私は何を、何故書くのか、考えてみた。
先日、サトウ・レンさんのこちらの記事を拝見した。よくいいねを押させていただいているので、僭越ながら私も繋がったことがあるという認識で考えさせていただくことにした。
ふたつの問いがあったので、下記に引用する。
Q「もしnoteにたったひとつの記事しか残せなくなったら、どの記事を残すか? あなたの里程標となる一作を教えてください」
Q「何故、あなたは書くのですか?」
私はまだnote歴が浅い。ぺーぺーと言っていいだろう。なので、ひとつ目の問いに関しては正直、「まだそう思えるような記事を書けていません」と言うのが正確なところ。
けれど、アップデートありきで考えるならば、エッセイとショートショートでひとつずつある。
これは結構、自分の根幹をぶつけた記事だ。自分で自分に掛けた呪と、忘れられない他者の言葉について書いてある。きっとこれらは余程のことがない限り私の中から抜けることはないだろう。おばあちゃんにでもなれば、話は別だろうけれど。
これは、私が実際に見た夢を基にしたストーリーだ。とても印象的な夢だったので、いつか文章にしたいと思っていた。名前など脚色している部分含めて結構気に入っているし、いつかこの人たちを膨らませてみたいとも思っているので、その下書きとしても残したい。
ひとつ、と言われたのにふたつになってしまった。どちらがより、と問われるととても悩んでしまったのでご容赦いただけると幸いだ。
ふたつ目の問いについて。
この記事でも書いたのだけれど、私は書くのをやめようと思ったことがあった。けれどそれは土台無理な話だったのだ。なぜか。
自分の中の澱を吐き出したいだとか、カタルシスだとか、どうしても登場人物が動いてしまうのだとか、自己表現の手段だとか、自己実現のためだとか、承認欲求だとか、色々な理由を並べることはできるけれども、結局はひとつ。
私は文章が好き。それだけだと思った。
言葉が好きだ。それで紡ぐ景色が好きだ。それが並ぶリズムが好きだ。そして、それに能動的に関わる自分が好きだ。
自分がマイナスな時もプラスな時も好き、そう思えるものって素晴らしい。だからそれを手放したくない。だから私は書くのだと思う。そしてそれはもう私の一部で自然なことなのだ。
言葉はコミュニケーションであり、コミュニケーションによって思考の幅は広がる。今回この企画(?)に乗っからせていただくことによって、改めて向き合えた自分がいて、とても嬉しく有難い。
こちらへのアンサー記事。
サトウ・レンさん、素敵な問い掛けありがとうございました!