「自分で可能性にキャップをするな」という教え
最近同僚と話している中で、自分の視点が大きく変わった話をしたので、改めてまとめてみたいと思います。
タイトルは、僕が過去に先輩から頂いた言葉で、僕がこれまでのキャリアでずっと大事にしてきたものです。今回は至らなかった自分の過去について赤裸々に話すとともに、この言葉の意味の重要性について書いてみます。
金融のプロとして最低だった自分に気付いた瞬間
この言葉を先輩からもらった当時、僕は日本政策金融公庫の浜松支店から千葉支店に転勤してきたばかりでした。営業担当として配属され、まずは引き継ぎを受けた融資案件の対応をしていたときのことです。
金融機関の人間が「本部決裁なので…」とエクスキューズするのを聞いたことがある人はわかるかもしれませんが、金融機関では融資額や業績により融資の決裁者が決まる仕組みがあり、本部決裁は通常よりも労力がかかる上に高い審査スキルが求められるため、融資担当者には本部決裁にならない範囲で話をまとめようとする力学が働くことがあります。
大変恥ずかしい話ですが、自分もその一人でした。最初に配属された支店であまり本部決裁の申請をする風習がなく、それを当たり前だと思い込んでいた自分が悪いのですが、
「本部決裁なんて難しすぎて自分には無理だ。やったことないし、一部の優秀な人だけが使える制度だろう」
と勝手に判断し、本部決裁にならない範囲で話をまとめる癖がついてました。先輩から声をかけられたのはそんな浅はかな方法で案件対応をしていた時のことでした。
何も答えられませんでした。
それもそのはず、減額する理由は「本部決裁にしたくないから」だったからです。
回答に窮している僕をみて先輩は続けます。
ショックでした。
曲がりなりにも、最初の支店では4年間超スパルタで鍛えられたこともあり、若手ながらお客様のため社会のためと信念を持って仕事ができていたという自負もあったため、そんな自分が実は手前の都合でお客様の可能性を潰しながら仕事していたという事実を突きつけられたからです。
自己中心的な仕事は自分も他人も不幸にする
さて、先輩に嗜められた後の僕は、まずお客さんに謝りに行きました。
「先日この金額以上は難しい、とお伝えしましたが、それは自分が社内規定を理由に勝手に判断したものであり、実際には検討の余地があります。増額のお約束はできませんが、もしお時間いただけるようであれば一度挑戦させていただけないでしょうか。申し訳ありません。」
お客様からは、「融資は急いでるので出来るだけ早くお願いしたいが、再度満額で検討して欲しい」とご回答いただき、早急に本部申請をすることに。追加での資料も多数依頼して、お客様には重ねてご迷惑をおかけすることに。
そして、なんとか本部申請に漕ぎ着けて、数週間本店と議論を重ねましたが、最終的には残念ながら満額には至らず、当初の予定の金額より微増という結果に。
“時間がかかった上に融資額もほぼ変わらない”
外形的には目も当てられない結論です。お客様はお怒りになるだろうと思いつつも、電話をして今回の結論とその理由を説明しました。すると、
電話でお客様からこの言葉をもらった瞬間に涙が止まらず、トイレでしばらく泣き崩れていました。自分自身の未熟さ、至らなさ、力量のなさを痛感しするとともに、そんな自分のせいで可能性をつぶされたはずのお客様に慰められている自分のことが許せず、自責の念に駆られていました。
自分の仕事の価値を問い続ける
この経験を通じて強く認識したのは、
自分の能力が多寡が相手の未来の可能性に直結している
ということでした。至極当たり前のことなのですが、日々の業務に忙殺されているとどうしても視野が狭くなり、目の前の仕事が作業になりがちです。そして、作業は慣れてくれば手の抜き方を覚えますし、一回手を抜けばもう戻るのは難しくなります。そうしてジワジワと少しずつ仕事の質が落ち、知らない間に自分の仕事のせいで他人を不幸にするようになる、そしてその事実に気付いたときに自分も不幸になる、ということです。
ここで伝えたいのは、自分の仕事がどんな価値を生んでいるのかを常に問い続けること、その視座を保ち続け、能力を高め続けることの大切さです。「3人のレンガ職人」や「NASAの清掃員」、「ドリルの穴」の話のように、自分の仕事の目的は何か、それにより生み出される価値は何か、自分は何のために存在しているのか、というのを誰に指摘されるでもなくメタ認知して自問自答し続けていくというのは、とても大事なスキルの一つですね。そして、学び続けることは、自分と他人の幸せにそのまま繋がってるんだなと改めて思います。