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ロンドンから4泊5日 ミカエルレイラインの旅 ⑤ Trebarwith Beach、Tintagel Castle

Innをチェックアウトして出発です。

この街を出る前に晴れた日のSt Michael’s mountを見たいと思って、
もう一度行きました。お城が見えました。良かった。かっこいいです。

Tintagel 城方面に向かいます。グーグルマップによるとPenzanceからは1時間半くらいだったのでお昼前に着くかなと思って、11時ごろのチケットを買おうと思っていたけど、その時間は売り切れだったので、
1時ごろのチケットを買いました。
ちょっと時間に余裕が出来たので、寄り道しながら行こうと思います。

前日より更に道が狭くなって、主人もちょっとビビってました。
狭い狭いって言いながら運転していたんだけど、そしたらヘリコプターが
すぐ近くを飛んでいて、なんだろう?
と思っていたんでですが、少し進んだら、交通事故。
怪我人が出たみたいで、緊急搬送の為に飛んで来たみたいです。
車とバイクが衝突したみたいでバイクの人が倒れていました。
道が狭いし、先があまり見えないし、とても危ないです。
こんなに道が狭いのに慣れているっぽい車は
結構スピードを出して走っていました。

本当にこの道であってるの〜。合ってるって。
なんて言いながら進んで行ったら、Trebarwith Beach着きました。
良かった〜。
小さな村ですね。

こんな所にレストランとInnがあります。

海水浴というよりは、サーフィンをしに来た人が多かったのかもしれません。
人は結構いました。

この後Tintagel城に行きました。正確には城跡ですね。
予定では早めについて、ランチを食べようって思っていたけど、
思ったより遅く着いたので時間がなくて、
カフェでちょっとつまむ物を買う事にしました。

私はこのCornish Pudding を選んだんですが、これがまた美味しかったー。

ここから歩いて行きます。結構な坂です。

Tintagel 城は、西暦5世紀から7世紀にかけて重要な城塞と港でした。

西暦5世紀から6世紀にかけて、ローマの支配が崩壊した後、この岬には大規模で地位の高い集落がありました。それはおそらく地域の王、指導者の季節の家でした。ダンモニアと呼ばれる強力な王国は、コーンウォールとデボンを横断し、
サマセットにまで広がっていました。この重要な王室の入植地は、この場所に関連する伝説的な物語に影響を与えたのかもしれません。

600年間放棄された後、ティンタゲルの岬と荘園は1233年5月にヘンリー3世の弟であるコーンウォール伯爵リチャードによって購入されました。
リチャード伯爵は、アーサー王、トリスタン、イセウルトとの関係があるため、この人里離れた海岸の岬に城を建てることを選びました。彼はコーンウォール王の長い伝統に身を置き、コーンウォールの人々に対する彼の力を示しました。

12世紀にモンマスのジェフリーが「イギリスの王の歴史」を書き、初めてアーサー王と結びつけられました。
事実とフィクションが混在したこの本は、アーサーがTintagelでどのように魔法のように考えられたかを説明しています。それ以来、この城の歴史は伝説の王と関連しています。



マーリンはアーサー王伝説の架空の人物で、アーサー王とその父ウサーペンドラゴンの魔法使いと顧問です。

マーリンは未来を予測できる魔術師であり預言者です。彼は悪魔から魔法の力を受け継いだと言われています。

下に降りて行きます。下には洞窟がありました。

帰りはすごい登り坂。
別料金で小さな車が上まで乗せてくれるサービスもありました。

この後エクスターまで戻ってレンタカーを返して、
後は電車に乗ってロンドンに帰ります。

この電車でロンドンへ。

ロンドンから4泊5日のミカエルレイラインの旅はこれで終わりです。
あえて言うならSt Ivesと、Penzanceで2泊ずつ泊まってゆっくり周っても
良かったかな なんて思いました。
でもとても楽しかったです。


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