙、紙、紙、プラ、紙、紙、紙、プラ、生ごみ、紙、紙、紙……。
ただ目の前のゴミをただただ、分類していく。
紙、プラ、紙、生ごみ、紙、プラ、紙、紙、プラ、紙、生ごみ、紙……。

そんな何も考えない作業だからこそ、自分の創作に対する思考に充てられる。
まあ、この場合は、命を懸けた創作作業なのだが……。
それを梶の叫び声が遮ったのだ。

「み、み、見てくださいよ! 鈴木さん!
 俺、もう、イヤですよ! 帰らせていただきます!」
梶は、ヘルメットと防塵マスクを剝ぎ棄て、その場を立ち去ろうとする。
それと同時に私の足元にプラスチックのソレが落ち、目にとまる。

隣国発肺炎の検査キット。
キット自体は、無言であるにも関わらず、「陽性」と記された部分に青黒いラインがはっきりと刻印されている。
まるで、「俺を見ろ」と言わんばかりに。
私はそれを無言で拾い上げ、プラの籠に放り投げると、梶を追い、その肩を掴んだ。

「逃げんな。これが俺たちの命の値段だ。
 逃げれば、もっと安く買いたたかれる」
私はそれだけを言うと、また、分別に戻った。
あの言葉は、梶にではなく、自分に向かって言った言葉かもしれない……。

数分置いて、右隣に梶が戻ってきた。
ヘルメットも防塵マスクもしっかりと装備している。
その目は、すでにどんな色をもしていない。
私のそれと同じく。

「鈴木さんは……」
聞き取れるかわからないくらいのギリギリの声が、梶から聞こえる。
「あぁ、ん……?」
私は、曖昧に相槌を打つ。
梶の分別をする手が震え、そして、緩やかになる。

「こんな仕事じゃなかったら、何がしたかったんっすか……?
 俺は……、サッカーがしたかった……」
その声から、泣いていることがわかる。
あぁ、面倒くせぇ……。
ここに来てまでガキのお守りか……。
私は、分別の手を止めずに言う。

「じゃ、こんな仕事辞めて、さっさとサッカーをやれ。
 お前は、今日、一度死んだんだ。
 死んだんだったら、後はどれだけでもやれんだろ」
ぶっきらぼうな口調で、なるだけ冷淡に。
まるで、「そんなこと知らねぇ」と印象付けるように。
そして、付け加える。

「俺は……、ただ、コトバを綴っていきたいと思っていた……」

他者肯定のための献身

だめだ……。
まったく身体が動かない。
ここ10年近く風邪というものに罹ったことは無かった。
だからだろうか?
それとも年齢のせいなのだろうか?

トイレに行きたい。
だけど、身体を起こすことさえ億劫だ。
まるで身体が鉛のように重く、アタマから背中にかけて重しがかけられているようにすら感じる。
だが、自然が私を呼んでいる。
動かない身体を無理やりによじり、腕をつき、全身のチカラを総動員して立ち上がる。

「こら~!!
 立ち上がるとか、絶対に無理でしょ~!
 40度近い熱なんだよ! 絶対に寝てなきゃダメ~!」
明が立ち上がりかけた、私の身体を無理やりに寝かせる。
私に比べれば明のチカラなんて容易いモノであるはずが、完全に制圧される。
こんな風に無理やりに明に制圧されるのもワルクナイと朦朧としたアタマに浮かぶ。

「あ、明……、トイレ……、行きたい……」
振り絞るように私は言う。
このままでは、20歳を越えた大人として。
いや。
男としての威厳をすべて失うことにもなってしまいかねない。
この状態であったとしても、それを失っては、いけない。

「あれ~?
 弘毅君はトイレのお時間でちゅか~?
 じゃあ、お姉さんが見てあげましょうか~?」
明は、これまでにないくらいの悪魔的な笑みを浮かべ、私の寝間着のズボンに手をかける。
ダメだ。
いま、そういう時ではない。

「明、ふざけてないで、トイレに……、トイレに連れて行って……。
 そうじゃなきゃ、明が大変なことになる……」
朦朧とする私は、今生を賭けた願いを明にぶつける。
ああ、もうやばいかもしれない……。

「わかっているよ。
 大丈夫。弘毅のことは私がずっと見てあげるから、心配しないで!」
明はそういうと私の脇に入り込みスッと立ち上がらせる。
さすが元女子ハンドボール部の部長だ。
自分の筋肉の使い方、チカラの入れ方、相手の身体の支え方。
それらをいとも簡単にやってみせる。
朧げなアタマで「やっぱり、明はすごいなぁ……」と思う。

だが、抱えあげられた私の身体、及び、左手は明の暴力的な弾力のあるそれに接している。
いやむしろ、包まれていると言っても過言ではないだろう。
こんなにも消耗しているにも関わらず、私のそれは意思に反して稼働をはじめる。
当然、私は前のめりになり。

「ちょ……、弘毅、そんなに体調悪い?
 ちゃんと立てない? 前かがみになって……。
 大丈夫、私がちゃんと支えるから!」
明は、その身体をさらに私に密着させ、チカラを込める。
それと同時に、彼女の武器が私にめり込むように、そして、締めあげるように肉迫してくる。

無理矢理、立たせられた私を見て、明は言う。
「ほら! 
 弘毅、大丈夫。トイレに行こう!」
そう言って、彼女は私を見て、その表情を暗転させる。
そう。
もう一人の私が全力で元気になっているのだ。

「バカ~!!
 なに考えているのよ~!
 信じられない~! アホ~!!」
その言葉を発すると共に、私は突き離される。
当然、抵抗や受け身さえもとるチカラは私に残っているハズがない。
なす術がないままに私は、再度布団の上に倒れ込む。

そして……、20年以上ぶりの失態を明の目の前でしてしまったのだ……。

―――――――――――――――――――――
そんな夢を見た。
これは作品として残さなければならないと思い、身体を起こそうとする。
だが……、100㎏のデッドリフトをするかのように身体が重い。
節々の重さというだけではなく、内臓自体がその重量を増しているかのようだ。

「うぐぅぅ……。嘘だろ……」
口端から、悲痛なコトバが漏れる。
起きられないので、身体を転がし、どうにかスマホを掴み、見る。
9時17分。
出勤時間は既に経過し、着信数は8件。
そのすべてが会社の番号であるのは、言うまでもない。

慌てて会社に電話をかける。
「はい~。極東清掃です~」
よそ行き声の山田女史の声が聞こえる。
「あ、あ、あ、す、鈴木ですが……」
今になって気付いたが、喉が痛くて言葉につまる。
やばい、これはもしかしたら、アレなのか……。
電話口の山田女史の緊張がうっすら受話器の向こうからと感じられる。

「ちょ、、、班長に変わります!
 ちょっと待っててください!」
ああ、こんなやり取りを小林も佐藤もしたのか……。と、朦朧とするアタマで考える。
「おい! 鈴木、生きてやがんのか!?」
ダミがかった野太い声が、脳髄に響きわたる。
もうちょっと、音量を下げてくれ。
今の私には、耐えきれない。

「あ……、すみません……。
 どうにもこうにも、身体が動かないです……。
 今日はお休みをいただいて、明日には……」
そう言うが早いか、班長の声が畳みかける。
「いいかぁ! 一日中、くっそ寝てやがれ!
 水分だけは取るんだぞ! 一週間は寝てていいからな!
 給料はくれてやるから、とにかく家から出んな!」
そのコトバの勢いに押されるように私は、
「はい……。あざっす……」
とだけ、応えていた。

電話を切ると、私の部屋には静寂が訪れた。
何もない。
静寂とはある一定のそれを越えると、それを受けるモノにとっては刃になる。
つまり……、静寂が私のココロを切り刻んでいくのだ。

熱による苦しさよりも、咳による息苦しさよりも、静寂の方が怖いのだ。
気づくと私は原稿用紙に向かっていた。

自己防衛のための献身

「ここまで、弘毅をしっかりと支えてくれる人はいないわね!
 運命の人っていうのかしら。
 これまでずっと一緒の時間を過ごしてきたって、なんて素敵なんでしょう!」
渡米していた両親との食事会は、私たちのお気に入りの店で行われた。
食事会……。
いや。
明と結婚したいと私の両親に伝えるための会だ。
それと、もう一つ……。
私にはそちらの方が、気にかかっていた。

横浜港を一望できるこの場所は、先日の学会発表の打ち上げで使われた。
一気にこの場所が気に入ってしまった私は、即日で予約を入れたのだ。
打ち上げのあの喧騒の最中に、そんなことをできた自分にある意味、驚いているが。

母は先ほどから、明と真正面に向き合い、次々に喜びと興味のコトバを投げかけている。
幾分、醒めた目つきで食事を黙々としている父に私は、少しの恐怖を感じている。
この人は昔から感情が読み取りずらい。
独りでは何もできない人なのだが、その判断力と、行動力はずば抜けている。
母がいなければ、圧倒的な問題児。
だが、安心できる後ろ盾を持つことで、そのコトバの強さが最大限に発揮される。
それは、子どもである私に対してもそうだ。

「大体の流れはわかった……。
 そして、そのお嬢さんの品の良さ、良識、そして博学さも理解できた。
 うちの嫁にふさわしいと感じるよ。
 ……ただ……」
静かだが、2倍の重力があるのではないかとすら感じる、その話し方に背筋が伸びる。
この人のコトバは、いつだって私の中のすべてを容赦なくえぐる。

「助教の推薦枠を断ったそうじゃあないか……。
 それに関して、私の納得ができるように説明をしてくれ」
父は、顎の下で両手を組み、沈黙した。

その言動に総毛立つ。
なにもかも、このオトコには知られている……。
そのオトコの隣に座る母はなにごとかと、私とオトコを交互に見やる。
無理もない。
先ほどまで、祝賀ムードだったのだ。
この緊迫感と話の展開に、彼女はついてこれず、ただオロオロとする。

私は俯き、長い吐息を漏らす。
ここが正念場だ。
これを乗り越えなければ、私の明日はやってこない。

すでにカラカラになった喉にチカラを入れ、コトバを振り絞る。
「俺は、しょ、、しょ、、、しょ……」
アタマではわかっているのに、コトバが喉から上に上がってこない。
デジャブをうっすらと感じるも、私は喉をおさえ、そのコトバを発そうとする。
脂汗が額からにじみ出ていることが、自分でもわかる。
私は、やはり父を恐れ、そして、自分の未来の姿に疑問を持っているのかもしれない。

ふと、左手の指先に触れるモノがある。
柔らかく、しなやかなソレは、明の指だ。
明の指は優しく、だけど力強く私の指先を撫で、まるで恋人ツナギのようにその指を絡ませる。
ふと、明を見ると、その瞳が私に「大丈夫」と伝えてくる。

ああ、こんな場面ですら、明に助けられている。

私は、緩みかけた口元を再度、キッと結び、そのコトバを目の前の巨城に向かって放つ。

「俺、小説家になるんだ。
 小さい頃からの夢なんだ。
 一つの大きな成果を上げたんだ。
 ここからは、俺のやりたいことで勝負したいんだ」

そう言いながら私は震えている。
父に対して、こんなにも自分の意見を言ったことはない。
恐怖が全身を駆け巡る。
この後、どうなるかもわからない。怒鳴られるかもしれない。
殴られるかもしれない。蹴とばされるかもしれない。

だが、私の左手を包んでくれている明の手のひらが、それを和らげてくれている。
手の感触から伝わる「大丈夫だよ」のコトバと共に。

父は、顎の下で組んだ腕をほどき、目線をヌメリと左上に走らせる。
その後、フゥっと長めの吐息をもらし、続ける。
「明さん、あなたにも聞いておこう。
 コイツは、あなたにとって本当に必要か?」

明と握った手にチカラが入る。
私もそれに応じるようにキツく握り返す。

「はい! ずっと一緒にいたからこそ、わかります。
 いえ。これからもずっと一緒だから、確信しています!」
明の瞳に涙がうっすりと浮かぶ。
嗚呼、キレイだ……。
私は、場に似つかわないその涙をスウっと指ですくいあげたくなる。

「なるほど。 結構だ。
 お前たちの好きにするがいい。
 私は、次の用事があるので失礼する。
 食事とお喋りを楽しんでくれたまえ」
そういうと父は、スッと立ち上がり、背を向けて歩いていく。
まるですべての用事は終わったと言わんばかりに。

あっけにとられる私たちの空気を母が、柔らかに溶かす。
「あ~ぁ、アノ人らしいわね。
 ああ見えて、結構緊張していたのよ。
 どうすればいいか、自分でもわかっていなかったんでしょうよ。
 そして、弘毅と明さんの想いの強さを知りたかった。
 まったく、面倒くさい人よね~。
 ほらほら、ご飯が冷めちゃう。
 頂いちゃいましょう!
 で、明さんは、何人子供が……」

上手く感情を表現できない人がいる。
自分の子どもとの付き合い方が、わからない人がいる。
他者の感情に合わせることが、苦手な人がいる。
自分を認めてほしいと、言えない人がいる。

それは、ただひたすらに、家族のために、自らの人生を「仕事」というものに捧げてきた功罪なのであろうか。

誰しもが、もがき、苦しんでいる。
自らの気持ちに、素直になれないだけで。

#創作大賞2024
#お仕事小説部門

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