幸せに見えますか? '21/6/5~6/11
1年前の日記を部分的に引用し、それにコメントしていきます。
(1年前:理系修士2回生/現在:社会人1年目)
パンサー向井
「見た目」みたいなところから、いまやラジオの帯をやってるなんて、すげえな。
苦しみへの依存
中村文則の「カード師」、やはり最高なんだよな。この日記を読んで、改めて読み返している。
たぶん、全体を通じての感想はどっかで日記に書いた気がするから、後に読み返すことを楽しみにしよう。今読み返している部分までで心に残った部分としては、人は苦しみに依存するというところだ。
人は自分を苦しめるものを捨てることができるとしても、捨てなかったりする。子離れできない過干渉な親であったり、管理が面倒な先祖伝来の土地であったり、劣悪な労働環境であったり、なんだかんだ苦しみを捨てられず、その苦しみに居場所を感じ依存してしまうことがある。
そして、その苦しみの中にいる他人をみると、「そんなもの捨ててしまえばいいのに」と思う。しかし、本人にとっては、その状態が幸福である可能性がある。幸福は多様だ。苦しみが幸福であって、それはなにかおかしいのだろうか。
人を苦しみから救い出し、「本当の」幸せを与えようという行為は、本当にその人を幸せにできるのだろうか。タロットカードが伝えるメッセージが解釈によって変わるように、不幸に見える人も、見方を変えれば幸せなのかもしれない。
僕は世界人類すべてが幸せになればいいと心から思う。飢餓、貧困、差別、虐待、これらは是正されねばならない。しかし、渦中の人間が必ずしも不幸であり、問題を解決すれば彼らは幸せになれると決めつけてはならない。
人が皆、幸せになるために、僕はどうすればいいのだろう。
僕は他人から見て苦しみに依存しているように見えるだろうか?幸せに見えるだろうか?
僕は、たぶん、幸せです。
自殺阻止
いいこと言うね一年前の俺。僕たち日本人は「人間の命」を最も価値の高いものに決めた。だからこそ、いかなる手段であっても、その損失を防いだ人間は称賛されてしかるべきだ。
この時自殺しようとした人が、生きて、その人にとっての幸せを、どうか、とうか、手に入れてほしい。
靴
靴って、大まかなサイズの目安はつくけど、実際に履いてみないと分からないことが多くて困る。服はネットで帰るのに。
ABCマートの店員さんって、なんとなく陽な感じがして苦手なんだよな。これは服飾系全般に言えることやけど。
あと、靴の男女の違いがよく分からん。スニーカーの何が違うんや。
靴買いに行くと、足の幅が広くて選択肢が結構絞られるんだけど、この問題、かなりの日本人が抱えてるよな?
なぜ、幅広の靴をもっと流通させない?確かに細い方がカッコいいのは分かるけど、足痛いのはかなりの苦痛(靴だけに ←不要)
ひろゆき
中学時代の俺なら絶対ひろゆきにハマってた。これは間違いない。
ホリエモンとかオリラジ中田にはハマらんかったんちゃうかな?
とにかく屁理屈野郎だったので(これは今も変わらないが)、ひろゆきの理屈にのめりこんでいたと思う。
まあ、当時は2chを見てネット右翼化してたから、ある意味ひろゆきの世界にはいたと言えるかもしれないけど。
いまはもっと自分の屁理屈レベルが高くなってるから、ひろゆきごときにはハマらんかな。ひろゆきの発言を見て、もっと屁理屈な視線から批判し、見下す。あれ?今の俺、ひろゆき化してる?
他にも、当時見てたらハマってたやろうなってのは、Dr.Storn。
これは別にハマってても害なかったかな。