MIMMIのサーガあるいは年代記 ―45―
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第 四 章
王の帰還(5)
オフィーリアの指環
桃子ことMIMMIは、この頃どうしていたのでしょうか。
……おおむね元気と、みな様には報告しておきましょう。
自動販売機にヘッドバットを喰らわし、五針を縫う裂傷と大量出血で、医者からは絶対安静を言い渡されていましたが、頭蓋骨と脳には障害がなかったのは幸いでした。お爺さんたちが東京の片隅で、謀議している頃には、抜糸し、病院から蛸薬師小路邸へ戻されていました。
しかし、絶対安静の指示、時折ぶり返す傷の疼痛、それにまして傷口の治療のために髪の毛を広く剃られていたので、外出や邸内を走り回ることができませんでした。こうしたことから彼女は不満と運動不足で苛立っていました。
「お嬢さまは、あんな戦闘技術や部隊指揮をどこで学んだのですか? 初めての戦闘指揮じゃない、リーダーのカリスマがあった、不思議なことだ、と病院でエリカやゴンザレスと話してたんです」ナナミンが天井を眺めたまま桃子に尋ねます。ここ数日で数え切れないほど繰り返された問いでした。
「あんたたちが暇つぶしにそっち方面の専門書を読んでたじゃないの。戦闘操典とか戦術教範とかいう分厚い本。放り出していたでしょう。それを暇つぶしに目をとおしただけのこと。……そんなこと、何度も言わせるの」と、桃子が苛立たしそうに答えましす。
三人は蛸薬師小路邸の厳重に封鎖された、地下二階の一室で病床を並べています。
地下会議室Bと呼ばれていた部屋を、桃子の病室に転用したのです。
この地下会議室AとBは元々、蛸薬師小路家の防空壕として造られていて、一トン爆弾の直撃にも耐え、核兵器も直撃を受けなければ十分持ちこたえるつくりになっていました。
それに、放射性降下物質やBC兵器の攻撃にも耐えられるフィルター付きの換気浄化装置や、与圧機能もあります。当然、邸宅の従業員も含めた蛸薬師小路一家が一ヶ月は立て籠もるのに十分な水や食糧などがあることは言うまでもありません。
この片方を桃子の病室に転用したのです。
エリカとナナミンは、療養がてら桃子の護衛をすることになっているので、いまこうしてベッドを並べているのです。
もっとも、生まれながらの戦士のエリカたちのことですから、「地下会議室」をそのまま使える筈もなく、さらに防御力を向上させています。
核攻撃に耐えても、特殊部隊が邸内に侵入してきたら……、と想定したのでした。そのため、桃子のベッドの四方に厚さ十㎜の防弾鋼板に傾斜をつけて設置し、跳弾に備えてケブラーのライナーを防弾鋼板の裏や天井、壁に張り巡らせました。ケブラー・ライナー内装つき傾斜装甲鋼板って、まるで重戦車内部のようですね。
それに、エリカとナナミンのベッドの周りはちょっとした武器庫になっていました。M4カービン、H&KのMP-8、VP9ピストルなどの小火器と有り余る弾薬、数本のコンバットナイフが手の届く範囲に隠されています。その上、エリカなどは枕の下に例の愛銃、イタリアはキアッパ・アームズ社謹製キアッパ・トリプルスレット中折式三連散弾銃を隠しています。ナナミンも掛け布団の下に、棒手裏剣を弾帯の銃弾のように連ねて革製の装具に入れて隠し持っていました。前線の野戦病院にもあるまじき物騒極まりない病室ですね。
このように外界から、また邸宅内でも隔離された環境に起居するのに加えて、テレビ、ゲーム、雑誌など娯楽になるものは、お婆さんが治療をさまたげになると言って、三人からすべて遠ざけしまったのでした。ですから三人は、たわいもない世間話を繰り返すことくらいしか時間を潰せないのです。
……治療に専念するしかない退屈な日々、けれど桃子は、あの丘陵の戦闘で失ったオフィーリアが現れる夢を繰り返し見ていました。
影がうすかったが、人一倍勇敢だったオフィーリア
自分を犠牲にして転がってきた手榴弾に覆い被さったオフィーリア
胴体が半ば千切れるようになっても、死顔は安らかだったオフィーリア
ですが、夢の中のオフィーリアは静かに佇むばかりでした。
オフィーリアは彼女に声を掛けるでもなく、批難するでもなく無事を喜ぶ表情も表さず、湧き水のか細い清流のような表情をうかべるばかりでした。桃子が夢の中で呼びかけると、オフィーリアの姿は消えてしまいます。そうして目が覚めるのですが、すぐに眠りに引き込まれ同じ夢をみるのです。
悪夢ではありません。といって彼女を追慕する夢でもありません。
オフィーリアが夢にあらわれるたびに、彼女が遺したすり切れた婚約指輪を取り出して、涙を流しながら唇にそっとあてたことが幾度もありました。ですから、エリカたちがオフィーリアとホセの死に触れないことに不満でした。
いま彼女は、左の薬指にはめたオフィーリアの婚約指輪を外し、しげしげと眺めたのちに胸前でしっかりと握り締めました。
涙がうっすら滲みだしています。
「オフィーリアが遺したこの指環と、わたしは一生一緒に過ごす。ペンダントに指環を埋め込んで。彼女の思い出だけでなく、彼女の人生を片時も離さないつもり」
桃子はこう言い、デザインを語りました。
指環を銀の台座に埋め込み、防傷コーディングをほどこして周りを小さなダイヤモンドで装飾して、チタン製のチェーンを取り付ける、と言う仕様です。
「細かいデザインは、クリスチャン・ディオールにでも委せるとして。……ところで、オフィーリアの誕生石を知らない? ペンダントに埋め込むの。生年月日は?」
「……」
空調の動力源音が、煩わしい夏虫の鳴き声のように三人の隙間に波打っています。「二人ともどうしたの? オフィーリアの詳しい生い立ちも知りたい」
二人は黙ったままです。桃子のベッドから顔を背けて、まるで気まずい沈黙に耐えようとしているようでした。
桃子がひたすら溜め続けたオフィーリアへの想いとエリカたちへの怒りの貯水が、奔流しました。
「オフィーリアとホセのことをどう考えているの! わたしたちのために死んだんじゃないの! よくも脳天気な話題ばかり喋り散らせるわね!」
エリカの頭めがけて枕を投げつけ、点滴針を乱暴に引き抜くと、点滴スタンドをナナミンへ投げつけます。しかし、二人とも避けません。
「二人も死んだのよ! どうとも思わないって信じられない! 人の心はあるの?」
「あんたたちと、一緒にいたくない。鬼畜の兵隊バカ!」桃子は、ベッドからすり抜けて立ち上がります。
桃子が防爆扉の把手にたどりつく前に、素速い動きでエリカが腰にすがりつき、ナナミンが扉を押しとどめました。
しかし桃子の上体が、揺らめいたように見えるとナナミンの前腕が叩き落とされ、長い髪を振ったように映るとエリカは頬を平手で撲たれていました。
エリカとナナミンは数歩しりぞきましたが、桃子の次の打撃を甘んじて受けるかのように防御もせずに棒立ちのままです。桃子の先ほどの罵倒に耐えたのと同じように。
桃子は両手で二人を乱暴に突き放しました。
「二人とも、顔も見たくない。ここ(館)から消えて! もうあなたたちは必要ない」
エリカたちが罵倒に堪え、殴打にも無抵抗なのが、桃子の怒りをいっそうつのらせます。
「お嬢さま。この部屋から出てはいけません。ここだけはなにがあっても安全ですから」と、エリカとナナミンは異口同音に懇願しますが、桃子が聞く耳をもたないことは言うまでもないでしょう。
桃子は、扉に立ちふさがる二人を押しのけようとします。エリカたちは抵抗はしませんが、断固として退こうとしません。
こうして三人がもみ合っていると、突然照明が消えました。出口を示す非常灯だけが、ついています。
そうして数十秒後に照明が瞬き、復旧しました。
(つづきますよ)