マジックは忘れるくらいがちょうどいい。
大学生の頃、バイト先で知り合った一回りほど年上の友人にマジックバーに連れて行ってもらったことがある。
薄暗い路地の2階にひっそりと存在したそのマジックバーに、私は3割の期待と7割の恐怖心で入っていった。
そんな心持ちで入ったマジックバーで、初めて見た生マジックに私はとても感動した。
いつもテレビでマジックを見ても斜に構えて見ていたのが、いざ目の前で見ると難しいことや、見破ってやろうという考えなんて吹き飛ぶくらい素晴らしい経験だった。
しかし、そんなマジックよりも私の頭にこびりついている友人の言葉がある。
彼はそのマジックバーの常連でマスターとも気さくに挨拶を交わすほどの親密度なのだが、なぜか私と同じくらい、いやもしかしたら私以上にマスターのマジックを楽しんでいたし、毎度毎度驚いていた。
それを見てふと思った。
常連なのになぜそんなに楽しめるのか、と。
何度も見てきたはずではないか、と。
そんな私の考えを見透かしたのか、彼は私に教えてくれた。
「マジックは見たことを忘れるくらいがいい、
そうすれば次もまた楽しめる」と。
その言葉にマジックのタネを必死に考え、最悪マスターに教えてもらおうと思っていた私は頭をトンカチで殴られたかのような衝撃を受けた。
確かにそうだ。
知らなければ、忘れればもう一度このマジックを楽しむ事ができる。
それはとても素晴らしいことではないか!
これが大人の嗜み方というやつなのか!
初めてのマジックバーでちゃんと大人に「大人とはなんなのか」を教えてもらった気がした。
全てを知ってしまっているというのは案外刺激のない退屈な生活なのかもしれない。
世の中には知りすぎない方が楽しいことが沢山ある。
効率化が推し進められる今の世の中で、ゆとりある生き方をこれからも楽しんでいきたいものだ。
この夜、大人に痺れ、初めてのバーの雰囲気に浸った私はひたすらにお酒をのみ、見事に細かいマジックの記憶を胃液と共に吐き出す事に成功した。そして興奮と感動だけを持ち帰った。
友人はその横で満足そうな顔だったような気がする。心配してるフリくらいはしてくれ。
こんな文を書いていたらどんなマジックだったのか気になってきた。
よし。またマジックを見に行こう。
次は胃液もしっかりと持ち帰れる紳士な大人として。